第17話 いつも通りの日常

 レティシアは王宮の一角に住んでいるが、仕事場までは多少距離がある。


 それでも歩いて十五分程度なのだから十分近いが、ある程度歩かなければならないことに違いはない。


 とはいえ、レティシアはその時間を割と気に入っていた。


 道中に何があるわけでもないのだが、何となく懐かしい気分になって穏やかな気持ちになれるからだ。


 その理由をレティシアはずっと分からなかったのだが、今のレティシアならば理解出来た。


 この場所が本当に懐かしいから――千年前にレティシアが過ごした場所だからだ。


 今でこそ魔王が住む王宮となっているが、元々ここは前世のレティシアが生まれ育った国の王宮なのである。


 レティシアが王女をやっていた国は、人類側の国の中で最も大きく、王宮もまた相応なものであった。


 魔王達はそれをそのまま利用したようだ。


 もっとも、さすがに千年経っているだけあってレティシアの記憶通りというわけではない。


 そもそも千年の間に何度も改築と増築が行われているのだ。


 まったく違うものになっていたところで、不思議はないだろう。



(その割に、結構原形は留めているのよね。少なくとも、わたしが懐かしいと思える程度には)



 増築と改築を繰り返した結果、この王宮は元の王宮の五倍以上の大きさとなっている。


 その結果、元の王宮だった場所は端に追いやられることになったわけだが、それでも全体的に統一感があった。


 元の王宮の様相を踏襲しているというか、どこを見ても違和感がないのだ。


 ある意味当然のことかもしれないが、レティシアが訪れたことのある魔王城はこことはまるで違う様相であった。


 普通に考えれば、むしろそっちに合わせていくと思うのだが……。



(魔王もこちらの方が気に入った、ということなのかしらね……?)



 それにそういうことならば、納得できることもある。


 この王宮もそうなのだが、全体的に建物の外見が変わっていないのだ。


 冷蔵庫や時計など、千年前には存在していなかったものが色々あるというのに、建物に関しては千年前とそれほど違いがないのである。


 王宮も確かに大きくはなったものの、もっと変化があってもよさそうに思う。


 たとえば、縦に大きくなるとか。


 今の技術であれば、十数階とかいう建物がそこら中にあってもおかしくなあそうな気がするが、現実にある民家は大半が精々二階建てだ。


 それでいて、壁の材質やら家の中とかは千年前とはまるで違うのだから、外見に変化がないことの方にこそ違和感があった。


 まるで、変わることを頑なに拒んでいるかのようだ。



(自然とそうなったとは考えづらいから、意図的にそうしているのだとは思うだけれど……何故なのかしらね)



 考えられるとすれば、フェリクスあたりだろうか。


 元々エルフは長命種ゆえに変化を嫌う者が多いという話を聞いたことがある。


 フェリクスはそんなことはなかったと思うが、実際にはそういうところもあって、それで建物の外見を変えることは許されなかった、というのならば一応の筋は通っているように思う。


 宰相ならばそのぐらいのことは出来るだろうし、全ての変化を禁じているわけではないのだ。


 建物の外見を変えない程度のことならば、許容範囲だろう。



(まあ何にせよ、わたしとしてはありがたいのだけれど)



 レティシアには今生を過ごしてきた記憶もあるが、前世の頃と比べると比較的平穏だったせいか、どうにも前世の感覚の方が強いようだ。


 千年前とは色々変わってるせいで戸惑うことも多く、そんな中、建物の外見だけでも変わっていないというのは、正直かなり助かっていた。



(フェリクスにまた会うようなことがあったらお礼を言った方がいいのかしらね。まあ、そんな機会はないでしょうし、お礼を言ってしまったらわたしが記憶を持っているってばれてしまうでしょうから、実際には色々な意味で無理なことだけれど)



 それでも、もしもそんな機会が訪れるとしたら、フェリクスは果たしてどんな顔をするだろうか。


 決して起こりえないことだが、だからこそ考えてみるとちょっと面白い。


 もしかしたら、希少なフェリクスの表情筋が仕事をする場面が見れるのかもしれないと、そんなことを考えながら、レティシアは感じる道を進んでいくのであった。






 レティシアが仕事場に着くと、アルベールが先に来ていた。


 既に仕事を開始しているところを見る限り、かなり早く来たようだ。


 そしてこの光景は、レティシアがここに配属されて以降、毎日見ているものであった。



「おはようございます。相変わらず早いですね」


「おはようございます。それを言ったら貴女も十分早いと思いますよ? 私は単に家にいても何もやることがないから自然と早く来てしまっている、というだけですからね」


「それはわたしも同じなのですけれど……」



 しかし一人暮らしをしているレティシアとは違い、アルベールは確か家族と一緒に暮らしているということだったはずだが、意外と家の中では身の置き場がなかったりするのだろうか。


 帰りもレティシアより早く帰るということはないし、何か複雑な事情があるのかもしれない。


 とはいえ、それを尋ねるのは踏み込み過ぎというものである。


 代わりに別の言葉を口にした。



「ところで、ディオンはまだ来ていないんですね?」



 別に他意があったわけではないが、本来護衛というのは護衛対象よりも先に来ているものだ。


 でなければ護衛の意味がない。


 根が真面目なディオンのことだから、レティシア達よりも先に来ていて、その上でようやく来たのかとか言いそうなものだが――



「ああ。あの馬鹿でしたら、周辺の見回りをしていると思いますよ? ここにいたところで目障りなだけですからね。というか、実際目障りでしたし」



 アルベールの反応からすると、レティシアの想像はそう間違っていなかったらしい。


 それでいいのかとも思うが、元々レティシア達には護衛などいなかったのだ。


 少なくともレティシア達は困らないし、問題はないだろう。


 と、そこまで考えたところで、一つ思い出した。



「ディオンで思い出したのですけれど、昨日の薬はどうなりましたか?」



 昨日の今日で何かが分かるとは思えないが、アルベールの作業台の上には見当たらなかった。


 とはいえ、諦めるとは思わないので、気になったのだ。



「ああ、アレでしたら、提出しましたよ」


「提出、ですか……?」


「ええ。まだ具体的な効能など分かっていないことは多いですが、ここで作られた成果物であることに違いはありませんからね。何もしていないごく潰しだと思われては困りますから、一先ず上に成果物ということで提出しておきました」


「なるほど……」



 アルベールの言い分は納得できるものであった。


 ついでに、何故二つ必要だったのかもようやく理解する。


 一つは提出用で、一つは研究用、ということなのだろう。


 レティシアの職場であるここは、霊薬研究所などと呼ばれている。


 研究所という名前は決して大げさではなく、ここには様々な研究用の器具があった。


 レティシア達が今いる場所にあるのは基本的な調合用の器具と基本的な調査用の機材だけだが、他の部屋には大きすぎて動かせないようなものまである。


 昨日の霊薬も、おそらくはそのどれかで調査しているのだろう。


 レティシアの知っている通りならば、無駄に終わってしまう可能性が高いが、昨日のディオンの様子を見る限り、何かレティシアの知らないことが判明する可能性もある。


 正直、結果が出るのが楽しみだった。



(……ところで、それはそれとして、嬉しそうではないわね)



 成果を出し、その結果を報告したのである。


 その評価がどうなるかは分からないが、少なくともまったく評価されないということはあるまい。


 だというのに、アルベールにはまったく嬉しそうな様子がなかったのだ。



(自分で作ったものではないから、と考えることも出来るけれど、そういうのとも違いそうなのよね。まあ、それほど不思議でもないのだけれど)



 そもそも、誰かから評価されるとか、そういうことを目的とするには、薬師は最も向いていない職業である。


 それを考えれば、アルベールが嬉しそうでなくともおかしくはなかった。


 と、そんなことを考えていると、アルベールが、さて、と呟いた。



「とりあえず、本日もそろそろ仕事を始めるとしましょうか」


「あっ、そうですね……分かりました」



 話をしているうちに、仕事を始める時間となっていたようだ。


 レティシアはアルベールさんの言葉に頷くと、少し急いで準備を始めた。


 とはいっても、いつもやっていることなので、そこまでやることはないのだが。



「今日の仕事もいつも通りで問題ないですか?」


「そうですね……昨日のものは一先ずあれ以上は必要ないでしょうし、上からは特に何も言われてはいません。なので、いつも通りで問題ないでしょう。いつも通り――失敗作の精製です」



 自嘲気味に呟かれたアルベールの言葉を、レティシアは否定しなかった。


 実際その通りだからである。


 レティシア達の仕事が、普通の薬師のそれとは異なり、霊薬を作ることにあるというのは既に述べた通りだ。


 だが、レシピが現存していない以上は、研究も必要である。


 そして結論から言ってしまえば、その研究は成功していた。


 アルベールが一年かけて研究を進めることで、霊薬の中で最も基本的なものであるポーションを作れるようになったのである。


 もっとも、実際にはあくまでもポーションを名乗っても問題のないレベルのものを作れるようになったというだけで、効能面で考えると、千年前に作られたものと比べて明らかに低かった。


 だからこそ、アルベールはそれを失敗作と呼んでいるのだ。


 肝心のレシピは失われ、限られた数の現物と僅かな情報だけが残されている、という状況からそこまで出来たというだけで十分凄いことだと思うのだが――



(……まあ、わたしが何を言ったところで慰めにはならないわよね)



 所詮はろくな実績も持たない人間の言葉である。


 それで満足してくれると思うほど、自分を高くも、アルベールを低くも見ていなかった。


 ともあれ、レティシアがやることは、言われた通り、彼曰く失敗作のポーションを作ることである。


 ちなみに、それをやるのはレティシアだけだ。


 アルベールは、ポーションの効能を引き上げるために、ポーションの研究を行うからである。


 これは単純にアルベールの方が先に王宮所属の薬師になったからだが……正直なところ、レティシアはそれで助かった思いであった。


 レティシアに研究しろと言われても、既に正解を知ってしまっているのだ。


 上手く誤魔化せると思うほど、レティシアは自分のことを器用だと思っていない。



(とはいえ、いつかはわたしも研究しなければならないかもしれないのよね……その時はどうしようかしら)



 いつか訪れるであろう時に漠然とした不安を覚えるものの、少なくとも今はその時ではないのだ。


 そんな不安から目をそらし逃れるがごとく、レティシアは記憶を取り戻す前と同じように、ポーションを作るために機材と素材の準備を始めるのであった。

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