第13話 黒の王

 魔族にとって……というより、今の世の中にとって、黒という色は特別だ。


 それは魔族の中で魔王だけが黒を持つため……歴代の魔王の全てが、黒髪黒瞳だからであった。


 そして不思議なことに、魔王の血族以外に黒髪黒瞳を持つ者は生まれてこないため、黒な特別な最上の色とされているのである。


 使うことを禁止されているわけではないが、非常に敬われているため、滅多なことで使われることはない。


 一般人が人生で使うことは一度もない、と言ってしまっても過言ではないほどだ。


 しかし、それを理解していながら、レティシアが黒の髪色を見て咄嗟に思い浮かべたのは、勇者であった。


 何故ならば、勇者もまた、黒髪黒瞳だったからである。


 もちろん、勇者が魔王の血族だった、というわけではない。


 あくまでも今の世では魔王の血族以外に黒髪黒瞳がいないだけで、千年前は勇者もそうだった、というだけだ。


 そしてレティシアにとっては、顔を見たこともない魔王よりも、ずっと共に旅をしてきた勇者の方が馴染み深いというだけのことであった。


 とはいえ、だからこそその呟きは無意識であったし、独り言に過ぎない。


 だが、どうやら運悪く相手に聞こえてしまったらしかった。


 呟いた直後、その人物がレティシアの方へと振り向いたからである。



「……勇者、か。まさか今の世でその名前を耳にするとはね」


「え……?」


「いや。なんでもない、独り言だよ。それより、申し訳ない、邪魔をしちゃったかな?」


「い、いえ、どちらかと言えばわたしの方が邪魔をしてしまったのではないかと……」


「僕はここでただボーっとしてただけだからね。邪魔も何もないさ」


「だからこそ、邪魔をしてしまったということになると思うのですけれど……あの、ところで一つ確認なのですけれど。魔王様、で合っています、よね?」



 本来それは、確認するまでもないことであった。


 確かに魔王以外でも魔王の血族ならば黒髪であってもおかしくはないが、魔王以外をレティシア達が目にすることはないからである。


 それを理解していながら確認したのは、レティシアは魔王の顔を見たことはないからだ。


 肯定されることが分かっていたとしても、念のために尋ねておく必要がある。


 しかし、そんなレティシアの予想に反し、その人物は首を横に振った。



「いや、僕は魔王じゃないよ」


「え……? でも……」



 王宮内であろうと、魔王以外の者が姿を現すことはない。


 それは千年前の頃からの名残であり、魔王が世界を征服した当時、魔王は様々な者から狙われていたという。


 そこで、家族の身を守るため、人目のつかない場所から出ないようにしたのだとか。


 その慣習は今も続いており、だから、魔王以外の血族がこの場にいるはずがないのだが――



「まあ、正確に言うなら、まだ魔王じゃない、と言うべきかな。まだ即位してはいないからね」


「……ああ。なるほど」



 魔王でない者が人前に出ることは基本的にはないが、一つだけ例外が存在している。


 それは、その者が近いうちに魔王となる場合であった。


 魔王になれば必然的に人前に出る必要があるため、慣らしとして少し前から人前に姿を出すようになるのだ。


 そして現在、魔王の座は空席となっていた。


 今から十六年ほど前に、当時の魔王が亡くなってしまったからだ。


 しかも次の魔王を即位させようにも、その権利を持つのは亡くなった魔王の一人息子のみであり、その息子も生まれたばかりだったという。


 そのため、幼い子供を魔王の座につけるのはさすがに、ということで、執務等の魔王の代わりは宰相が果たすことになったという話だ。


 そしてその状態は今も続いており、今のところそれで問題は起こっていないが、それでもやはり魔王が不在だというのは不安も不満も多い。


 一刻も早い新たな魔王の即位が望まれているため、その時が来るのも近いという噂が流れているが――



「……噂は本当だった、ということかしら?」


「うん? それはもしかして、僕が近いうちに即位するとかそういう話かな? それに関しては、まあ、当たらずとも遠からず、といったところだね」



 独り言のつもりだったのだが、返答をもらってしまった。


 というか、先ほどの反応もそうだが、もしかしたら魔王の血族というのは耳がいいのかもしれない。


 魔王は魔族の中で最も力を持つらしいので、そういうことがあっても不思議はないだろう。


 これは迂闊なことは呟いたりしない方がよさそうだ。


 と、そこまで考えたところで、ふとレティシアは気が付いた。


 迂闊なことを呟くも何も、そもそもここからいなくなればいいだけのことではないか、と。



「あの……本当にお邪魔しました。これ以上お邪魔をしてしまう前にわたしは……」


「いや、さっきも言ったけど邪魔をしてるのは僕の方だからね。それを気に病んでここから去ろうとしてるっていうなら、僕が去るのが道理だろうさ」


「いえ、そんなことは……」


「ところで、さっきから気になってたんだけど、どうして君は僕に対してそんな丁寧な言葉遣いをしているんだい?」


「え……?」



 どうしても何も、当然だろう。


 レティシアと彼は初対面だし、何よりも相手は魔王の血族で、次期魔王である。


 むしろ丁寧に接しなければ罰せられるだろうに。



「君がどう考えているのか大体予想がつくけど、それは君の考えすぎってものだよ。今の僕は魔王でも何でもない、ただ王宮に遊びに来てるだけの役立たずだからね。王宮で働いている君の方が偉いぐらいだろうさ」


「いえ、そんなことはないと思うのですけれど……」


「ほら、またそんな言葉遣いを。もっと普通に喋ってくれた方が僕としては嬉しいんだけど?」


「それは……」



 ここで固辞し続けることは簡単だが、それはそれで不敬になりそうである。


 どうしたものかと一瞬考え、出てきた結論に溜息を吐き出した。


 ここは素直に言うことを聞いておいた方がよさそうである。



「分かりました……いえ、分かったわ。これでいいのかしら?」


「……うん。ありがとう」



 その対応がよかったのか、何故かお礼を言われた。


 しかも、笑顔を浮かべながらであり……その笑みを目にした瞬間、不思議とレティシアは懐かしさを覚えた。


 顔が似ているわけではない。


 髪と瞳の色が同じなだけだ。


 それを理解していながら、それでも、レティシアは半ば無意識にその名を呟いていた。



「……エディ?」


「…………え?」


「――あっ!?」



 言ってしまってから、やってしまったと思った。


 急に見知らぬ誰かの名を言われたのだ。


 驚くのも当然だし、不敬どころの話のではない。


 だが、謝ろうとした直後、驚くことを言われた。



「僕の名前、知ってたんだ? あまり知ってる人はいないはずだけど、誰かから聞いたのかな?」


「え……? 貴方もエディっていうの?」


「うん。本当はもっと長い名前なんだけど、言いづらいから、エディって呼ばれることが多いね。でも、そういうってことは……」


「……ええ。ごめんなさい、貴方の名前を呼んだわけではなかったの。その、貴方と似ているというわけではないのだけれど、何故かその人のことが頭に浮かんで……」



 本当に失礼なことだし、怒られてもおかしくなかったと思うが、レティシアが怒られることはなかった。


 それどころか、まるで眩しいものを見るように目を細められる。



「そっか……まあ、問題はないよ。むしろ、おかげで自己紹介をする手間が減ったしね」


「それはちょっと好意的に捉えすぎな気がするのだけれど……」



 そんな風に返しながらも、レティシアは実のところ別のことが気になっていた。


 次期魔王が、エディと呼ばれているという事実がだ。


 エディ――エドワード。


 それは、千年前にレティシア達と共に魔王討伐の旅へと出た、勇者の名であった。


 その名と似た名前を魔王の血族につけるということなど、有り得るのだろうか。


 勇者の辿った結末を知っているからこそ、そこに疑問は生じる。



(……わたしでも多少は知っているぐらいなのだから、子孫である人達が忘れたとは考えづらいのよね)



 勇者の辿った結末――それは、端的に言ってしまえば、二代目魔王になった、というものであった。


 魔王の娘と結婚し、魔王の一族となり、魔王の後を継いだのだ。


 そこにはきっと色々な事情と思惑があったのだろうが、何にせよ勇者が魔王になった、ということに変わりはない。


 ただ、勇者が受け入れられていたかと言えば、それは別の話のようだ。


 勇者が魔王として在位していた期間は、結局一年程度だったからである。


 詳しいことは分からないが、辞めたというか辞めさせられた、ということだったらしく、きっとそれが答えだろう。



(千年前のことだからか、少なくともわたしが習った歴史の中では勇者の名前は出てこなかったけれど……だからといって、忘れられているかどうかは別の話だわ)



 確かに勇者は、魔王の座を追われた。


 だが、そこで勇者の血が途絶えてしまったわけではないのだ。


 それはそれとして、勇者の子が次の魔王を継いだし、その血は現代にまで残っている。


 となれば、世間としてはともかく、その子孫までが勇者の名前を完全に忘れてしまったとは考えづらい。



(ということは、分かった上で付けたということになってしまうのだけれど……まあ、考えたところで分かるわけがない、かしらね。かといって、聞くわけにもいかないでしょうけれど)



 下手なことを聞いてしまったら、レティシアが聖女だとばれてしまう可能性もある。


 気にはなるが、何も尋ねない方が無難だろう。


 ともあれ。



「少し話が逸れてしまったけれど、とりあえず、そういうわけでそろそろわたしは失礼するわね」


「うん? だから、邪魔なのは僕の方だから、去るなら僕の方、って結論は出たはずだけど?」


「わたしはそれに賛同した覚えはないし、それに、そもそもわたしはここに来ようと思ってきたわけではないのよ。ボーっとしていたら気付いたらここに来てしまっていた、というだけで、本当は家に帰ろうとしていたの。だから、家に帰るというだけのことだわ」


「ふーん……なるほどね。そっか、そういうことなら、引き留める方が君の迷惑になっちゃいそうだね」


「別に迷惑とまでは言わないけれど、そうね、ここは素直に帰らせてくれると嬉しいわ」



 これ以上ボロが出てしまう前に。


 フェリクス相手もまずいが、次期魔王も十分まずい相手だ。


 自分で自分の首を絞める前に、さっさとこの場から立ち去りたかった。



「うん、分かったよ。じゃあ……またね、だね」


「……まあ、また会わないとも限らないものね」


「きっと会えるよ」


「……そうね」



 そうして賛同しながらも、レティシアは実際のところ会うことはないだろうなと思っていた。


 というか、どちらかと言えば会いたくないと言うべきだろうか。


 別に彼のことは嫌いでもなければ苦手でもないが、残念なことにレティシアが特に警戒しなければならない相手の一人なのだ。


 正直、好き好んで会いたい相手ではなかった。


 もっとも、心配せずとも、ただの薬師が次期魔王と会うことなんて、もうないだろうが。



「それじゃあ、失礼するわね」


「うん。またね――レティシア」


「ええ。また」



 心にもないことを言いながら、その場を後にし――ふと、あれ? と思った。



(わたし、自分の名前口にしたかしら?)



 とはいえ、していなければレティシアの名前を知っているはずがないだろうから、おそらく無意識のうちにしていたのだろう。


 ただ、それはつまり、気もそぞろだったというわけで……これは本気で不敬扱いとならないだろうか。



(やっぱり、彼には悪いけれど、もう会いたくないわね)



 聖女であることがバレるよりも先に、不敬罪で裁かれそうだ。


 それを避けるためにも、もうここには近寄らない方がよさそうだと考えながら、レティシアは家へと向かって歩みを進めるのであった。

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