第16話 千年後の今
薄い膜を突き破るような感覚で、目が覚めた。
ぼんやりした頭で周囲を見回し、ここが自分の部屋だと認識する。
ただ、寝た記憶がなかったせいで、僅かに混乱し、だがそれもすぐに収まった。
(……そうだわ、考えすぎて頭が痛くなってきたから、半分開き直って寝たのだったわね)
――考えたところでどうにもならない。
それがレティシアが昨日一日考えた末に出した結論であった。
より正確に言うならば、今のレティシアではそれ以外の結論を出せるほどの知識がない、と言うべきか。
千年前と霊薬に関してだけは別だが、今の世でそれらがどの程度の扱いをされているのか、ということはよく分かっていないのだ。
それどころか、おそらく一般常識と呼ばれるものも足りていない。
そんな状態で何を考えたところで、見当違いの結論を出してしまうだけだ。
だから、色々なことは一先ず置いておいて、とりあえず今まで通りの生活を続けていこう、という結論を出したのである。
(……まあ、霊薬に関してだけは、どうしようかまだ迷っているのだけれど)
霊薬に関する全てを公開することは出来ない。
一度死んだ記憶を持っているからこそ、レティシアは今度こそしっかり生き抜きたいと考えている。
そのためには、聖女と疑われるような行動は厳禁だ。
とはいえ、だからといって何もしないでいられるほどレティシアは冷酷にもなれない。
霊薬を使えば、きっと沢山の人を救うことが出来る。
そこから目をそらし、自分勝手に生きられるほど、レティシアは強くはなかった。
(全てを捨てて自分だけがよければそれでいい、と生きられたら楽なのでしょうけれど……)
それが出来ない性分なのだから仕方がない。
ゆえに、折衷案として、助けられるならば助けよう、ということにした。
全ては救えないけれど、せめて自分の手が届く人だけは助けよう、と。
(ひどい自己満足だけれど……だからといって何もしないというのは、それはそれで違うものね)
一つだけ気になるのは、そんなことをやっていたら聖女だと疑われてしまうのではないか、ということだが……それに関しては、おそらく問題ないはずだ。
霊薬に関してならば、今の世でレティシアが最も詳しいという自信がある。
だから、押し通してしまえばいいのだ。
本来の効能は隠すとか、偶然出来たと言い張るとか、祖母の家にあった本で読んだとか。
どうせ誰も何が本当かなんて分からないのである。
そうして誤魔化してしまえば、きっと聖女だなんて疑われることはないはずだ。
(実際アルベールさん相手にはそれでいけたものね。問題ないはずだわ)
それに、薬師として何の実績もないレティシアより、アルベールが何かをしたと普通は考えるだろう。
レティシアは変に挙動不審な態度をとったり、余計なことを口走らないようにすれば大丈夫なはずだ。
(ディオンだけは少し心配だけれど……まあ、きっと大丈夫よね)
ディオンは言動こそアレだが、それでいて根は真っ直ぐだ。
真っ直ぐすぎて戦闘の時は常に正面から正々堂々と戦おうとするので、非常に戦いやすかったぐらいである。
昨日のことも借りだと捉えるだろうし、そうなればレティシアが聖女だと言いふらしたりはしないだろう。
敵だった相手のことを信じるというのも妙な話だが、敵だったからこそレティシアはディオンのそういうところは信じられると思った。
「っと……のんきにそんなことを考えている場合じゃなかったわ」
今日こそは仕事があるのだ。
あまりのんびりしているわけにもいかない。
幸いにもそこまで急ぐような時間ではないが、ぼーっとしていたらあっという間に過ぎていってしまうのが時間というものだ。
特に今生になってからは、それを顕著に感じるような気がする。
(まあ、実際には気のせいなのでしょうけれど。それでもそう感じるのは、やっぱりコレがあるからかしら)
そんなことを考えながら、レティシアは枕元の時計へと視線を向ける。
時計――それは、千年前には存在していなかったものだ。
もちろん時間を知る方法はあったものの、街に必ずある時計塔の鐘の音で知るのが普通で、それも一時間に一度という頻度であった。
それ以外に正確な時間を知る方法はなく、今思えばかなり大雑把な時間感覚で動いていたものだ。
だというのに、今では一秒単位で時間は計られ、それを知るための道具を庶民ですら所有することが出来るというのだから、世の中は随分変わったものである。
(千年経っているのだから、当然ではあるのだろうけれど)
改めて考えてみると、そういった物は多い……というか、そんなものばかりだ。
千年前は王女だったこともあり、随分恵まれていたと感じていたものだが、正直その頃よりも今の方が圧倒的に便利だと思える。
千年という月日は凄いものだと、改めて感じた。
そういう意味では、今横になっているベッドなども、その一つか。
正直寝心地で言えば、千年前と大差ない。
王宮内に住んでいるとはいえ、レティシアの部屋にある家具などは全て持ち込みだ。
つまり庶民が普段使っているものであり、言ってしまえば安物である。
それなのに、千年前には最高品質であっただろうベッドと同等だというのは、本当に考えてみれば凄いことである。
そんなことを考えながら、レティシアはゆっくり起き上がった。
色々と考え事をしていたからか、眠気は完全に去っている。
そのまま何となく部屋の中を見回し、思わず苦笑を浮かべた。
(昨日も思ったことだけれど、我ながら殺風景な部屋よね)
無駄なものが一つもない、というか、多分年頃の娘として考えると、必要なものすらない。
飾り気はまるでないし、整理整頓が行き届いていると言えば聞こえはいいものの、要は物がないだけだ。
さすがにその点だけで言えば、千年前の方が上だろう。
(まあ、王族だったということに加えて、色々と王族らしくということで色々用意されたからだけれど)
とはいえ、本当に用意されただけで、活用されることなどなかった部屋であった。
無用の長物と化していたことを考えれば、今の方マシだろう。
たとえ誰かに嘆かれたとしても、だ。
(わたし自身がこれが一番だと思っているのだもの。なら、これでいいのよね)
そう結論付けると、レティシアは部屋の片隅にある冷蔵庫へと足を向けた。
これもまた千年前には存在していなかった文明の利器だ。
ただ、他とは違って、それは少しだけ高級品であった。
普通の冷蔵庫であればそうでもないのだが、その冷蔵庫は通常の冷蔵・冷凍に加え、時間の流れを最大で十分の一にまで遅くする効果が付いている。
一人暮らし用の小さなものだが、冷蔵と冷凍しか出来ない大型の冷蔵庫の何倍もの値段がする代物だ。
これを買ったせいでそれまで貯めていたお金の大半が吹き飛んだものの、それに見合った価値のあるものだと満足している。
(これのおかげで、食事をするのが随分楽になったものね)
そんなことを考えながら冷蔵庫の扉を開ければ、中には出来合いの総菜がびっしり詰まっていた。
普通の冷蔵庫ならば食べる前に駄目になってしまうだろうが、時間の流れが十分の一になっているため問題はない。
ちなみに、自分で作ったものではなく、買ってきたものだ。
祖母と二人暮らしだったため、レティシアも料理はそれなりに出来るのだが、料理に時間をかけるならば薬のことを学ぶ時間の方に時間をかけたいため、特に王宮で薬師になってからはほとんど料理をしたことがない。
総菜が冷蔵庫にびっしり詰まっているのも、買いに行く手間を省くためだ。
わざわざ王宮から出て王都の方にまで買いに行かなければならないので、割と時間がかかってしまうのである。
ついに言えば、総菜は美味しいものではなく、手早く食べられるものが多い。
これも食事の味よりも食事に費やす時間を短縮することを考えているからだ。
(もちろん美味しいものの方が嬉しいけれど、それよりも時間の方が大切だものね)
この辺は前世の頃からそうだったので、もはや習慣と呼ぶべきかもしれない。
それでも祖母が一緒にいた頃は何だかんだでしっかり料理はさせられていたし、食事も摂らされていたのだが……前世で確立してしまったものは既に変えることが出来ない、ということなのだろう。
記憶がなくてもそうだったのだから、筋金入りだ。
(まあ、わたしは困っていないし、むしろそう望んでやっているのだから、問題はないのだけれど)
ともあれ、今日も手っ取り早く食事を摂り、それから仕事場へと出かけるとしよう。
昨日は霊薬を三つしか作っていないためか、どうにも身体がうずいて仕方ないのだ。
魔の大森林から採ってきた素材も色々あるし、そこから作れる霊薬は色々ある。
聖女とバレないためには、素直にそれらを作ってしまうわけにはいかないが……それでも、そのことを考えると自然とレティシアの口元は緩むのであった。
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