第5話 想定外の呼び名
そういえば、という声をレティシアが耳にしたのは、諦めて帰り支度をしている最中のことであった。
「せっかくですからついでに知らせておきますが、今後私達には護衛がつくことになりました」
「護衛、ですか……?」
何を言っているのか分からず、レティシアは思わず首を傾げた。
私達、というからには、アルベールだけではなくレティシアもということだろう。
だが。
「アルベールさんはともかく、わたしは護衛されるような立場ではないと思いますけれど……」
「何を言っているのですか? 私も貴女も、価値は変わりませんよ。――等しく、赤竜などよりも遥かに貴重な存在です」
それは言い過ぎだろうと思ったが、どうやらアルベールは冗談を言っているわけではないらしい。
「ふむ……自覚がないようですね」
「自覚も何も、実際わたしにそこまでの価値はないと思いますけれど……」
「では尋ねますが、私達の仕事とは?」
「それは……霊薬の研究と精製ですけれど……」
レティシア達は薬師として雇われているが、その仕事の内容は今の時代の本来の薬師のそれとは少し異なっている。
千年前に作り方が失われてしまった霊薬を復活させることが、レティシア達の仕事であった。
「ええ、そうです。そしてそれは、禁忌に――聖女に関わるということです」
聖女に対する忌避感は、千年経った今も薄れてはいない。
いや、むしろ千年も続いてしまったことで、昔よりも強い可能性すらあった。
別に今の世は、聖女に関する事柄を明確に禁じているわけではない。
五百年ほど前であれば、怪しいものは聖女とみなされ、聖女裁判などというものが行われていた時代もあったらしいが、今では無縁の代物だ。
少なくとも、法にはそんなことは書かれていないし、霊薬を研究したところで罰せられるようなことはない。
だが、それでも誰もが聖女という存在に忌避感を示すのだ。
霊薬には関わらない、ただの薬師であっても、薬師になるのなら奴隷の方がマシだと言われるぐらいには。
未だに聖女は、人々の間で禁忌の扱いであった。
(まあ、昔からわたしは特に聖女に対して忌避感とかはなかったのだけれど……それも当然よね。他でもない、わたし自身が聖女だったんだもの)
薬師としての腕もそうだが、あくまで前世の記憶を思い出していなかっただけで、レティシアはずっとアリエルでもあった、ということなのだろう。
とはいえ、何事にも例外はつきものと言うべきか。
世の中は広く、レティシア以外にも聖女に忌避感を覚えない者は存在していた。
目の前の男のように。
「愚かで嘆かわしいことですが、残念なことに多くの者は聖女の素晴らしさを理解していません。だからこそ、私達以外に王宮の薬師になろうとするものも現れないわけです」
「……そういう意味でしたら、確かにわたし達は貴重かもしれませんけれど、本当に重要なのでしたら、もっと早くに護衛がついていたのではないですか?」
「ああ、それは簡単なことです。貴女のせいですよ」
「……え?」
自分のせい、と言われて咄嗟に頭に浮かんだのは、自分が聖女だから、というものであった。
それならば確かに、護衛をつけてもおかしくない。
正確には、護衛という名の監視ということになるだろうが。
(でもそれは、わたしが聖女だとばれた、ということよね……? 嘘、どうして……。まさか、昨日は気付いていないように見えたのに、実はフェリクスは気付いていた、ということ……?)
慌てながらそんなことを考えたレティシアだが、しかしそれは考えすぎだったらしい。
「赤竜に襲われたのは不幸なことではありますが……実は、襲われた場所は、本来行くはずがない場所だったらしいですね?」
「――うっ」
そういうことかと、アルベールが何を言いたいのかを察したレティシアは、思わず目をそらした。
確かに、アルベールの言うことは正しい。
珍しい素材が色々と見つかったことで、ついテンションが上がってしまい、本来行く予定になかった場所まで行ってしまったのだ。
「そ、その……あの時は、つい、と言いますか……えっと、確かにそれはその通りですけれど、それが護衛とどういう関係が……?」
「関係しかありませんよ。一度そういうことがあったということは、二度目以降がないとは言い切れませんからね。そして、今度は偶然宰相がいるとは限らない……いえ、その可能性は限りなく低いでしょう」
だからこそ、護衛が付くようになった、ということらしい。
可能性が低いというのならば、再び竜に襲われる可能性の方が低いと思うのだが……そう決まってしまったというのならば、言っても意味はないのだろう。
諦めるしかなさそうだ。
「まあ、今日はまだ来ていませんから、おそらく貴女が顔を合わせるのは明日になるでしょう」
「えっと……今日はいいんですか?」
「ここから自分の家に戻るだけでしたらさすがに護衛の必要はないでしょうからね。まあ、今日から護衛されたいというのでしたら、護衛が来るまで残ってもらっても構いませんが」
「いえ……大丈夫です」
正直前世で慣れてはいるが、だからといって積極的に護衛されたいわけでもない。
護衛されるというのも、それなりに気を遣うのだ。
これは本当にさっさと帰ってしまった方がよさそうである。
「それでは、わたしは帰ります」
「ええ、お気をつけて。ゆっくり休んでくださいね」
「はい。失礼します」
来たばかりなのに帰るというのも変な感じであったが、言っても仕方のないことだ。
アルベールに向けて頭を下げると、レティシアはその場を後にするのであった。
王宮所属の薬師の仕事場は、当然と言うべきか王宮内に存在している。
とはいえ、王宮内は王宮内でも、人が滅多に訪れることがないような、外れの場所ではあるが。
それでも、王宮所属なだけはあってか、仕事場そのものは立派な建物だ。
しかも、その建物は薬師専用であるため、現在二人だけで使っている。
待遇面で言えば、十分すぎるほどに破格であった。
そのため、仕事場から一歩外に出ると、レティシアはいつもどことなく申し訳ないような気持ちになるのだが……今日に限っては、いつもとは少し違った意味で溜息が漏れた。
「ふぅ……何となく、悪いことをしているような気分になるわね」
時間的には、まだ朝と言っていい時間帯である。
レティシアが王宮所属の薬師になってからそろそろ半年が経とうとしていたが、こんなことは初めてだ。
どことなくソワソワするような、浮足立っているような、そんな気分であった。
「……まあ、誰かに見られてしまったら変な目で見られてしまうかもしれないし、さっさと帰るとしましょうか」
幸いにも、レティシアの住んでいる場所は、ここから遠くない。
王宮所属の薬師には、王宮内に部屋も与えられるからだ。
ただ、正直部屋の広さはそこまでではなく、一人で住むのに十分といった程度ではあるが、基本的には寝起きするだけの場所なので問題はない。
今日はさすがに帰ってすぐに寝るということはないだろうが、時間を持て余すということはないだろう。
何せ考えなければならないことは色々ある。
逆に考えなければならないことが多すぎて、どれから考えようかと悩みそうだが――と、そんなことを考えていた時のことであった。
「――相変わらずの間抜けな面だな。ふんっ……こんなのにやられたとは、末代までの恥というものよ。貴様もそう思うだろう? ――なぁ、聖女よ」
そんな声が、聞こえた。
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