第18話 異常ばかりの日常
言われた通りにポーション作りの準備を始めるレティシアの姿を、自らも研究の準備を進めつつ、アルベールは横目に眺めた。
先日赤竜に襲われたばかりだというのに、レティシアは不自然なほどにいつも通りだ。
いくら偶然にも無傷だったといえ、一般的に言って魔物に襲われるというのは恐怖そのものである。
翌日どころか、一週間は寝込んだところはでおかしくはないだろう。
そもそも、一般的には魔物と遭遇すること自体がほぼない。
王都に住むものであれば、一生に一度もないことの方が普通である。
その上、彼女が遭遇したのは魔物の中でも最上位である竜種だ。
しかも話によれば、彼女は赤竜に掴まれた上に、上空から落とされたという。
果たして同じ目にあった場合、自分は彼女と同じように振る舞えるだろうか。
正直なところ、アルベールには自信がなかった。
(……まあ、私と彼女を比較したところで意味はありませんか。私と彼女は、明らかに違うのですからね)
何せ、彼女は特別だ。
魔の大森林に行きたいと言ったのも彼女の方からであったし、そこまで驚くようなことでもなかった。
(……アレに比べれば、その程度のことは些細なことでしょう)
そんなことを考えている間に、準備が終わったらしい。
いつも通りの機材の前にいつも通りの素材を並べると、レティシアはいつも通りに調合を始めた。
そして、いつも通りだからこそ、その光景はアルベールにとっては不可解でしかなかった。
機材も素材も調合方法も、その全てはアルベールの研究成果である。
だから、それ自体に不可解なところはない。
不可解なのは――
「――ふぅ。出来上がったのは、いつも通りに、ですか?」
「ええ。品質を調査した後で、保管しておきます。失敗作とはいえ、一応霊薬に変わりはありませんし、まだまだ貴重品ですからね。数もそこまでありませんから、いざという時の備えにしておくしかないでしょうが」
「分かりました、よろしくお願いします。……それにしても、勿体ないですね。数を揃えられれば、気軽に怪我を負ってしまった人に配ったりすることも出来ると思いますし、使い道は色々あると思うのですけれど」
「……そうですね」
レティシアの言うことは正しい。
霊薬が豊富に存在していた千年前とは異なり、現代で人の傷を癒す方法というものは、限られた方法しか存在していないからだ。
失敗作とはいえ、ポーションが気軽に使えるようになれば、その使い道はいくらでもある。
……量産することが来出れば、の話だが。
「やっぱり、もっと人が欲しいですね。レシピは既にあるんですから、あとは人手さえあればもっとポーションを量産することが出来るのですけれど……」
レティシアの言葉に返答することなく、アルベールはレティシアの作ったポーションを手に取ると、自席へと戻った。
ナイフを取り出し、指先を軽く傷つける。
うっすら血がにじむのを確認すると、傷つけた箇所に一滴だけポーションをかけた。
効果が現れたのは、その直後のことだ。
すぐさま痛みが引くと、一瞬で傷が塞がったのである。
「ふむ……いつも通りの品質ですね。問題はなさそうです」
「そうですか……ありがとうございます」
ホッとしている様子のレティシアを横目に、アルベールは心の中で呟く。
(まあ、いつも通りだからこそ、別の意味で問題なのですが)
レティシアの使用しているレシピは、確かにアルベールが研究の果てに作り出したものではある。
それを使用してアルベールがポーションの失敗作を作り出せたのも、事実だ。
問題は……アルベールがポーション作れたのは、最初の一度だけだということであった。
理由は分からない。
使用する素材も、各素材をどの程度必要かも、作成手順も、全てをメモしていたし、そのまま再現した。
だが、何故か再びポーションが出来上がることはなかったのだ。
レティシアとは異なり。
アルベールに問題があるのかもしれないとはもちろん考えたし、検証もした。
そもそも霊薬作りは、国家戦略の一つだ。
霊薬が大量に量産できるようになれば、兵の起用法が根本から覆る。
失敗作のポーションですら、軽傷程度ならば一瞬で癒せるし、重症にすら効果があるのだ。
騎士や兵士はもちろんのこと、他所ですら欲しがる者は後を絶つまい。
さらに、霊薬の中にはもっと上の効能を持つものもあれば、病などを癒す効能を持つものもある。
国を挙げて研究する価値が、十二分にある代物であった。
そんなものが、聖女が霊薬を作っていたというだけの理由で、千年もの間放置されていたとは――
「……まったく、心底愚かなことです」
「えっと……何か言いましたか?」
「いえ、申し訳ありません。ただの独り言ですよ」
そうですか? と首を傾げるレティシアに笑みを返しながら、本当に愚かだと、アルベールは口の中だけで呟く。
むろんそこには、様々な事情があったのだろう。
現代を生きる自分達には理解出来ない何かがあったのは分かる。
だがそのせいで、現状があるのだ。
愚か以外言うことはなかった。
「……まあ、愚かと言うのであれば、私も人のことは言えませんが」
ポーション作りを続けるレティシアを横目にしつつ、アルベールは自嘲の笑みを浮かべる。
彼女と比べれば、自分の愚かさは一目瞭然だ。
今までのレティシアの言動を考えれば、彼女が何も知らずここにいるのは明らかであった。
国家戦略であり、それを抜きにしても非常に便利な代物である霊薬を作成するのにもっと人手があった方がいいというのは道理だ。
だが、そうできない理由というものがあった。
まず、単純に薬師になろうという者がいない。
元々薬師という職種は最下層に位置する。
下手をすれば奴隷の方がマシと言われるほどで、それは王宮所属になろうとも変わらない。
ただ、それでもなろうとする者は、もちろんいるにはいた。
しかし、アルベール達が所属する王宮付きの薬師は、ただの薬師ではない。
霊薬の開発や研究という、今でも民間では禁じられたままの、ほんの一年前に僅かにだけ解禁されたものを扱う職業だ。
相応の知識や教養といったものが必要とされ、だがそもそもそういったものを持つ者はわざわざ薬師になろうとは思わない。
増やしたいのに増やせないのは、そういう理由からであった。
(もっとも、増やしたところで、結局は意味がない気がしますが)
そんなことを考えている間に、レティシアがもう一本ポーションを完成させていた。
きっと彼女は、想像だにしていないのだろう。
あのレシピを使ったところで、当たり前のようにポーションを量産できるのは、彼女だけだということを。
彼女のことを観察し、まったく同じようにポーションを作ろうとしてみたのに、やはりアルベールは失敗するだけで、他に極秘に何人かに協力させてみても、同じ結果に終わったことを。
そのせいで彼女の扱いは慎重を期す必要が出てきて、人を増やせないのはそれも理由の一つであることを。
アルベールがポーションの研究をしていることになっているのは、本当は何の役にも立たないことを隠すためだということを。
薬師になりたい理由を尋ねた時に、人の役に立ちたいからだと、澄んだ瞳で告げた彼女は、世界には愚かなことばかりが蔓延っているということなど、考えたことがないに違いない。
(……もしかすると、千年前に存在していたという聖女とは、彼女のような人だったのかもしれませんね)
誰かに知られたら、異端認定されること間違いなしなことを考えながら、アルベールは溜息を一つ吐き出すのであった。
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