第4話 元聖女の憂鬱
まあ、考えたところでどうなるものでもない。
とりあえずは、今日もいつも通りに過ごそうと考えていると、アルベールが不思議なことを言い出した。
「それにしても、貴女は本当に仕事熱心で真面目な方ですね。まあ、おかげで私としては助かっているのですが」
「え……? えっと、それは……結果的に竜を倒すことに繋がったから、ですか?」
「違いますよ。……貴女は私のことを一体何だと思っているのですか?」
そう言って笑みを深めてくるアルベールから、レティシアは思わず視線をそらした。
パッと思いついたのがそれだっただけで、もちろん本気で言ったわけではないのだが……もしかしたら、冷たそうに見える顔のことを意外と気にしていたりするのだろうか。
配属された当初ならばともかく、さすがに同僚として数か月過ごしたことで、今では全然そんなこと思っていないのだが。
どう言い訳しようかと思っていると、アルベールは呆れたようにため息を吐き出した。
「そんな報告をするだけのために、わざわざ今日ここに来たから、ですよ。別にそんな報告をするのは、明日でも問題なかったでしょうに」
「……え?」
アルベールが言っていることの意味が分からず、レティシアは首を傾げた。
今日は仕事が休みの日だというのならば分かるが、今日は普通に仕事がある日だ。
だからわざわざも何も、ついでにアルベールに昨日のことを報告しただけなのだが……。
しかしそう告げると、アルベールから呆れを含んだ目を向けられた。
「何を言っているのですか、貴女は? 無事に帰還出来たとはいえ、赤竜に襲われたのですよ? 翌日からいつも通りに働こうとする阿呆がどこにいるのです?」
「あの……ここにいるのですけれど」
というか、阿呆は酷くないだろうか。
赤竜に襲われたとはいっても、結果的には何の問題もなかったのだ。
ならばその翌日だろうと、普通に仕事に行くのは当然のことだと思うのだが……。
「ああ、そうでしたね……では、言い直しましょう。赤竜に襲われたというのに、翌日からいつも通りに働こうとするなど、真面目で仕事熱心を通り越してただの阿呆です。さっさと帰って休みなさい」
「えっと……別に怪我をしたわけではありませんし、助けられた後はすぐに帰れましたから」
「それで十分休めた、と?」
「……はい」
実際それは嘘ではない。
赤竜から助けられたレティシアは、あの後すぐに魔の大森林を後にしている。
本来存在していないはずの赤竜が現れたことで、他にも何か危険があるかもしれないと判断されたからだ。
しかも、赤竜に襲われたことと、何よりも宰相であるフェリクスがいたことで、王都直通の空間転移の使用が許可された。
おかげでレティシアはその日のうちに自宅へと帰宅でき、ぐっすり休むことが出来たというわけである。
(……まあ、あくまでも、身体的には、の話だけれど)
だが、そんなレティシアの心の声が聞こえたわけではないだろうが、アルベールは再び呆れを含んだ瞳を向けてきた。
「それで十分なわけがないでしょうに。いいからさっさと帰りなさい」
「いえ、でも本当に大丈夫ですし……それに、私が帰ってしまったらアルベールさんが大変ですよね?」
実のところ、王宮に勤めている薬師というのは、二人しかいない。
つまり、レティシアとアルベールしかいないのだ。
レティシアが帰ってしまえば、アルベール一人で仕事をしなければならない、ということで――
「別に私一人だろうと、大変ではありませんよ。大変になるほどの仕事がないのですからね。そのことは、貴女もよく分かっているでしょう?」
「それは……」
「私のことを考えるのならば、むしろさっさと帰って欲しいのですが? 私はこれでも、貴女の上司ですからね。部下に無理やり仕事をさせている、などということになってしまったら、私の責任問題となってしまうのですから」
それがアルベールの優しさからくる言葉だということは分かっていた。
アルベールはそもそも、周囲からの評価などに興味はないからだ。
でなければ、薬師になどなるまい。
そして、優しさだということが分かるからこそ、レティシアはこれ以上駄々をこねることは出来なかった。
「……はい、分かりました」
ただ、おそらくアルベールは勘違いしていることが一つあった。
レティシアは別に、真面目で仕事熱心だから今日ここに来たわけではない。
一人でいたくなかっただけだ。
それが赤竜に襲われた恐怖から、というのであればまだ可愛げがあったのだろうが、赤竜の何倍も恐ろしい存在と戦ったことのあるレティシアにしてみれば、あの程度のことで恐怖を感じるわけもない。
だからそれは、恐怖によるものではなく、現実逃避に近いものであった。
昨日も部屋に戻ったらすぐに眠ってしまったのだが、あれは疲れからというよりは、考えることから逃げたといった方が近い。
(せめて仕事に集中していれば、余計なことを考えなくて済むと思ったのだけれど……そういうわけにはいかないみたいね)
千年前のこと。
今のこと。
聖女のこと。
自分のこと。
かつて仲間だった人のこと。
(昨日はほとんど話さずに済んだけれど……今後、話さなければならないようなこともあるのかしらね)
相手は宰相なのだから、普通はないとは思うが、同じ王宮に勤めているのだ。
絶対あり得ないと考えるのは、さすがに楽天的すぎるだろう。
(その時が来たら……わたしは一体どうするのかしら)
別に昔のことを恨んでいるわけではない。
それは本当のことだ。
だが、だからといって平静でいられるとも思わなかった。
(……まあ、いくら考えても分からないことな上にどうしようもないのだから、そのことに関しては今は考えても仕方がないかしらね)
他にも考えなければならないことは山ほどあるのだ。
ならば、そっちを優先した方が建設的だろう。
まったく気は進まないが。
そんなことを考えながら、レティシアは溜息を吐き出すのであった。
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