ロボットの俺と彼女と障害物競走(そののち芋煮)
澁澤 初飴
第1話
「だから、どうか頼むよ」
俺は辟易した。もう三十分は粘られている。
彼は若と呼ばれているもう還暦が目の前の、この町で唯一の菓子屋の二代目だ。商工会の会長をしているので無下にはできない。
それでも無理なものは無理だ。
若はタダで出しているコーヒーのおかわりの前で作り笑いをしている。
「今時ロボット化はなくもない話だし、出てくれたら子供も喜ぶと思うよ」
俺もこの町に店を出している以上、彼には逆らえない。商工会の会長が頼むよと言ったら、頼まれざるを得ない。しかし、依頼内容が無理でしかない。
「
「小学生は無理ですよ!」
俺は事故で体を失い、ロボットになった。
普通なら無事だった部分を残したりするのだが、俺はそれもできなくて、生身の部分は何も残っていない。
そうしてこの世に呼び戻されて、確かにまだ十年は経っていないけれど。
事故に遭った当時で俺は二十代後半だ。記憶などは一応チップに移してあるから、俺としては自分は三十代もそこそこ過ごしたおじさんだと思う。それは小学生と一緒にはならないだろ。
「じゃあさ、仕方ない、青年の部でいいから。呉服屋は四世代リレーにまわすよ」
確かに俺はリレーには不向きだろう。こんな銀色のパイプにパイプの手足がついているようなロボット、走れる気がしない。実際それほど走れない。だが、この年の事務仕事の男性よりは立ち仕事の分まあまあ体が利くはずだ。言わないけど。
「……て、いや、出ませんよ!」
「頼んだよ、三世代障害物リレーね、あと昼食は飲食店のみんなが結構持ってきてくれるんだよね。いや、持ってきてなんて言ってないよ。でもこれでみんながおいしいってわかるとお客が増えるらしいんだよね。いや、無理になんて言ってないよ。みんなの差し入れ、楽しみにしてて!」
若はそれ以上俺が何か言う前にさっさと退散した。
俺は運動会で走ることになり、しかも昼食に何か持って行くことになったらしい。
頭を抱えていると、俺たちのやりとりを静かに見ていた彼女がくすくす笑った。
彼女は魔女だ。政府に登録して制御装置も付け、位置情報の監視も受けている。普段は普通の女性と何ら変わるところはないのだけれど、それでも住む場所を探すのには苦労した。魔女を受け入れてくれる町は少ない。
だから俺は俺たちを受け入れてくれたこの町には感謝している。だが、障害物リレーは。
「どうしよう、障害物って、網とか平均台だよね」
俺の体は主に円筒形の集まりだ。滑らかに見えて、意外と引っかかりポイントがある。
寝る前に、少し布団で練習しましょう。
彼女が笑う。俺も苦笑した。この年で布団で運動会の練習をするとは思わなかったよ。
当日は素晴らしい晴れだった。朝っぱらから青々とした空に、運動会の開催を知らせる花火があがる。
俺は雨男で、遠足や待ち合わせやデートはいつも雨だ。しかし、足が遅いので憂鬱で仕方なかった運動会は、雨だったことがない。
俺は晴れ渡った空を恨めしくにらんだ。彼女がそばに来て、寄り添う。
準備が無駄にならなくて良かったね。きっとみんな、喜ぶわ。
「そうだといいけど」
俺は天を恨むのを諦め、重い荷物を担いだ。
市民運動会は近隣の大きな小学校のグラウンドで行われる。
いつもはただ広いだけであろうグラウンドの外周に沿うように、町の名前を染め抜いたテントがひしめく様はなかなか壮観だ。
俺は自分の町のテントにたどり着くと、担いできた荷物を下ろした
今日はここで芋煮をするのだ。
若に催促されて困った俺は、いつも野菜を届けてくれる八百屋の大将にグチとも相談とも取れる話をした。そうしたらあれよあれよという間に話がまとまって、芋煮をすることになったのだ。
芋煮というのはこの地方の名物料理で、川原で鍋を囲むスタイルが有名だ。だが、そうはいっても煮るだけなので、どこでもできる。
俺は鍋と薪、調味料と水を用意した。重かったが、今日は肉屋と八百屋にも話を通して協力してもらっている。食材は専門家に任せた方がいい。
肉屋と八百屋も慣れたもので、食べやすい大きさに下拵えしたものをビニール袋に小分けして持ってきてくれていた。あとは煮るだけ。簡単だ。
河原ならその辺の石を積んで作るかまどだが、隅とはいえグラウンドの中なので、一斗缶を使う。俺は一斗缶のかまどの作り方を知らなかったが、隣県から婿に来ている肉屋がうまく作ってくれた。
彼は二十代の二百メートル走でなかなかの走りを披露し、賞品のノートをもらっていた。火を起こしながら聞いたら、学生時代は陸上部だったという。さすがだ。
火がつき煙が上がり始めると人が集まってきた。他の町内会の人もいる。その中のひとりが尋ねる。
「ここで芋煮してもいいの?」
俺は許可を取っていることを説明した。彼らは許可を求めること自体が盲点だったらしく、あああ、と空を仰いだ。みんな芋煮が大好きなのだ。
食材を鍋に入れ、酒と砂糖を入れる。まあだいたいだ。それでも芋煮というものは大概おいしくなるのだ。
蓋を閉めると彼女に呼ばれた。出番らしい。
「頑張ってこいよ!」
肉屋と八百屋に激励され、俺は渋々スタート地点に向かった。
俺の体はほぼ円筒形だ。
首は360度まわるけど、普通はそんなにはまわさないけど、まあ水平なら自在だ。
しかし、上下は弱い。何しろ円筒形だ。筒状の蓋のついたもの、例えば茶筒や卒業証書の入ったあれ、あれの蓋の部分を思い出してほしい。あれでどう上を向けと言うのか。
俺は絶望的な気持ちで飛び跳ねながら思った。
少年の部はマットで前転をし、平均台と跳び箱を越えて敬老の部へバトンタッチ。
敬老の部は両側のあいた麻袋をくぐり、お玉にボールを乗せて運び、青年の部へタッチ。
そして俺は半俵の米を運び、縄跳びをしながら走って、最後に借り物の指示の入った封筒がパン食い競争よろしくぶら下がっているのをくわえようと跳んだのだが。
首が上を向けない。目の前まではくるけれどくわえられない。毎日布団で練習してきたのに、何の意味もなかった。
俺の前の2人が頑張ってトップで俺にバトンタッチし、その差を広げる勢いで俺もここまできたのに、何てことだ。
俺は次々に抜かれ、ついにひとりになった。棄権しようかと泣きたい気持ちになっていると、さすがに係員がやってきて紐を引っ張り、目の前の封筒をものすごく下げてくれた。俺はようやく封筒を取ることができた。焦って開く。
俺は中の指示を見て、まっすぐ俺の町のテントに向かった。
「来て」
彼女に言うと、彼女は戸惑っていたがすぐに立ち上がった。まだレースは途中だ。
彼女の手を引いて夢中で走る。他の封筒の指示は何だったのだろう。みんな手こずっているのか、俺たちの前に人の姿はない。
俺は彼女の手を引いてゴールテープを切った。こんなレースはほぼ誰も見ていない。俺の町内の暇な人だけ小さな歓声をあげた。
係員に封筒を渡して指示と借り物があっているか確認してもらう。
「世界一の美女。はあ、なるほど」
係員は笑ってうなずき、俺に1と書かれた旗をくれた。
他の競技者が揃うまで少し時間がかかった。その間俺は1の旗を持ちながら、世界一の美女である彼女と青い青い空の下で手をつないでいた。
2位、3位とようやく順位が決定した。2位は大根、3位は枕を持っている。よくあったな。
それを眺めながら、彼女が俺にそっと寄り添って言う。
係の人、笑ってたわ。恥ずかしい。
「君しかいないよ」
迷いなく答える俺に、彼女はバカね、と苦笑した。
芋煮はすっかり煮えて食べ頃になっていた。
仕上げのねぎは初めはこのくらい生っぽく、おかわりするごとにだんだん煮えてくたくたになっていくのがいい。
「大活躍だったな、雨野ちゃん、魔女さん!」
米屋が差し入れてくれた胡麻塩おにぎりを配りに行くと、若が上機嫌でコップをあおっていた。ビールだ。
よく見るとかなりの人がビールを飲んでいる。呉服屋のご隠居、相当好きだと聞いてはいるが、4世代リレーはこれからなのだが大丈夫だろうか。
「雨野ちゃんはやらないのかい」
「ロボットですから」
これで断る理由になるのだからロボットは便利だ。彼女がくすくす笑う。
「でも芋煮は食べるでしょ」
「そりゃ当然、ロボットだって秋の味覚は堪能しないと」
使い捨ての容器に芋煮をよそってもらう。彼女は湯気をたてる里芋を念入りにふーふー吹いた。
おいしい。でも、あなたの芋煮とまたちょっと味が違うね。
「そうだね、俺のはキノコとゴボウ入れるから」
実家で食べていたものには入っていなかったのだが、偏食の彼女に少しでもいろいろなものを食べてほしくて入れるようになった。シンプルな芋煮もいいが、キノコとゴボウ入りもまた滋味深いいい味だと思う。
あなたの芋煮も食べたくなっちゃった。
彼女が言うから俺も作りたくなった。
「じゃあ今日の夕飯はまた芋煮と、食後にリンゴにしようか」
1位の賞品としてもらったリンゴの袋を見せると、彼女が嬉しそうに笑った。
新米と芋煮とリンゴ。秋って最高ね。
「そうだね」
俺は同意しながら思った。
抜けるような青空を背景に笑う、世界一の美女の笑顔には敵わないけどね。
ロボットの俺と彼女と障害物競走(そののち芋煮) 澁澤 初飴 @azbora
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