第14話 とある聖女の結末
その瞬間にアリエルが思ったことは、なるほど、というものであった。
何に納得したのかは自分でも分からないが、ともかくそう思ったのだ。
自分の胸から突き出している鋭く尖った切っ先を眺めながら、なるほど、と。
そんなことを考えながら振り返れば、視界に映ったのは想像した通りの姿であった。
いつも通りに何の表情も浮かべることなく、フェリクスがが持つ剣がアリエルの身体を貫いていたのだ。
(……不思議と、何故、とは思わないものね。むしろそのことに、わたし自身が驚いているわ)
フェリクスのことは、もちろん本当に仲間だと思っていたし、まさかこの状況で後ろから刺されるなんて想像だにしていなかった。
だが……あるいは、その姿があまりにもいつも通り過ぎたからかもしれない。
(彼はわたし達の中で、頭脳役だったものね)
作戦を立てるのはいつもフェリクスの役目で、そしてフェリクスの下した判断が間違っていたことはなかった。
アリエス達はそれに、何度助けられたか分かったものではない。
もちろん最初は反発するようなこともあったが、後から考えてみれば結局彼が正しかった、ということも少なくない。
(だから、今回もそういうことなのかもしれないわね)
何が悪かったのかは分からない。
だが、アリエルはきっと何かを間違えてしまったのだ。
だから、こうなった。
と、そんなことを考えた時のことであった。
「……ふんっ。なんだ、その顔は? まるで、自分のことを裏切った男のことを未だに信じてるとでも言いたげな顔だな?」
刺された時よりも余程驚いた、というのが、その時のアリエルの心境であった。
フェリクスから罵られたことに対して、ではない。
フェリクスから小言をもらうのは珍しいことではなかったので、それに関しては正直何とも思わなかった。
そんなことよりも驚いたのは、フェリクスが顔を歪め、そこに嫌悪を表していたからである。
フェリクスはいつだって冷静沈着であった。
どんな時でも表情を崩さず、さすがは勇者パーティーの頭脳だと、表情筋が死んでいるのではないかと言われるぐらいには、その顔に何の感情も浮かべることはなかった。
少なくともアリエルは見たことがなく……初めてのことだったから、心底驚いたのだ。
しかし、そんな驚きも長くは続かなかった。
驚いてる場合ではなくなったからだ。
「――これだから聖女は。度し難い愚かさだ。心底虫唾が走る」
そんな言葉を耳にした直後、アリエルの視界がぶれた。
鈍い痛みを感じるのと共に、視界に石畳の地面が映る。
地面に叩きつけられたのだと気付いた瞬間、頭上で魔力が膨れ上がるのを感じた。
「ここまでされれば、さすがに理解出来るか? まあ、今更理解したところで、意味はないがな」
吐き捨てるように告げられたのと、膨れ上がった魔力が分裂しアリエルの身体へと叩きつけられたのは同時だ。
自分の身体を貫く音と地面が砕ける音が耳に届き、伝わってきた痛みに思わずうめき声が漏れる。
しかもそれは、一度では終わらなかった。
続けて痛みが襲い、漏れた声は響いた音に飲み込まれていく。
何度も何度もそれが続き……果たしてどれだけの時間続いただろうか。
気付いた時には音は止み、代わりに身体の全身が痛みを訴えかけていた。
それでも、意識がもうろうとはしていたものの、死んではいなかったのだが……そのことに苛立ったかのような声が聞こえた。
「……これでも生きてるとは、本当に忌々しいな」
その声は本当に忌々しそうで……そのことに、アリエルは少しだけ不思議な思いがした。
ここまでフェリクスが感情をむき出しにしているのは、本当に初めてだからだ。
(……まあおそらくは、現実逃避も含まれているのだろうけれど)
ここまでされても、アリエルはまだフェリクスのことを信じている。
だが、何かの間違いなのではないかという思いも、やはりあるのだ。
と、そんなことを考えられていたのも、そこまでだった。
「――ま、さすがは聖女ってことなんだろうね。だからこそ聖女って言うべきかもしれないけど」
不意に聞こえた声は、妙に違和感を覚えるものであった。
聞き覚えのある声ではない。
しかし、同時にどことなく聞き覚えのある声のようにも思えたのだ。
どういうことなのだろうかと思い、すぐにそれどころではなくなった。
「――魔王か」
そうなのだろうと、思ってはいた。
今の状況で、アリエルに聞き覚えのない声を発する者など他にいまい。
だが分かってはいても、さすがに平静ではいられなかった。
ここまで来た目的が、今まで旅をしてきた理由が、すぐそこにいるのだ。
ここで何も感じないようであれば、きっとアリエルは最初からこの旅に同行していなかっただろう。
たとえ今更自分に出来ることなど何もないと分かっていたとしても、である。
「随分早かったな。予定では、もう少し後だったはずだが?」
「そりゃ急ぐさ。実質これが人類と魔族の……いや、この世界の未来を決める分水嶺だ。さすがに高みの見物をしているわけにはいかないさ。それに……どうやら、急いで正解だったみたいだしね」
「……ふんっ。そうか」
フェリクスと魔王が親し気に話していることに対し、疑問はなかった。
何となくそうなんだろうなと思っていたからだ。
「それで?」
「それで、っていうのは、僕の台詞な気がするんだけど……? それで……君は一体どういうつもりなんだい? 彼女、もう虫の息じゃないか。約束と違う気がするんだけど?」
「別に違えてはいない。そもそも最初から、可能ならば、という話だったはずだ」
「それはそうだけれど……つまりこれは、必要なことだった、ってことかい?」
「無論だ。ただしそれは、どちらかと言えば俺の感情的な問題で、だがな」
二人の話を聞きながら、アリエルはジッと息をひそめていた。
そんなことをしなくとも虫の息ではあるが、だからこそだ。
せめてどうしてこんなことになってしまったのかを、少しでも知りたいと思った。
「感情的問題、か……そこまでしなければならないほど恨んでる、とでもいうつもりかい?」
「――ああ、その通りだ。俺は聖女という存在を、これ以上ないほど憎んでいる。聖女など、害悪でしかない。最低最悪の代物だ」
その言葉には、さすがに息を呑んだ。
ここまでの態度から、嫌われているのかもしれない、とは思っていたものの、そこまでとは思っていなかったのである。
「へえ……随分言うじゃないか。彼女はただの聖女ではなく、救国の聖女とまで呼ばれているというのに。実際彼女の創り出した霊薬によって、沢山の命が救われているはずだけど?」
「ふんっ……救国? 傾国の間違いだろう? 確かに、聖女によって創り出された霊薬によって数多の命が救われたのは事実だ。だがそれは、数多の命が危機に陥ったということでもある。そしてそれは、そもそも聖女がいなければ起こらなかったことだ。それは全て、人類と魔族の戦争で起こったことだからな」
「ふむ……まあ、確かに。人類と魔族の間で戦争が起こること自体は珍しいことじゃないけど、ここまで大規模な戦争に発展したのは初めてだからね。魔族は力はあっても数が少なく、何よりも保守的だし」
「ああ。魔族は基本的に専守防衛だ。わざわざ攻めなければ反撃してくることはない。そして人類側にも、魔族を攻めるほどの余裕はなかった。だから今までは、戦争とは言いつつも、実質魔王と勇者の間で行われる代理戦争でしかなかった」
その話はアリエルも聞いたことがあった。
だから、人類と魔族の関係はいつまで経っても変わっていないのだとも。
戦争が終わったと言っても魔王を倒しただけで他の魔族は健在であるため、次の魔王が生まれてしまい、結果変わらぬ関係が続いてしまっているのだ、と。
本当に人類と魔族の争いを終わらせたかったら、魔王だけではなく主だった他の魔族も倒さなければならないと――
「だが、聖女が全てを変えてしまった。戦争によって生じた怪我人を癒し、出るはずだった死人をなくした。その結果、人類側は戦争を行えるだけの余裕が出来た……いや、こう言うべきか。欲が出た、とな」
「長い間手を出せなかった魔族達の住まう土地を奪い、魔族達をも従わせようとした、か。君達エルフに対して、そうしたように」
「……そうだ。アレもまた、当時の聖女のせいだった。聖女の存在は、全てを狂わせる」
「それはさすがに聖女に全てを押し付けすぎな気もするけど? 彼女達だって、好きで聖女になったわけじゃないだろうに」
「そんなものは言い訳に過ぎん。善意の結果だから見逃せとでも言うつもりか? 甘えるなという話だ。人を助けたいだけならば、薬師にでもなっていればよかった。聖女が嫌ならば、逃げていればよかった。選択肢がありながらも選ばなかった時点で、責任を負う義務がある」
それは魔王に言っているようでいて、アリエルに言っているようでもあった。
反論の余地のない言葉に、アリエルは黙って聞いていることしか出来ない。
「……君の考えはよく分かったよ。君が聖女のことをどれだけ憎んでいるのかってこともね。でもそういうことなら、尚のこと彼女の身柄はこっちに渡した方がいいんじゃないかな? この場で殺すよりもよっぽど惨めで、屈辱を与えた上で、苦しめながら殺すことが出来るよ?」
「生憎と、悪趣味な見世物に興味はない。何よりも、俺の感情は俺だけのものだ。他の誰かにくれてやるつもりはない」
言葉の直後、視線を感じた。
痛む身体に鞭を打って顔を向けてみれば、フェリクスがジッと見つめてきている。
そんなフェリクスに何かを言おうと口を開き……だが、結局言葉になることはなかった。
この期に及んで、一体何を言えばいいのか分からなかったのだ。
そんなアリエルに失望したのか、フェリクスは一度目を細めると溜息を吐き出し、右手を振り上げた。
そこに握られているのは、彼の愛用の剣だ。
とはいえ、フェリクスがそれを使用するのは非常に珍しい。
フェリクスが戦闘で使用するのは、基本的には弓だからだ。
しかも、接近されたところで、やはり剣を使用するのは滅多にない。
接近されても弓を使うぐらいには、剣よりも弓の方が得意だからだ。
(……それと、あの剣は曰く付きのものだから、だったかしら)
ふと、いつだったか聞いた話を思い出す。
フェリクスの愛用している剣は、エルフに代々伝わる宝剣だという。
エルフを仇なす存在を滅するためのものだという話で――
(それを向けられているわたしは、彼の中ではそういうものだったというわけね)
そう思いながらフェリクスの顔を眺めてみれば、そこにあったのは、やはりいつも通りの無表情であった。
あれだけ感情が何だと言っていたくせに、何の表情も浮かんではいない。
まるで、そんなものが介在する余地はないとでも言わんばかりに。
(なら、これはやっぱり、いつも通りに彼が正しいのでしょうね。……間違っていたのは、わたしの存在そのものだった)
その確信と共に、目を閉じる。
これからどうなるのか、皆がどうするのか、それはちょっと気になるが……まあ、きっとどうにかなるのだろう。
アリエルは間違っていたが、彼は女神に選ばれた勇者パーティーなのである。
アリエルなんかが気にする必要などないぐらい、いいようになるに決まっていた。
だから、それ以上何も考えることはなく。
直後、振り下ろされた刃によって、アリエルの首が、落とされた。
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