第6話 元魔王軍四天王

 瞬間、レティシアは全身から冷や汗が噴き出たのを感じた。


 咄嗟に周囲を見渡してみるが、自分以外の姿は見当たらない。


 ということは、今の言葉は間違いなく自分に向けられたものだ。



(でも、わたしはまだボロを出していないはず。……どうして、わたしが聖女だと分かったのかしら)



 だが、そこまで考えたところで、ふと冷静になった。


 もう一度周囲を見渡し、やはり自分しかいないことを確認する。



(じゃあ、今の声は一体どこから……?)



 と、そう思った時であった。


 まるでレティシアがそのことに気付くのを待っていたかのように、上から人影が降ってきたのだ。



「ふんっ、ぬるすぎるぞ、聖女。千年の間に腑抜けたか? それとも耄碌したか? オレ様がその気になれば、とうに貴様は死んでいたぞ。慈悲深いオレ様に感謝するんだな……!」



 そう言って偉そうにふんぞり返るのは、赤髪赤瞳の男であった。


 背はレティシアよりも頭一つ分以上は高いが、歳は同じぐらいだろう。


 顔立ちは整っていながらも、どことなくまだ子供っぽさが抜けていない。


 しかし、何よりレティシアが注目したのは、知らない顔だったことだ。


 知り合いでもないというのに、何故レティシアが聖女だと分かったのか。


 何にせよ、油断できる相手でないのは確かであった。



(それに、わたしのことを聖女と呼んだのもそうだけれど、彼が着ている服も問題ね)



 見覚えのあるそれは、騎士団の制服であった。


 任務で外に出る時などは甲冑を着ることが多い騎士団だが、王宮内であれば身軽に動ける制服を着ることの方が多い。


 そして彼が着ているのは、まさにその制服だ。


 騎士団の仕事内容は多岐に渡るが、その中には国に仇なす者の捕縛や討伐がある。


 思わず、後ずさった。



「それにしても、こんなのが禁忌だなんだと恐れられているというのだから、世も末だな。だが、仕方あるまい。多くの民衆はオレ様のように賢くはないのだからな。くく、これも持つ者の定めということか」



 いっそのこと知らないふりをするのも手かと思ったが、明らかに男はレティシアが聖女だと確信した上で話しかけてきている。


 となれば、それは悪手だろう。


 かといって、どう反応するのが最善なのか。


 しばらく迷った末、レティシアは意を決し口を開いた。



「……あ、あの」


「だがオレ様であれば――うん? なんだ、聖女? オレ様の威光を前に恐れをなしたか? まあ、オレ様も悪魔ではない。貴様が泣いて許しを請うというのならば、許してやらんことも――」


「貴方は一体、何者なんですか? どうして、わたしのことを……」


「…………は?」



 しかし、何者なのかを問うた瞬間、男はピタリと動きを止めた。


 その目を大きく見開き、ジッとレティシアのことを見つめる姿は、信じられない、とでも言いたげだ。


 もしかして知り合いだったのだろうか、と思ったものの、何度思い返してみたところで記憶にはない。


 言動的には見覚えがある気もするのだが、彼とは顔の時点で別人だ。


 何となく申し訳のなさを感じながら、本当に何者なのだろうかと考えていると、男は気を取り直したかのように笑みを浮かべた。



「くくく……なるほど。オレ様のあまりの偉大さに忘却したか。だがそれも仕方あるまい。オレ様の存在の前では、貴様はあまりにも矮小すぎる。己の惨めさを直視するのを避けるため、オレ様を存在をなかったことにしようとするのも道理だ。だが、忘れたというのならば思い出させてくれよう!」



 大仰な様子でそう告げると、男は腕を大きく振り上げた。


 そして。



「――我が名はディオン。ディオン・ジリベール! 普段は王国騎士団の一騎士としてふるまっているが、それは所詮仮の姿。その正体は、魔王様の側近中の側近、魔王四天王が筆頭、爆炎の殲滅者のディオン様よ!」



 堂々とした姿でそう名乗った男――ディオンのことを、レティシアは何とも言えない表情で眺めていた。


 思わず、そっと視線を外す。


 言動からもしかしたら、とは思ってはいたのだが……どうやらそっち系の人だったようだ。



(でもそれなら、どうしてわたしのことを聖女って呼んでいるのかも納得できるわね)



 つまり彼は、レティシアのことを聖女だと見抜いたわけではなく、たまたまだったということなのだろう。


 彼のような言動をする者は、もう少し歳が下の場合が多いが、まあこの年頃でもいないわけではない。


 とはいえ、これは別の意味でどうしたものだろうか、と考えると、ディオンが苛立たし気な目を向けてきた。



「貴様……なんだその反応は。もしやこのオレ様を、爆炎の殲滅者を思い出せないとでもいうわけではないだろうな……!?」


「いえ、その、確かに爆炎の殲滅者のことは覚えているけれど……」



 爆炎の殲滅者は、確かにディオンの言う通り魔王四天王の一人だった男だ。


 魔王を討伐するための旅をしていたレティシアはもちろん知っているし、何度か戦ったこともある。


 そして実のところ、爆炎の殲滅者もディオンのような言動をする人物だったのだが……当然と言うべきか、彼は千年前の人物だ。


 こんな若いわけがないし、何より顔も背丈も、何もかもが違う。


 似ているのは、それこそ言動ぐらいであった。



(わたしが聖女だって名乗ったら、周りからはこんな感じで見られるのかしらね。まあ、わたしは本物なのだけれど……あれ?)



 そこまで考えたところで、ふとあることに思い至った。


 魔族は人類と比べ、長生きの者が多い。


 だが、長生きといったところで、精々五百年がいいとこだ。


 千年生きる種族なんて、それこそエルフぐらいだろう。


 となると……。



「――何やら騒がしいと思えば。人の仕事場の目の前で一体何をしているのですか?」



 と、不意に聞こえた声に振り返れば、視線の先には先ほど別れたばかりのアルベールがいた。


 何故、と一瞬思ったものの、その答えは彼の言葉の中にあることにすぐに気付く。


 レティシアは仕事場から出てすぐにディオンから声をかけられたのだ。


 そしてディオンの声はかなり大きい。


 仕事場のすぐそばで騒いでいたら、近所迷惑だと苦情を言いに来るのは当然のことであった。


 だが、どうやらそれだけでもないらしい。



「貴様……腹黒眼鏡……!? 何故ここに……!?」


「何故も何もありませんよ。というか、人の話を聞いていなかったのですか? 私はそこで働いているのですから、私がここにいるのは不思議でも何でもないでしょうに」


「貴様がここで……? だが、貴様は……」


「というか、むしろ貴方こそどうしてここにいるのです?」


「む? ……ふんっ、このオレ様に向かって何故、だと? それこそ愚問よ。聖女にここにいるのだから、オレ様がここにいるのは当然であろうが」


「聖女……?」



 そう呟きながら向けられた視線に一瞬ビクッと身体が震えたが、すぐにアルベールの目は馬鹿らしいとでも言いたげなものになった。



「貴方はまたそんなことを言っているのですか……薬師としては恥ずべき事ですが、さすがに貴方につける薬はないと言わざるを得ませんね」



 それは妙に実感のこもった言葉であった。


 何となくそうではないかと思っていたが、それでレティシアは確信する。



「えっと……お二人はお知り合い、ですか?」


「……ええ、まあ。甚だ不本意なのですが、幼馴染と言いますか……まあ、腐れ縁ですね」


「腐れ縁、ですか……。あの、腹黒眼鏡というのも、それで、ですか……?」



 聞いていいものか迷ったが、結局気になったので聞いてしまった。


 しかしあまり聞いて欲しいものではなかったのか、アルベールは眉をひそめると肩をすくめた。



「ああ、それは貴女が聖女と呼ばれているのと同じ理由ですよ」



 それだと事実ということになってしまうが、もちろんそういう意味ではないだろう。


 事実無根だと言いたいらしい。


 実際アルベールはいつも優しいし、腹黒いと思ったことはないので、アルベールの言うことの方が正しそうだ。



「それよりも、申し訳ありません。この馬鹿は昔からこうでして。他人を巻き込むこともよくあったのですが……今回は貴女が聖女役ということになってしまったようですね。まあ確かに、ピッタリではありますが」


「ピッタリ、ですか……?」



 確かに、女で薬師となれば、ある意味ではピッタリなのかもしれない。


 アルベールはレティシアが本当に聖女だとはまったく考えていないようだし、おそらくはそういう意味なのだろう。



「ところで……えっと、あの人は、昔からああなのですか?」


「そうですね……ええ、本当に、残念なことに。確か五歳の頃でしたか。ある時転んで大きな石に頭をぶつけたと思ったら、突然自分は魔王軍四天王だったとか言い出すようになりましてね。いずれ治まるかと思ったのですが、未だにこの有様でして」


「……そうですか」



 アルベールはそう言って呆れたような目をディオンに向けたが、レティシアは正直どんな顔をしていいのか分からなかった。


 確信する。



(――彼は多分、わたしと同じだわ)



 ディオンは、転生者だ。


 それも、魔王軍四天王の一人、爆炎の殲滅者の。


 それが理解出来てしまったことに、レティシアは溜息を吐き出すのであった。

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