第10話 生まれ変わった自分
瞬間、ディオンは自分の甘さを呪った。
匂いも味もないのかと、そんなことを思った直後、激しい痛みと熱がディオンの身体を襲ったのである。
咄嗟に毒かと判断し吐き出そうとしたが、その時には既に遅かった。
全身が痙攣して身体の自由が奪われ、吐き出すことすら出来なかったのだ。
無様にその場へと転がりながら、ディオンは甘すぎる自分に憤りすら感じた。
とはいえ、ディオンが感じた憤りは、あっさり毒を飲んでしまったことに対してではない。
毒を盛られたことではなく――
(何故オレ様は、落胆した……!? あいつがそんなことをするわけがないと、少しでも思っていたということか……!?)
毒だと思ったのと同時に、ディオンは落胆してしまったのである。
なんだ、やっぱり毒だったのかと……本当に薬なのではないかと、ほんの少しであろうと考えてしまっていた自分がいたことに気付いたのだ。
敵対していた者に対して抱いていいものではなかった。
「っ……やってくれたな、聖女……!」
そんな自分への怒りを誤魔化すかのように、ディオンはレティシアへと視線を向けた。
身体の自由が利かなくとも、その程度のことは出来る。
虚勢であろうと、最後まで意地は通さなくてはならない、と睨みつけ……だが、目に映った光景に、眉をひそめた。
てっきり勝ち誇った顔なり、馬鹿にするような顔をしていると思っていたというのに、何故かレティシアの顔には焦りと戸惑いが浮かんでいたのだ。
まるで、この結果はレティシアにとっても予想外だとでも言いたげで……そこまで考え、ディオンは心の中で嘲りを浮かべた。
(この期に及んで、まだ甘いことを考えているとはな……我ながら甘すぎて反吐が出る)
だから、千年前も負けたのだ。
逆に聖女の方はさすがというべきか。
この状況に至っても、気を緩めていない。
それどころかこちらの油断を誘おうとしているとは、見習うべき姿であった。
「っ……え? どうして……!?」
「……ふむ。薬と偽り毒を盛るとは、中々やりますね。まあ、確かにアレは鬱陶しいですから、そうしたい気持ちになるのは十分理解できますが。いえ、それよりも、実際にそれを実行に移す胆力が素晴らしい」
「っ……アルベールさん!」
「これは失礼。さすがに不謹慎でしたか。ですが、何にせよ貴女が気に病む必要はありませんよ。レシピが間違っていたのか、貴女が間違ったのか……いえ、貴女のことですから、間違えるということはないでしょう。ということは、レシピが間違っていて、その結果毒となってしまった、ということでしょうが、元より毒と薬は紙一重。だというのに、私達が確かめもしないうちに飲み干したのはそこの馬鹿の責任です。誓約書も書かせていますし、貴女は何の責任も感じる必要はない。――そうでしょう、ディオン?」
「……はっ」
随分好き勝手言ってくれるものだと、冷たく向けられた目を見返しながら思う。
しかし、アルベールの言う通りだ。
全て、ディオンの自業自得である。
だがだからこそ、大人しく寝転がっている場合ではなかった。
「づっ……ぐっ、がっ……!」
「ちょっ、ちょっと……!? 何してるの……!? どんな効果になってしまったのかも分からないのだから、安静にしていないと……!?」
「ふむ……馬鹿だ馬鹿だと思ってはいましたが、ここまでとは。見ているだけの立場からは詳細は分かりませんが、随分と苦しそうではありませんか。あまり無理をすると、取り返しがつかないことになりますよ?」
「っ……うるっ、せえっ……!」
身体が熱い。
頭痛と眩暈と耳鳴りが止まず、ほんの少し指を動かしただけでも、身体がバラバラになりそうな痛みが走った。
それでも、こんなものに負けてはいられないのだ。
「オレ様は、魔王軍、四天王、だぞ……!?」
千年続く平和の礎を築いた、立役者だ。
その偉業を知らぬ者はおらず、その名を知らぬ者もいない。
感謝を忘れず、憧れを絶やさず。
そしてかつては、希望でもあった。
そんな魂を文字通りの意味で継いでいるというのに、この程度の痛みに怯んでなどいられまい。
痛みがなんだ。
熱がなんだ。
「オレ様は、爆炎の――」
叫びながら立ち上がろうとした、その瞬間であった。
馴染み深い、だが懐かしくもある感覚をディオンは覚えたのだ。
痛みも、熱も引いたわけではない。
しかし今のディオンは、それらをどうやって解消すればいいのかを知っていた。
ゆえに、半ば無意識のうちに自らの手のひらをレティシアへと向け――
「――ちっ!」
その結果がもたらすことを認識した瞬間、ディオンは強引に手のひらを壁の方へと向けた。
そして。
次の瞬間、轟音が響いた。
「――っ」
ディオンにとっては耳慣れた音なはずだが、今生では初めて聞いたからか、妙に煩く感じた。
あるいは、単に場所のせいかもしれないが。
だがそんなことより、ディオンの胸を支配していたのは高揚感であった。
自分が手のひらを向けた壁を眺め、自然と口元が吊り上がってくるのを感じる。
そうしてそのまま、自らの心の命じるままに喉を震わせた。
「くくっ、くくくっ……はーはっはっはっはっ……! どうだ見たか腹黒眼鏡……! これがオレ様の実力よ! これで貴様もオレ様のことを認めねばなるまい! オレ様こそが――」
「――これは非常に興味深い。まさか、万能薬……? いや、病、というわけではなかったはずだ。しかし、となるとどんな効果によってこんなことが……一応試してみる価値は……」
しかし、どうやらアルベールはディオンよりも他のことが気になっているようだった。
何事かを呟きながら自分の思考に没頭している様子で、ディオンの方には視線すら向ける気配もない。
その姿に出鼻をくじかれたような気になり、ディオンは思わず舌打ちを漏らした。
何となくその場を見回し……ふと、レティシアと目が合った。
「……どうだ、見たか?」
「え、ええ……見たけれど?」
「ふんっ……これで貴様もオレ様が爆炎の殲滅者だと認めざるをえまい」
「えっと……わたしはそれに関してはとっくに疑ってはいないのだけれど?」
「……ちっ」
「それよりも、わたしはあの壁の方が気になるわ。アレ、誰の責任になるのかしら」
そう言ってレティシアが示したのは、壁に空いた大穴だ。
その原因となったのは間違いなくディオンであるが、ディオンは特に悪びれることもなく肩をすくめる。
「まあ、貴様の薬のせいなのだから、貴様の責任だろうよ」
それは単なる責任転嫁ではなく、ある意味では事実だ。
何せレティシアの作った薬を飲んだせいで、ディオンが魔法を使えるようになり、この大穴を作ることになったのだから。
――魔法が使える。
それはディオンにとって本来当たり前のはずのことであったが、何故かそのことを思うと妙に高揚を感じた。
抑えようと思っても、自然と口元の広角が上がっていく。
そんなディオンにレティシアは訝し気な表情を浮かべたが、直前の言葉によるものだと思ったのか、反論のために口を開いた。
「……薬を飲んだ結果に責任は取らないと、誓約書を書いたはずだけれど?」
「それはオレ様の身体に起きたことに対しての話であろう? アレはオレ様の身体ではない」
「さすがにそれは詭弁が過ぎると思うのだけれど……」
「さあな。そんなものオレ様の知ったことではあるまい。そもそも、仮に弁償しろと言われたところで、オレ様にはそんな金はない」
ディオンは成人したばかりだし、王国騎士団に入ってるとはいえ、所詮は下っ端だ。
貰える給金は少なく、余裕などあるはずがない。
それに、どうせアルベールが何とかするだろう。
(この様子を見るに、明らかに今回のことに価値を感じているだろうからな。……まあ、当然だが)
ディオンが飲んだ薬は、ただの薬では有り得ない。
どんな薬を飲めば、魔法を使えない者が魔法を使えるようになるのかと。
だからアレは、ただの薬ではない薬――霊薬だ。
しかも、今の世では誰も聞いたことがないようなものである。
使い方など、いくらでもあるだろう。
(考えてみれば、あの痛みも熱も、アレが霊薬だったからこそ、なのだろうな。というか、普段のオレ様ならばその程度のこと瞬時に察せただろうが……ふんっ、聖女と会ったことで、オレ様らしくもなく動揺でもしていたか?)
そんなことを考えながら、軽く両手を開閉してみる。
あれほど感じた熱も痛みも今は感じることなく、むしろアレを飲む前より調子がよく感じられるほどだ。
(……聖女相手とはいえ、さすがにこれは感謝せねばならんか。まあ、口に出して言ってやることはないがな)
何故敵に対し、感謝の言葉など口にせねばならんのか。
とはいえ、感謝だけしかしないというのも、四天王の名折れというものだ。
(かといって、聖女に何かをするのもな。……護衛、か)
ふと、その言葉を思い出す。
そういえば、ディオンは元々護衛としてここに来たのだったか。
ならば、都合がいいかもしれない。
(……この間抜け面を見る限り、どうせ自分が何をやったのかなど理解してないのだろうからな)
仕事としての役目も果たせ、借りも返せる。
ついでに、この間抜けな聖女に、自分の力を示すことが出来れば最高だろう。
そんなことを思い、何故か口元が緩んだ。
「な、なに……? 言っておくけれど、わたしお金はあまりないわよ? まあ、あまり使うこともないから、多少ならば出せるとは思うけれど……」
そんなディオンの様子に何を思ったのか、レティシアは見当違いのことを言い出した。
本当にこの間抜け面は、何を考えているのか。
「貴様に金を恵んでもらうほど落ちぶれてはおらん。そんなくだらんことを考えるより、貴様はもっと自分自身のことを考えるんだな」
「え……? わたしのこと……? わたしのことはわたしが一番よく分かっていると思うけれど?」
どう考えても一番理解出来ていないのだが、この様子では言ったところで無駄だろう。
まったく、これを護衛するのは骨が折れそうだが……ある意味では、魔王軍四天王の仕事として相応しいのかもしれない。
そんなことを考えながら、ディオンはさらに口元を緩めるのであった。
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