第12話 見知らぬはずの誰か
(……まあ、やっぱりと言うか、何とかはならないわよね)
ある意味予想通りの結末に、レティシアは溜息を吐き出した。
未練がましく振り返る先にあるのは、たった今出てきたばかりの仕事場である。
アルベールから頼まれた霊薬を二本作り終えると、叩きだされるようにして追い出されてしまったのだ。
それが約束だと言われてしまったら、それ以上はどうにも出来なかった。
一縷の望みをかけてディオンが味方になってくれないだろうかと思ったものの、まあそんなに都合よくいくわけもない。
(顔を向けてみただけで、擁護しろなんてふざけたことを言うわけじゃないだろうな、とか言われたものね。彼の立場からすれば当然だけれど)
それどころか、帰るのなら護衛してやろうか、などと言われてしまった。
もちろん断ったが、ディオンが複雑そうな顔をしていたのは、嫌ではあるが仕事でもあるのと、それはそれとしてレティシアに断れるのは気に入らない、といったところだろうか。
(何にしても、わたしがこうして帰らなければならなくなったのは同じなのだけれど)
あるいは、先ほどと同じようなことが……ディオンと同じような人が現れれば別だが、さすがにそんなことはないだろう。
というか、あっても困る。
下手をすれば、またレティシアの前世を知る人物が現れる、ということになるからだ。
(まあ、それも含めて、ないでしょうけれど)
ディオンがいたというだけで、奇跡的なことなのだ。
もう一人いるというのは、いくら何でも考えにくい。
(つまり、素直に帰るしかない、というわけよね……まあ、仕方ないことだけれど)
アルベールの説得に失敗した時点で、どうしようもないだろう。
ここに留まっていたところで意味はないし、帰るしかあるまい。
(……帰ったところで、ここにいるのとどれだけ違うのかは、疑問だけれど)
正直なところ、レティシアには趣味と呼べるようなものがない。
前世の頃はそんなことをやっている暇など存在しなかったからだ。
千年前、世界は大きく二つに分かれていた。
レティシア達が属していた人類側と、魔王が支配する魔族側。
双方は常に争いを繰り広げ、それが日常となっていた。
いつから続いていたのか、記録からすら忘れられるほどで、ただ、ずっと変化がないというわけでもなかった。
百年ほどを周期として、魔王が人類側へと攻め込んでくるのだ。
何故百年なのかの理由は定かではなかったが、魔王が力を蓄え終わるのに必要な周期だというのが通説で、そうして始まった人類と魔族との戦争は、魔王が倒されるまで止まることはなかった。
早くても数年、長い場合は十年以上戦争状態が続く。
ちょうどレティシアが生まれた頃にもそれは始まり、そしてその時は特に長く続いた。
歴代最強と言われるほどに魔王が強大な力を持っていたため、中々倒すことが出来なかったのだ。
レティシアが成人を迎えた頃にも戦争が終わることはなく、ゆえに、レティシアにとっての日常とは、戦争と同義であった。
そんな中では、趣味など持てようはずもない。
しかも、レティシアの生まれた国は人類側でも中心となる国で、レティシアはその国の第二王女であった。
なおのこと好きなことをやれる余裕などはなく……レティシアが聖女と呼ばれるようになったのも、始めは自分も何か役に立てればという思いからだ。
レティシアには兄が二人と姉が一人いたため、王族としてやるべきことは兄達が既にやっていた。
そこで何か出来ることはないかと探し見つけたのが、霊薬の精製だったのである。
霊薬を作るには、素材に加え魔力が必要だ。
だが、当時の人類側で魔力を持つ者は希少で、その上魔力を持つ者の大半は魔法使いになっていた。
魔法に魔力を使うために霊薬を作る余裕はなく、需要はあれど供給が不足している状態だったのである。
そして、王族は基本的に魔力を持っており、レティシアの持つ魔力量は当時の王族の中で最大であった。
色々な意味で、薬師という職業はレティシアにとって適職だったのである。
とはいえ、嫌々やっていたわけではなく、霊薬を作るのは楽しくもあった。
色々な素材を組み合わせて様々な効果を発揮する霊薬を研究し、作るのは、レティシアの性に合っていたのだ。
そういう意味でも、薬師は適職だったと言える。
そして楽しかったからこそ、常に霊薬を作り続け……その結果、何故か人々のために寝る間を惜しんで霊薬を作り続ける聖女、となってしまったのだ。
(別にそれがお父様達の手助けになるのならば構わなかったのだけれど……変に持ち上げられるのだけは止めて欲しかったわね)
レティシアは単に、やれることをやっていただけだ。
決して自分の身を顧みず、とかいう覚悟でやってはいなかったし、少なくともレティシアの感覚で言えば無理をしたことは一度もない。
(聖女として勇者パーティーの一員に加わることになったのだって、わたしが適役だったから、というだけだもの)
霊薬の使い方に一番詳しく、自らの手で用途に合った霊薬を作ることも出来る。
万が一死んだところで、王族としての役割を持たないレティシアならば問題はなく、レティシアでしか出来ないようなこともない。
最初は反対していた父達も最終的には折れたあたり、レティシアの考えが正しかったということだろう。
ともあれ、そういうわけで前世のレティシアは趣味を持つことはなかったのだが……敢えて言うならば、霊薬を作ることが趣味だった、と言えるのかもしれない。
暇さえあれば霊薬のことを考え、作っていたのだ。
レティシアが見つけたレシピも少なくなく、間違いなく人生で最も時間を費やしたことである。
(まあ、あまりにも費やしすぎて、他のことが疎かになってしまったのだけれど)
特に、姉からは色々と注意をされたものだ。
女らしく身だしなみを気にしろだの、少しは服やアクセサリに興味を持てだの、素敵な恋の一つや二つしろだの。
(でも、まったく興味を持てなかったのだから、仕方がないわよね)
特に恋に関しては、微塵も興味が持てなかった。
王族ということで成人になる前から何度か見合いのようなものはしたことがあるし、成人後はさらに増えたが、見合いの間考えていたことは、次はどんな素材の組み合わせを試してみようか、というものであった。
呆れ果てた姉からは、最終的に小言すら言われなくなったほどだ。
それでも、王族の一人として、いつかは結婚しなければならなかっただろうし、あるいは、魔王討伐に成功していれば、勇者パーティーの誰かがその相手だった可能性が高いが――
(……まあ、ありえなかった過去のことは考えても仕方ないわ)
何にせよ、前世のころはそんな感じであり……今世に関しても、正直それほど違いはなかった。
さすがに今生では王族ということはなく、ただの一般市民であったが、薬を作ること以外にやることがなかった、という点では同じだ。
レティシアは、自分の両親のことを知らない。
物心がついた頃には既におらず、祖母だけがいたからだ。
詳しい話は聞いていないが、どうやらレティシアが生まれてすぐの頃に流行り病で亡くなってしまったとのことである。
それで、祖母に引き取られて育てられたらしかった。
そのことに関して、寂しさや不安を感じたことはない。
祖母は優しかったし、満たされていると感じたからだ。
祖母は薬師であった。
霊薬を扱うようなことはない、真っ当な薬師であったが、薬師でありながら人々には好かれた人だった。
むしろレティシアはそれが薬師として当たり前だと思っていたぐらいであり、普通の薬師は蔑まれるような対象だと知った時には随分驚いたものだ。
とはいえ、祖母が好かれていたのは当然と言えば当然のことだろう。
普通の薬師は、それ以外になれるものがない人がなるものだが、祖母が薬師になったのは、困った人を助けたいからであるらしかったからだ。
だから、生活はどちらかと言えば貧しくはあったが、祖母もその周囲も笑顔が絶えなかったし、レティシアはその雰囲気が好きだった。
ただ、そんな環境であるからこそ、余計なものを手にする余裕はなく、レティシアが触れられるのは大半が薬師に関係するものであった。
それに、レティシア自身薬師のことには興味があったため、それで問題はなかったのである。
(改めて考えてみれば、あれも前世の影響だった、ということなのでしょうね)
レティシアは霊薬に関しては色々と知っているが、逆に普通の薬のことはあまり知らなかった。
祖母の知っていることはレティシアにとって知らないことが多く、学ぶことが楽しかったのである。
そしてその結果、今生でも薬のことだけを常に考えている女が出来上がった、というわけであった。
(まあ、わたしとしてはそれで後悔していないから問題はないのだけれど……)
ただ、後悔はしていなくとも、困ることはあった。
時間が余った時、暇を持て余してしまう、ということだ。
(今までは、まだ知らないことがあったからよかったのだけれど……もう大体学び終えてしまったのよね)
知らないことは多かったが、レティシアは子供の頃からそれだけを学び続けているせいで、ついこの間現存している薬の知識は学び終わってしまったのである。
そのせいで、突発的に生じたこの時間にやることがなかった。
(本当は、この時間を使って色々なことを考えた方がいいのかもしれないけれど……)
正直、それをする意味はあるのかとも思ってしまう。
前世は所詮前世だ。
既に終わってしまったものである。
引きずるつもりはないし、そもそも引きずるものがない。
何よりも、今の世界は平和なのだ。
戦争が起こっているのに、何もない日常を平和だと思っていたあの頃とは違う、真の平和である。
ならば、邪魔にしかならないだろう前世のことなど、考える必要はないのではないだろうか。
(まあ、わたしが聖女だとばれないようにする必要はあるけれど、それぐらいだものね)
それとて、よほどのことがなければバレるようなことはないだろう。
というか、普通は千年前の聖女が生まれ変わった、とか考えることはないと思うので、フェリクスにさえバレなければ問題はないはずだ。
そして今では宰相となっているフェリクスに会う機会は、ほぼあるまい。
昨日が特別だっただけで、次がある可能性は非常に低い。
ならば、そこまで深刻に捉える必要はないはずであった。
(何より、あまり楽しいことでもないもの)
既に終わってしまったことを考えて、思い出して、一体何になるというのか。
虚しさと悲しさが溢れるだけだ。
どう考えても、意味のあることだとは思えなかった。
(とはいえ、ではこの暇になってしまった時間をどう潰すのか、ということに結論は出ていないのだけれど……あれ?)
と、そんなことを考えていた時のことであった。
考えながら歩いていたためか、どうやらレティシアは普段近寄らないような場所にまで来てしまったようだ。
そこは王宮にある庭園の一つであった。
もっとも、王宮の中でも端に位置する場所に存在している庭園だ。
どちらかと言えば地味であり、人の気配はほぼない。
いたのは、レティシアの他に一人だけであり……だが、その人物を目にした瞬間、レティシアは驚きに目を見開いた。
そして。
「――勇者?」
見覚えのある黒い髪を見つめながら、レティシアは半ば無意識に呟いた。
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