七色の笛

今迫直弥

七色の笛

 助けられないはずはなかった。しかし、そこには笛がなく。

 必要な七つの笛がなく。

 足りないということはすなわち死を意味する世界だから。

 だから。

 彼女は死んでしまった。たった七つ、足りなかっただけで。


 あなたは言う。その笛はもはやこの世には残っていないのだ、と。

 でもあなたは信じている。きっと笛がどこかで眠っている、と。

 だからこそ旅立った。

 何も言わずに旅立った。もう帰って来る気はなかった。


 それでも。私は語ることが出来る。

 何も知らない私は、あなたを唄にして、あなたの帰りを待ち続ける。

 私にあるのは、この筆とそして音のない楽器と声だけだから。

 いつまでも待ち続ける。


 ある時あなたは赤い村に辿り着く。全てが赤い不思議な村に。

 そこであなたは男に出会う。右腕のない金眼の男に。

 男はあなたに道を示す。そこには二つの道がある。

 一方はあなたの前に広がる未来。あなたを待っている明るい道。

 他方は暗い絶望の道。歪んだ木々が闇の中蠢き、あなたを狙っている。

 あなたは迷わず道を行く。

 でも、あなたはどちらを選んだの?


 傷だらけのあなたは泉のそばで意識を取り戻す。

 泉には毒の水。それでもあなたはそれを飲んで。


 また倒れ伏し、また起き上がる。そして水を飲む。

 気付いているの? 気付いているからそうするの?

 あなたは死を覚悟する。

 それでもやめない。水を飲む。ただひたすらに飲み続ける。

 ずっとずっとそうしていて、とうとう泉が枯れてしまうと

 あなたは安心して笑みを浮かべる。泉の底に赤い笛が落ちていた。

 あなたは笛に名をつける。

 それはとても綺麗な、春に咲く赤い花の名前。


 ある時あなたはオレンジの夢に出会う。うやむやの中でそれは浮かんでいる。

 見えないけれどもそれはオレンジ色で、だけれども見えなくて。

 あなたの手は何も掴めない。それでもあなたは夢に立ち向かう。

 その夢は見えないの。それでもオレンジ色で、あなたはそこに何を見るの?

 何を見るの?

 夢は見えなくて、何も掴めない。

 それでも、あなたは夢の中に。

 夢の中に。何も見えない、夢の中に。


 いくらでも増え続ける金塊があって、その周りには商人がたくさんいる。

 商人はその金塊に値段をつけようとして、増え続けるから値段も高くなって、

 さあ、誰がいくら出せば、それは妥当と言えるの?


 夢は 大きく 大きく 大きく 大きく。それでも見えないオレンジ色。


 たった一つ。たった一つだけれども過去が一度だけやり直せる権利が転がっていて、

 早い者勝ちで取り合いになった。周りの皆を殺して殺して殺して殺して、

 それを手に入れ、何をやり直せばそれは妥当と言えるの?


 夢はさらに 大きく 大きく 大きく 大きく。それでも見えてこないオレンジ色。


 あなただけに神が願いを叶えてやると言い出した。

 神はしかし条件を出す。あなたの願いをかなえる代わりにあなたが神になれ。

 あなたは


 あなたはどうして、それを拒むの?


 見えてこないオレンジ色。それでも夢はきっとそこにあって。あなたの元にあって。


 あなたはどうして取り合いで殺した者の復活を望むの?


 見えないオレンジ色は色ではなく、あくまでも夢だからそこにあって。


 あなたは増え続ける金塊を粉々にして中からオレンジ色の笛を手にする。

 夢から覚めてもその笛はあなたの手にあって。

 あなたは笛に名をつける。

 それは天空から私たちを照らしている大きなオレンジの星の名前。


 ある時あなたは黄色い時に放り込まれる。気付かぬ内に放り込まれる。

 心地良くうたた寝をしていたあなたは、水の中で目を覚ますの。

 そこは水の中。けれども色がなくて、あなたの前には黄色いペンキがあって、

 あなたの手は勝手にそれを持ってしまった。


 時間は山ほどにある。


 でもペンキは黄色しかなくて、あなたは一色しか出せなくて。

 水はでも一色で塗るにはあまりに単調すぎて。

 少なくとも青が欲しい。青を塗りたいと思ってしまうの。


 時間は山ほどにある。


 でもペンキは黄色しかなくて、あなたは一色しか出せなくて。

 それでも意地になって塗ろうとして刷毛を持ち上げてみて、

 やっぱり塗れない。そっと、ペンキの中に刷毛を落としてしまうの。


 時間は山ほどにある。


 でもペンキは黄色しかなくて、あなたは一色しか出せなくて。

 ふとポケットを見るとナイフが一本あって、そうか、

 これで手首を切れば真っ赤な血が吹き出すぞ。

 気付いたけれど、それでも水は塗れなくて、結局やめるの。


 時間は山ほどにある。


 でもペンキは黄色しかなくて、あなたは一色しか出せなくて。

 そして気付くの。時間を使えば良いことに。

 あなたは時間を使う。山ほどもある時間を使って緑を出す。

 それは色だけど色じゃなくて。

 そう、簡単な引き算。緑からあなたのいる黄色い時を引いてしまえば、

 綺麗な青が、そこには広がるの。


 あなたは脱出。その手にはペンキを持っていて。

 そのペンキの中からあなたは黄色の笛を手に入れる。

 あなたは笛に名をつける。

 それは花の蜜を吸って生きる華麗な模様の虫の名前。


 ある時あなたは黄緑色の生物に襲われる。不気味な眼をして凶悪な奴。

 あなたは必死で戦って、どうにかこうにか追い払う。

 傷だらけでそれでも歩き続けるあなたの前に。

 さっきの生物が再び現れる。


 四匹いて、そいつらは左から順に姿を変える。

 一匹目は大きな大きな鳥になる。翼を伸ばすと空を覆うほどの鳥になる。

 二匹目は武器になる。引き金を引くと弾が飛び出す人殺しのための武器になる。

 三匹目は鏡になる。あなたを大きく映し出す嘘映しの鏡になる。

 四匹目は彼女になる。足りないがために死んだ悲しい運命の少女になる。


 病気だった。確かに病気だった。彼女は病気だった。

 治るはずだった。その薬で。何もかも治す魔法の粉で。

 あなたの探してきたその粉で、彼女は治るはずだった。

 でも魔法は発動しなかった。笛の音がなかったから。

 だから彼女は死んでしまった。たった七つ、足りなかっただけで。


 あなたの中で何かのスイッチが入る。


 一匹目はナイフで目を突かれて死んだ。殺された。

 二匹目はあなたに重傷を負わせた。でもその後粉々にされた。

 三匹目は何のためらいもなく割られ、命を落とした。

 そして四匹目は――――


 あなたは泣いていて、真っ赤なナイフを手に泣いていて、

 目の前には少女の姿をした黄緑色の生物がいて、その手にもナイフがあって、

 殺さなければ殺されるのだとあなたは知っていて、それでも泣いて、

 ナイフを落とした。殺せなかった。


 泣いていた。


 四匹目はあなたを殺さない。口を開いた。

 心が死んでいないのならば、仲間を殺したことに目を瞑る。笛を集めろ。

 四匹目のナイフはいつの間にか黄緑色の笛になっていて、

 何もかも消えて行って、そこに笛と、泣いているあなたが残されるの。

 あなたは笛に名をつける。

 それは、……悲しい運命を辿った少女の名前。


 ある時あなたは緑の木に登る。その木は葉だけでなく幹も緑。

 ひたすらに上へ上へ。何があるのかはわからない。

 それでも上へ上へ。


 少し昔を思い出して。小さな頃を思い出して。

 あなたが木に登ると彼女も登りたがって。

 でも登れなくて。あなたが手を貸すの、いつも。

 そうすると彼女は怒るんだけどね。


 あなたはひたすら上へ上へ。高すぎて下は既に見えない。

 それでも上へ上へ。


 どうしてあなたはそんなに無理をするの?


 あなたはひたすら上へ上へ。爪が剥がれても腕の感覚がなくなっても。

 それでも上へ上へ。


 少し昔を思い出して。小さな頃を思い出して。

 木の上から二人並んで見る街の景色は凄く綺麗で、

 遠くの方で煙が上がると何だろうかと笑って話し、

 遠くの方に広がる青に、海だと名をつけはしゃいでみたり。


 あなたは今、何を思うの?


 煙が上がるのがパンを焼いているからではなくて、

 政府が行う火あぶりの刑だと気付いても、あなたは何も言わなかった。

 広がる青が決して海なんかではなくて、

 破滅の大地に近寄らないための警戒色をつけられた地域だと知っても、

 あなたは泣きもしなかった。


 どうしてあなたは、そんなに無理をするの?


 頂上に辿り着く。するとそこには一個の卵が置いてあった。

 どうにか必死で割ってみると、中から笛が顔を出す。

 震える手でそれを掴んで、

 あなたは笛に名をつける。

 それは緑の多かったあなたの過ごした小さな村の名前。


 ある時あなたは青い海を見る。間違いのない幻想ではない海を見る。

 初めてあなたは海を見る。それは本当に美しく。

 あの日見ていた警戒色地域のカラーリングより格段に美しく。

 ようやくここで涙を流す。


 傷だらけのあなたは海に近付く。

 波を知る。存在すら知らなかった事象をあなたは初めて目の当たりにする。

 白い波頭が崩れて消えて、

 再び涙が止まらなくなる。


 海に入ろうかと思って、しかし思いとどまって。

 あなたは海岸沿いで一夜を過ごす。

 おそらくこの辺りに笛があるはずだと、六番目の笛を探し始める。

 早朝からあなたの一日は始まるのね。


 笛は見つからない。見つけようと思って見つかるものではない。

 あなたはそれを知らない。

 探そうとすればするほど、あなたは深みに嵌る。

 抜け出せなくなる前に気付いて欲しい。


 あなたは休まず探し続ける。それが

 あなたを追い込むことになっているとも知らないで。


 そしてとうとうあなたは倒れる。海に向かって頭から倒れる。

 水飛沫。あなたは意識を失ったまま、仰向けのまま浮き上がって。

 沖へと流されて行く。潮の流れのままに。

 あなたを導く運命のままに。


 気がつくと水の上。あなたは身動きもままならない。

 動けば沈む。あなたは泳げない。

 どうしようもないあなたの元に船が近づいてくる。

 綺麗な女の人があなたを救い上げた。

 その女の人は首から青い笛を下げている。あなたは驚き、声も出ない。

 事情説明より何より先に、女の人は全てを知っている。

 笛をあなたに手渡すの。

 あなたは笛に名前をつける。

 それはあなたの知る唯一の海の名前。


 女の人は紫色の地図を出す。あなたはそれをのぞきこんで、

 これは何かと尋ねてみる。

 それが初めての質問だった。この旅に出てからあなたは人に物を尋ねていなかった。

 女の人は一点を指差し、ここが目的地ですとだけ説明する。


 そこはあなたの旅立ちの村。


 あなたは無言。


 女の人はあなたに告げる。紫の笛はそこで見つかると。

 あなたは泣き出す。子供のように突然大声で。

 どうしてもっと早く言ってくれなかったのだ。

 一つでも笛があったなら彼女の薬が少しは効果を持ったかもしれないのに。


 女の人は無言。


 運命はあなたを翻弄して止まない。でもね。

 運命はきっとみんなに平等なの。病気でも寿命でも、とりあえず

 どんな人にでも死が訪れるでしょう。

 結局、運命はそこのところで平等なの。

 どんな生き方をするかとか、成すべきことは何かとか、そういうことではなくて、

 死ぬんだ、という意味で運命は平等に皆の前にある。

 あなたはそれに気付いている?


 船が陸地に近付いて行って、あなたは複雑な気分。

 接岸した後、目的地まではまだ恐ろしい距離がある。

 だって、あなたの旅立った村には海がないんだから。


 でも心配は無用。


 女の人が呪文を唱えると船は空へと舞い上がる。

 そして空を進み始める。

 一直線に旅立ちの村を目指し進み始める。

 あなたの旅はもうすぐ終わる。

 でも決して

 あなたは喜ばない。


 すでに村はなく、私もすでに亡い。

 どうしてあなたは気付けなかったの。あなたはこの村を守っていたんだから、

 あなたがいなかったらこの村が存続できるわけないじゃない。

 あなたはどうして旅立ったの?

 笛を探して、それで、あの魔法の粉で何を治そうというの?

 あなたは考えていたの?

 この村に魔物が襲って来た時、あなたは何をしていたの?

 助けに来てはくれないの?

 みんなすごく苦しかったの。運命は平等だから。

 あなたは、なのにどうして、自らつらい道を行くの?

 彼女はすでに死んでいたの。運命は平等なんだから。

 あなたは、なのにどうして、それを引きずり続けるの?

 私は待ち続ける。確かにあなたをここで待っている。

 でも私も死んだの。

 私は語ることが出来てもそれを伝えることは出来ない体なの。

 何も知らなくてもあなたのことがわかるのは私がこの世にいないから。

 私には筆が残されている。でも書くことは叶わない。

 私には声が残されている。でも誰にも聞こえはしない。

 そうね。

 あなたは喜ぶのかしら。

 私には音のない楽器が残されているの。

 私には奏でられないから音のない楽器だけれど、あなたはこれを

 笛と呼ぶのよね。

 そして、それは紫色をしているの。

 あなたは怒るのかしら。どうしてそれを早く出さなかったのかって。

 でもね、あなたは気付いているの?

 あなたが笛と呼ぶものは、人間の骨で出来ているのよ?

 私の笛が紫なのは、私を食べようとした魔物同士が争って、

 血を流し、その血が骨に色を定着させたからなのよ?

 気付いているの? あなたは道を違えたわ。

 ああ、きっとあなたはもうすぐここにやってくる。

 悪魔の操る船に乗って、あなたがもうすぐここにやってくる。

 私はそれを待っているわ。

 あなたは何を成すのでしょうね?

 笛という美化された言葉で、その実生贄を必要とする魔法に手を出して、

 堕ちたあなたは、何を思うのでしょうね?

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