第9話 元魔王軍四天王筆頭の疑念
風邪薬を使って魔法を使えるようにする。
そんな言葉を告げられて素直に信用する人間がどこにいるだろうか。
(……まあ、そもそもそれ以前の問題ではあるがな。……本当に、何を考えている?)
そんなことを考えるディオンが見つめる先にいるのは、一人の女だ。
レティシア・エルランジェ。
この部屋に入る前、そういえば自己紹介もまだだった、ということで教えられた名だが、そんなものはどうでもいい。
ディオンにとって大切なのは、名ではなく、何者なのか――彼女が、ディオンにとって因縁の相手だということだ。
ディオンが今のディオンになる前――千年前に幾度も敵対し、殺し合った人物。
今の世では禁忌とされている存在――聖女。
そして、自分のことを殺した相手でもあった。
あの日のことは、今でもよく覚えている。
自分が死んだ日のことであり、何よりも決戦の日だったのだ。
何としてでも勝つべく、全力を尽くし……だが、力及ばず敗れた。
姑息な手を使われたせいだと、言い訳はすまい。
それでも勝つのが、真の強者というものである。
実際魔王は聖女達に打ち勝ち、その結果として今があるのだ。
ならば、負けたことに文句を言うのは筋違いというものだろう。
とはいえ、さすがに何も思うところがない、というわけにはいかないが、それでも恨んではいない。
敵対し、殺し合っていたのだ。
戦争していたのである。
互いに死んでいなかったのはただの偶然に過ぎず、いつ死んでいたところで不思議はなかった。
それがあの時訪れたというだけで、覚悟自体はとっくに完了していたのだ。
なのに恨みを抱くほど、ディオンの器は小さくなかった。
(とはいえ、やはり姑息だとは思うがな)
そう思うのは、ディオンは封印された後で殺されたからだ。
戦った結果としてではなく、わざわざ一度封印し何も出来なくしてから、殺されたのである。
姑息以外の何物でもあるまい。
(まあ、それだけオレ様のことを脅威と思っていたということなのだろうが)
だから、それ自体に関しては問題ない。
姑息だと思うし気に食わなくはあるが、それだけだ。
だがそれは同時に、聖女が姑息な手を使う人物だということでもある。
つまり、油断はできないということだ。
(薬……毒殺と考えるのはさすがに浅はか過ぎるか。それでは隠しようがあるまい)
真剣な目をしながら作業台の上で作業を続けるレティシアを眺めつつ、ディオンはレティシアの意図を探る。
まさか、本気でディオンに魔法を使えるようにする、などと考えてはいないだろう。
それを不可能だとは思わない。
何せ相手は聖女だ。
そのことを理解しているからこそ、ディオンはレティシアを侮らない。
普通ではできないようなことであっても、聖女ならできてもおかしくはないだろう。
それが、聖女という存在だ。
とはいえ、出来るからといってやるかといえば、それは別問題である。
(オレ様はあいつの敵だ。一度死のうが、それは変わるまい。ならば、何かを仕掛けるつもりだと考えるのが自然だ。だが、ここには腹黒眼鏡もいる。あまりあからさまなことをするとは……いや)
もしかしたら、アルベールもグルなのかもしれない。
アルベールの反応から、どうやら周囲はレティシアが聖女だと気付いていないようだ、と考えたからこそ、ここであからさまにディオンを害するようなことはしないだろうと考えた。
しかし、アルベールが演技をしていたのであれば話が別だ。
そうしてディオンが油断したところを、というのは、十分有り得た。
(……相手はあの腹黒眼鏡だ。何をしたところで不思議はない)
確かにアルベールはディオンの幼馴染であるが、昔を知っているからこそ、そう思う。
それでも、昔ならば一線を越えることはないだろうと思えたが、今はどうだか分かったものではない。
(……昔のあいつは、少なくともあんな目はしていなかったからな)
横目にアルベールのことを眺めつつ、目を細める。
腹黒いところは変わっていないが、昔はあんな暗い目はしていなかった。
一応隠してはいるようだし、周囲の目はそれでごまかせるのかもしれないが、元四天王筆頭の目は誤魔化せない。
(まあ、それに関しては別に構わんがな。あいつも色々あったということだろう)
ディオンとアルベールは幼馴染ではあるが、頻繁に交流があったのは六年も前のことだ。
それまでは同じ村に暮らしていたのだが、突然アルベールは王都に引っ越すこととなったのである。
ディオン達が暮らしていたのは田舎の村であったし、その時には既にアルベールは成人していたため、王都に行こうとするのは不思議なことでもなかったが、本当に突然のことでさすがのディオンも驚いたものだ。
そしてそれ以来連絡も交わすことはなかったのだが、一年半年ほど前にディオンも王都に引っ越し、そこで偶然とアルベールと再会した。
その時には既にアルベールの様子は今と同じものになっていたが――
(……そもそも、あいつが薬師をやっているというのもおかしい。あいつは確か、学者をやっていたはずだ。色々な意味で怪しすぎる)
学者と薬師では、地位に天と地ほどの差がある。
どんな考えがあったら学者から薬師になろうというのか。
それに、アルベールには妹がいる。
アルベールには他に肉親がいないためか、妹のことを溺愛していた。
薬師になどなってしまったら、妹にも悪い影響があるはずだ。
それをアルベールが許容するとは思えない。
(つまり、あいつが薬師になったのは相応の理由があり、オレ様はその邪魔になりうる、といったところか?)
それで、聖女と手を取ってディオンを排除しようとしている。
そんなところか。
少々どころか、大分強引な思考だということはディオンも承知の上だ。
だがそうでもなければ、この状況の説明がつかない。
素直にレティシアがディオンのことを助けようとしている、と考えるのが最も筋が通ってはいるが――
(聖女が、オレ様を? ……ないだろう)
確かに、魔族が聖女に助けられた、という話は聞いたことはあった。
今の世では完全になかったこととされているが、事実として存在しているのだ。
だが、それとこれは別問題である。
何の害もないような魔族を助けるのと、元魔王軍四天王筆頭を助けるのが同じであるわけがない。
(……いや、いいだろう)
と、そこまで考えたところで、ディオンはそれ以上考えるのを止めた。
これ以上ごちゃごちゃ考えるのは、元魔王軍四天王の筆頭として相応しくないと思ったからだ。
(貴様らが何を考えていようが、構わん)
何を企んでいようと、正面から打ち破ればいいだけである。
千年前はそれで敗れたが、ならばこそだ。
今度こそ打ち勝ってみせる。
そう決意を固め睨むように見つめてみれば、そのタイミングを図ったかのように、レティシアの手が止まった。
「……ふぅ。できた、と思うわ」
「思う、か……随分曖昧な言い方ではないか」
「それは……仕方がないでしょう? わたしだって作ったのは初めてなのだもの」
「ふむ……祖母の家にあった書物に記されていたレシピ、でしたか。確かにそれでは、完成したのか自信がなくとも仕方のないことでしょうね」
「は、はい……多分、大丈夫だとは思うのですけれど」
白々しいやり取りに、思わずディオンは溜息を吐き出した。
本人達がどう感じているのかは知らないが、少なくともディオンからすれば白々しさしか感じられないやり取りである。
レティシアは明らかに嘘を吐いているし、アルベールも果たしてどれだけ信じているのやらと感じだ。
(あの様子を見るに聖女は本気で騙せていると思っているようだが……あの腹黒眼鏡をその程度の嘘で誤魔化せるわけがなかろうに)
レティシアが作り出したのは、明らかに今の世には存在していない薬だ。
そして何故そんなものを作れるのかという問いに、レティシアは祖母の家にあった書物に記されていた、と答えたのである。
あまりに馬鹿げた言い訳であった。
レティシアの祖母の家に本当にそんな本があったのか、ということはこの際問題ではない。
レティシアの祖母が薬師だったということも同様だ。
それらが嘘だろうと本当だろうと、問題はそこにはない。
問題は、本を読んだだけで、今の世に存在していないような薬を作れると言ったことである。
しかも、その本は現在手元にないという。
祖母の家と共に手放したという話で、それも一年以上前とのことだ。
ツッコミどころが多すぎて、誤魔化す気が本当にあるのかと思えるほどである。
(極めつけが、実際にその薬を作ってみせたことだ。レシピを知ってるだけで即実物が出来てたまるか)
一発成功どころか、見ていた限りでは迷っている素振りすら見せなかった。
薬師のことなど詳しくないディオンだが、それでもそれが異常なのだということだけは分かる。
素人のディオンに分かるのだから、アルベールに分からないわけがなく――
(だから、これは二人してオレ様を陥れようとしてる、と考える方がしっくりくるのだが……)
それはそれで腑に落ちないから困ったものだ。
だが、何だろうと最早構うまい。
既に覚悟は決めてあるのだ。
「ふんっ……それで、それを飲めばいいのか?」
「え、ええ……そうだけれど……」
何故か戸惑い気味なレティシアから、奪い去るようにして薬を受け取る。
細いガラス瓶に入っているそれは、無色透明の液体だ。
妙なことをしないようにずっと見張っていたため、変なものが入っていないのは分かっているが……こうして改めて見ても不思議なものである。
入れていたのは、主にディオンの目には雑草のようにしか見えなかった薬草だ。
刻み、潰し、混ぜ合わせ、気が付けばこんな色になっていた。
どうしたらこうなるのか、見ててもまるで分からなかったが……こういうことが出来るからこそ薬師ということなのかもしれない。
そんなことを考えながら、薬を口元に持っていく。
軽く匂いを嗅いでみるが、何の匂いも漂ってはこない。
そのことに逆に躊躇ったものの、それも一瞬だ。
ディオンは意を決すと、その中身を一気にあおった。
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