第23話 あらためて校本全集について
ところで、原稿をボツにするにはボツにする理由があるわけで、校本全集について「ボツ部分まで公表するっていうのはどうなの?」という考えかたはあると思います。
形式的には、生涯を通じて賢治の代理人の役割を務められた弟の宮沢
また、それ以上に、賢治は原稿を出版したくなくて出版しなかったのではなく、出版したくてもできなかったのだ、という事情も考える必要があります。
『春と修羅 第二集』、『春と修羅 第三集』、『
そうであるならば、出版できる条件が整ったのならやはり出版するのが賢治の意図に合致するでしょう。そして、その際には、賢治が「決定稿」と考えたものがあるならばそのヴァージョンで、そうでなければ、ともかくも生前に書いた最後の形態で出版するのがよいだろうと思います。
それでも、途中形態まで公表するのはどうなのだろう?
ところが、賢治にとっては、印刷して出版されたものも「途中段階」だった、ということが伺えます。
たとえば、出版された唯一の詩集(「心象スケッチ」集)『春と修羅』は、出版された本に自分で直しを入れています。それも複数の本にそれぞれ違う直しを入れています。現在、そのうち三冊が伝存していて、新校本全集にはそれぞれの直しの結果が掲載されています。もしかすると三冊だけではなくもっとあったかも知れません。なお、天沢退二郎さんが編集された新潮文庫の『新編宮沢賢治詩集』の「
雑誌などに発表した作品についても、賢治は発表後にさらに手を入れて改作しています。だから「雑誌発表形」が途中段階、という作品も多いのです。
それを考えると、賢治は、出版原稿が「完成稿」と考えてはおらず、出版された作品もまだ「途中段階」だという意識で作品を書いていたと言えるでしょう。
じゃあ、それ以前の途中段階も、発表しても必ずしも賢治の意図に反するとは言えないのでは、ということになります。校本全集はその考えで作られています。
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