第8話 魔人の公爵

 エドヴァルドはその日、城内がいやに騒がしい事に気が付いた。いつものようにベルに連れられ、あの庭へ向かおうとしていた時。謁見えっけんの間から、怒鳴どなるような声が聞こえてくるのだ。ここ半年程をこの城で過ごしていたのだが、このような騒ぎは初めてのことだった。

 エドヴァルドは少しだけ考えた後、ベルに止められるのも構わずに真っ直ぐにそちらへ向かって行った。


「――! ……ッ、――それがいかんと言うのです! 何故あのようなモノを城内に入れたのか!」


 声を荒げているのは、如何にも軍人である、と言った風体ふうていの魔人であった。体格は魔王のそれと変わらぬ程に大きく、白髪に紫色の三白眼でギョロリとにらみを利かせている。黒い衣服とローブを身にまとう魔王と同じように、黒い鎧と同色のマントに身を包んでいた。


「アスタロト、それは貴公きこうにも説明したはずだが……最早アレは、あの頃のような敵対心など無い。無害だと」

「ですからそれがいかんと言うのです! まだ、半年なのです! 我等われらの軍の傷は根深い。これ以上、何かあれば我とて対応致しかねますぞ」

「魔王様の決定に、貴公きこうは歯向かうというのか?将軍アスタロト公」

「イェレ、好い。私の役目だ。……アスタロト、それは勿論承知の上での――」


 アスタロトと呼ばれた軍人が、おくする事なく魔王に忠言ちゅうげんしている。その話の内容を聞かずとも、エドヴァルドには分かってしまった。

 今こんな時、こんなになってまで内部で言い争う原因なぞ、ひとつしか思いつかない。エドヴァルドは真っ直ぐに、騒ぎの中心へと突き進んでいった。

 野次馬達を掻き分ける中、近付く彼に気付いた魔人達は次々と道を開けていく。そしてとうとう現場へと辿り着くと、エドヴァルドは騒動をさえぎるように、渦中かちゅうへと自ら飛び込んでいった。


「――、さりとてこの――」

「アレクシス、そのお方の言う事はもっともだ。部下の忠言を無碍むげにしてはいけない」

「ッ!?」

「エドヴァルドッ……」


 近付く彼に気付いていなかった二人は、突如とつじょとして現れた話題の当人に言葉も出ない。しかも、魔王がかばっていたはずのエドヴァルドが、己を扱き下ろす将軍アスタロトの肩を持とうと言うのだ。これではもはや、2人が言い争っている意味がまるで無い。エドヴァルドは更に続けた。口を挟める者は誰もいなかった。


「国を引っ掻きまわした人間を警戒するのは当然の事。それなのに、一度死んだからってこんな易々と受け入れてしまうなんて……余りにも、御人好おひとよし過ぎるんだ。だから――貴方のような人が必要だと、俺は思うんだが。アスタロト、殿?」


 もとよりいかめしい口許くちもとを不満そうに引き結んで、アスタロトはエドヴァルドを見返している。目付きは相変わらず鋭くて、今にも飛びかかって斬り殺してやると言わんばかり。だがそれでも、今し方のエドヴァルドの言葉に思う所があるのか。公爵が彼の話を遮るような事はなかった。


「だから貴方のような人には、そのままで居てもらって。俺がまた妙な真似まねをしたら、その時には、貴方のような人に、俺を殺して欲しいんだ。俺がまた、間違う前に」

「エドヴァルド!」


 彼がそんな事を言ってしまえば、周りは驚愕きょうがくの余りに絶句するばかりで。指名されたアスタロトなんかは、もはや目をまん丸に見開いて彼を見据えていた。外でも内でも、感情など表に出さぬよう気を付けているアスタロトにしてみれば、全くもって酷い失態なのであるが。この時ばかりは取り繕えなかったようだ。

 尚も言葉を続けるエドヴァルドは、急に声音を弱めた。まるで突然、弱気になってじったかのような。


「だって……アレクシスとかは出来そうにないしさ……ダメ、かな?」


 そう言って、その場にいる者達の顔色を窺うかのように、不安げな顔をしてみせたエドヴァルドに、誰も彼も、口を出す事が出来なかった。

 まず先に我に返ったのは、アスタロトだった。思い切り顔を顰めてから、呆れたように言い返す。


「貴様、一体どんな教育をされてきたのだ小僧こぞめ」

「いやいや、俺は至って普通の平民で――」

「普通の平民がそのような巫山戯ふざけた事を抜かすか馬鹿者! 全く、阿呆あほう所為せいきょうが削がれたわ……魔王様、私めは絶対に此奴から目を離しませんからな、覚えておかれよ」


 すっかり毒気を抜かれてしまった様子のアスタロトは、そう捨て台詞を吐くと、マントをひるがえしながらさっさとその場から去って行ってしまった。そこに残されたのは、何とも言えない微妙な空気と、そしてひとり笑うエドヴァルドの、してやったりの表情だ。

 その一連の流れを目にしたアレクシスは、何とも信じられない、と言いたげな表情でエドヴァルドを見ていた。そしてもうひとり、エドヴァルドの乱入を許してしまった侍女ベルはと言えば。


「エドヴァルド、お前という奴は……」

「エドヴァルド様! ほんっと、貴方様信じられませんわ! せっかく、魔王様が頑張っていらしたのに……この空気ッ!」


 その場の空気を一掃するかのように、叫んでみせた。それはわざとだったのかもしれないが、その怒りを向けられたエドヴァルドはと言えば、彼女のそんな行動に、たじろぐばかりだ。


「えっ、ちょ、ベル……そんな怒らなくても」

「五月蝿いですわこのっ、ニブ――!」

「べ、ベル殿……魔王様の御前になりますので、余りこの場で騒がれるのは……」

「あらヤだわイェレ様ッ……大変失礼を致しました。このエドヴァルド様があまりにアレなものでしたのでつい」

「いや、言いたい事は解るが」


 ベルのその言葉で、一気に場の空気は緩んでいった。宰相イェレの呼びかけにより、その場は解散となり、野次馬達は各自、自分達の持ち場へと戻っていくのだった。

 その流れで、魔王はエドヴァルドを執務室へ来るように命じる。誰もそれを反対はしなかったし、ベルなんかはもう、分かる人には分かるほどににやにやと笑みを湛えていて。ついにあの魔王様が決定的行動にっ、だなんて城内の侍女達が一部盛り上がった、なんていうのは当人達の知らぬ話ではあるが。

 そんな、どこか妙に落ち着かないソワソワとした雰囲気の中、魔王アレクシスはエドヴァルドを執務室へと誘った。ふたり共が部屋に入った後、それを確認すると、アレクシスは己の執務室の扉をバタンッと閉じ、さりげなく鍵をかけるのだった。


 二人きりの空間で、向かい合ったまましばらく沈黙が流れる。先に口を開いたのは、魔王の方だった。


「エドヴァルド、お前という奴は――ッ」

「!」


 そう言い切るが早いか、アレクシスは顔を哀しげに歪め、エドヴァルドを突然、その場で抱き締めたのだった。予想だにしなかった行動に、エドヴァルドは驚くばかりで声も出せない。

 もとより体格の大きな魔人達の王ともあって、アレクシスはエドヴァルドよりも頭二つ分ほど上に顔がある。エドヴァルドも決して小さい方では無いのだが、アレクシスと並ぶとかなり小柄に見えてしまう。

 そんなだから、エドヴァルドは完全に、アレクシスの身体にすっぽりと抱き込まれてしまった。その逞しい胸の中で、エドヴァルドは絞り出したようなその声を聞いた。


「何故、あんな事を……、全部思い出したのか?」


 耳元で囁く様に告げられる。その声の弱々しさにに大層驚きながら、エドヴァルドは告げる。


「大体の事は、な。俺、アレクシスを、殺したんだよな。その他も、大勢……そりゃあ、怨まれても憎まれても仕方ない。俺だってそんな事になったらきっと。――だから、俺の所為で何かいさかいが起こるのであれば、俺は喜んでここを出て行くし、例えここで殺されたって文――」

「駄目だ! それは、駄目だ」


 そこで突然声を荒げたアレクシスに、エドヴァルドは言葉を切った。アレクシスが、己の仇であるはずのエドヴァルドに何故そこまで言うのか。全くもって理解が出来なかったからだ。

 エドヴァルドは言葉を続ける。彼と自分との間に、何か大きな隔たりがある。そう思えてならなかった。不思議で仕方なかった。


「アレクシス、何故だ? 俺は、あんたを殺した張本人なんだ。どうして、そんなにまで俺を庇う?」

「分からない。けれど、それは駄目だ。私が、嫌だ。お前がまた居なくなるのは、私が嫌なんだ」


 聞いているこちらまで苦しくなるような声で、アレクシスは応えた。本心からそう思っている事が分かって、エドヴァルドは胸の中に何かが込み上げてくるのを感じる。ここまで心底求められるのは、初めてだったのかもしれない。

 更に続いたアレクシスの言葉が、何故だかエドヴァルドの胸を打つ。


「だから、頼む、私の為に居て欲しい。私のせいにしていいから、ここに居てくれ」

「なん、で……おれが……、おれの――」

「私が殺される間際の――私にとどめを刺す時のお前の顔が、目に焼き付いて離れない。あんな顔をさせるくらいならば、別の何かが出来たのではないかと、思うのだ」

「ッう、」

「国をまもりたいと言う気持ちは誰しにもある。……私も、やり過ぎた自覚はあるのだ。それが、お前のような者をそこまで苦しめるとは思わなんだ。――だから、次くらいはと、お前に本当の笑顔をと、そう思ったらもう抑えられなかった」


 自然と流れ出てきた涙を止める事が出来ず、エドヴァルドはアレクシスの胸に顔を押し付けて、漏れそうになる声をその場で押し殺した。


 思い出した記憶が頭に浮かぶ。

 エドヴァルドは旅の間、いつでも苦しかったのだ。護らなければと、自分は決して倒れてはいけないのだというプレッシャーに、押し潰されそうになった。相談などは出来ない。弱味をこぼせば、絶望的な状況に不安がそのまま仲間に伝染する。だから、勝つ為に一人で抱えるしかなかった。それが自分を壊したとしても、皆が、全員が助かるならばと。


「頼むから今度こそ、心から笑っていてくれ。つくろわなくていい。それがこの国の、私の為に出来る事だと思って欲しい」


 そんなアレクシスの言葉のひとつひとつが、じんわりと心にみた。自分に寄り添い、共に歩いてくれる人が居る。それだけで、エドヴァルドは生きて――生き返って良かったと、心からそう思えるのだ。だからこれが、自分が欲しかったものなのだと。取り戻したかったものなのだと。



 それからしばらく。

 エドヴァルドはアレクシスの胸の中で、幸福な時間を甘受した。独りで抱えなくて良いと言うだけで、ここまで心が楽になれるのだとは。彼の覚えている人生の中で、彼は今程幸福だと思った事はなかった。だからこそ、この人の為に生きたいと、エドヴァルドは初めてそう、思えたのだった。



 たった一つだけ、エドヴァルドは誰にも告げずに隠している事があった。

 思い出していない最期の記憶。

 それだけは、絶対に思い出してはいけないと、蓋をして考えないようにしている記憶がある。

 それを思い出したが最期。エドヴァルドは二度と、このような幸せな日々を送る事が出来なくなるのでは無いかと、ひとり恐れている――。

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