第3話 魔王城の薬師
「――そんなことがあったのですか。それは災難でしたね」
気の毒そうな顔でレティシアにそう言ったのは、緑色の髪に緑色の瞳を持つ男であった。
非常に整った顔立ちと、まるで睨みつけているかのように吊り上がった目。
眼鏡をかけていることもあってか、生真面目で鋭利な印象を与えてもおかしくないが、柔和な笑みを浮かべているためにそういった印象を打ち消している。
王宮に勤める薬師であり、つまりはレティシアの同僚だ。
そして、レティシアよりも一年早く働いている先輩でもある。
アルベール・バランド。
それが、彼の名前であった。
「はい。……赤竜の素材が得られたと、一部の人達は喜んでいたようですけれど」
「ああ……まあ、それは仕方がないでしょう。あの森で採集できる素材も貴重ではありますが、竜の素材の貴重さはその比ではありませんから。何より、既に赤竜は討たれた後なわけですし」
「それは、そうですけれど……」
言いたいことは分かるが、実際被害にあったレティシアからすれば少し釈然としない思いがあった。
もっとも、言っても仕方ないことではあるのだが。
「正直なところ、私も同じようなことを考えましたね。貴女には申し訳ないですが、薬師として考えた場合、赤竜の素材というのは非常に魅力です」
それに関してはレティシアも同感だったので、何も言えず口をつぐむ。
確かに竜の素材は非常に貴重である。
なにせ、そもそも竜の存在からして希少だ。
絶対数の時点で少なく、知能が高いことから、人前に出てくることも滅多にない。
それでいて、竜は非常に高い魔力を有してることが多いことから、その身体から取れる素材は様々なものに使われる。
鱗や皮、肉だけでなく、骨や臓器、血の一滴に至るまで、無駄になるものがないほどだ。
特に血や臓器といったものは、薬師という立場からすれば、喉から手が出るほどに欲しいものであった。
もっとも、欲しいからといって、実際に手に入るかどうかは、また別の問題だが。
というか、手に入らないのだろうな、と考えていると、アルベールが何かを思い出すように少し遠い目をしながら口を開いた。
「それにしても、竜が人前に現れるのは、確か十年ぶりでしたか?」
「そうですね……確か、そのぐらいぶりだったかと思います。その時は、本当に目撃されただけで、すぐに竜はどこかに消えてしまったという話ですけれど」
「ええ。それを考えると、貴女は案外運がいいのかもしれませんね。竜に襲われたとはいえ、その場にフェリクス様がいたのですから。おかげで竜の素材を手に入れることが出来たわけですし」
「……そうですね。そういう意味では、幸運だったのだと思います」
レティシアの心境としては、非常に複雑ではあるのだが。
何せ前世で自分のことを殺した相手に助けられたのだ。
素直に感謝だけを抱くのは、難しかった。
たとえ、あれから千年の時が流れていたとしても、だ。
「……千年、か。改めて考えてみると、本当に色々な意味で驚きよね」
「うん? 何か言いましたか?」
「いえ、すみません、独り言です」
「そうですか……?」
不思議そうに首を傾げるアルベールに、レティシアは愛想笑いを浮かべてごまかす。
(危ない危ない。変なことを口走って、わたしが前世の記憶を持った人物だということを知られるわけにはいかないものね)
あまりにも荒唐無稽すぎる話だし……何よりも、レティシアが前世では聖女と呼ばれていた人物だったというのが何よりも問題であった。
何せ、レティシアが現在勤めているのは、城は城でも、魔王城なのだから。
レティシアは前世の記憶を取り戻したが、今までのことを忘れたわけではない。
今生で十六年過ごした記憶もしっかり残っていた。
そしてだからこそ、今の世界がどうなっているのか――アリエスが死んでからどうなったのか、ということも分かっていた。
(……ある意味予想外で、ある意味予想通り、というところかしら)
端的に結論を言ってしまうのならば、レティシアが死んだ後、世界は魔王によって支配されることとなった。
そして今は魔王によって世界が統一されてから、千年ほどが経っているという話だ。
――千年。
(言葉にしてしまえば一言だけれど、あまりにも遠すぎて上手く想像できない年月よね……)
しかし、本当にそれだけの月日が流れてはいるのだろう。
前世の記憶を取り戻した上で、今生の記憶も残っているからこそ、レティシアはそのことをはっきり理解出来た。
ともあれ、聖女というのは、今の世界では非常にまずい存在であった。
何せ、勇者や様々な国の王、その他実際に魔王や魔族と戦った者達は、それまでのことを反省し、魔王に恭順を示すことで、それまでのことを許されている。
だが、聖女だけは許されなかった。
反省や恭順を示す前に死んでしまったから、というのもあるが、それ以上に全ての責任は聖女にあるとされたからだ。
人類と魔族が戦争をすることになった、全ての。
(わたしが生まれた頃には既に戦争は始まっていたのだけれど……まあ、そういう問題ではないのでしょうね)
要するに、政治的な問題というやつだ。
生きている者を守るために、死んでしまっている人物へと全ての罪と責任を押し付けた。
そしてその結果として、聖女は世界の敵となり、禁じられた存在となった、というわけである。
千年前の当時は、聖女の名前を口にするだけで罰せられたことさえあったそうだ。
今ではさすがにそこまでではないが、それでも、未だに許されていない存在であることは変わっていない。
そんな人物の生まれ変わりである、などということが知られてしまったらどうなるか。
それを考えれば、前世のことは秘密にしておく必要があった。
(本当はここにもいない方がいいのかもしれないけれど……さすがに大丈夫、よね?)
フェリクスにも、バレることはなかったのだ。
竜から助けられた後、当然のように顔を合わせたのだけが、そこで言われたのは、余計な面倒をかけるな、というものであった。
完全な不可抗力だとは思ったが、彼からしてみれば関係ないのだろう。
視察に来たと思ったら、赤竜を討伐することになったのだ。
それは文句の一つや二つ言いたくなるの当然である。
何にせよ、その際レティシアのことには気付ていなそうだったので、問題はないはずだ。
レティシアが、余計なことを口走ったり、やったりしなければ。
(……まあ、そこが一番問題なのだけれど)
特に、薬師として考えると、余計なことをしてしまう可能性しか浮かばない。
というのも、レティシアが薬師として城に勤められるのは、間違いなく前世のおかげだからである。
前世のレティシア――アリエルの役割は、主に様々な霊薬を作ることで、それはまさに薬師の仕事だ。
そして今のレティシアの薬師としての腕も、明らかに前世の影響を受けていた。
前世のことは思い出せなかっただけで、最初からその身に宿っていた、ということなのだろう。
(問題は……あれから千年経っているはずなのに、薬に関しては千年前よりも劣っている、ということね)
その理由は主に二つあり、一つは、世界を統一した種族である魔族は、薬を必要としないほどに強靭な肉体を有していたこと。
しかしそれ以上に二つ目の方が重要であり……それは、聖女が禁じられた存在となった、ということが関係していた。
つまりは、聖女であるアリエルが薬師としての役割を果たしていたせいで、薬に関係する多くのものも禁じられ、忘れ去られてしまったのだ。
必要最低限のものはあるが、ポーションなどを始めとした霊薬関係はほぼ全滅という有様であった。
近年になってようやく、それではまずいということになり、少しずつ解禁されてきているのだが、失われたものが戻るわけではない。
(……そんな中で、わたしだけは知っている)
禁じられ忘れてしまった薬の、全てを。
だが、それを伝えるということは、レティシアが聖女だったということを知らせるのと同義だ。
というか、聖女だったということを知らせないようにしたところで、何故禁じられ忘れられたものを知っているのかという話になってしまうので、結局怪しまれることに違いはない。
(その結果どうなるのかは……まあ、絶対ろくな目に遭わないわよね)
いや、最悪自身のことは除外して考えるとしても、その場合、それはそれとしてレティシアが伝えた薬のことは信じる、という話になるだろうか。
間違いなくならないだろう。
何せ未だに世界で恐れられている聖女の知識の一旦である。
世界にとって害にしかならぬと、宰相にまでなった男の手により直々に処刑された人物のものだ。
この世界に害をなすものだと考えられる可能性は非常に高かった。
レティシアが聖女だと伝えれば、なおのことそうだろう。
むしろ、意図的に害をなすものを伝えようとしていると考えられそうな気さえする。
レティシアが本当はどう思っているのかは、関係なく。
正直なところ、レティシアはこの世界や魔王たちに恨みなどはまるで持っていなかった。
(……だって、今のこの世界は、驚くほど平和なのだもの)
世界が魔王の手によって統一され、世界には平和が訪れた。
歴史の教科書に書かれている、そのままであった。
魔族とだけではなく、人類同士でも時折争っていた千年前とは、比べ物にならないほどだ。
だから、レティシアはむしろよかったとさえ思っている。
(わたしがあの時殺されたことで、この平和な世界が訪れたのならば……)
それでよかった、と。
さすがにフェリクスに対しては複雑な思いがあるが、それでもやはり、恨むとまではいっていない。
多少はあの時本当はどういうことを考えていたのかを聞きたい思いはあるが、その程度だ。
今の世界が平和であるのならば、このまま平和であって欲しいと思っている。
(それを考えると、わたしの知識は伝えた方がいいとも思うのだけれど……ままならないものね)
そんなことを考えながら、レティシアは溜息を吐き出した。
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