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2023年2月8日 20:13
読み直しました。わたしは 孤独を抱えたまま生きていく、のだと思いました。(個人的な感想です。)ところで、わたしは新潮文庫の『新編 銀河鉄道の夜』と集英社文庫の『銀河鉄道の夜』がありました。「おっかさんは、ぼくをゆるして下さるだろうか」のところが泣けます。
作者からの返信
「おっかさんは、ぼくをゆるして下さるだろうか」ということばは、カムパネルラがなぜここに来たのか、まだよくわからないときのことばで、ジョバンニの答えもよくわからないままで、かみ合っていません。それがせつないですね。それと、カムパネルラの最後のせりふ(どれを「最後」ととるかにもよりますが)も「あすこにいるのはぼくのお母さんだよ」なんですね。新潮文庫のほうの編者がここでとり上げている天沢退二郎さんです。ありがとうございます。またよろしくお願いします。
2023年2月8日 18:12
なかなか難しいですね^^;しかし幾通りもの解釈が成り立つ、ということこそ、ゴーシュの、そして賢治の作品の豊饒さの証かもしれませんね。面白かったです。ではではノシ
ほかの作品でも、賢治は晩年の直しで「幾通りもの解釈」ができるような変更をしている例があります。とくに、詩では、(七五調とかに)形式を固定することで、かえって解釈や感じ取りかたの「振れ幅」を大きくしていることがあります。「セロ弾きのゴーシュ」も最晩年に近い作品ですので、わざと解釈が一つに絞れない可能性を残したのかも、とも思います。ありがとうございます。またよろしくお願いします。
読み直しました。
わたしは 孤独を抱えたまま生きていく、のだと思いました。
(個人的な感想です。)
ところで、わたしは新潮文庫の『新編 銀河鉄道の夜』と集英社文庫の『銀河鉄道の夜』がありました。
「おっかさんは、ぼくをゆるして下さるだろうか」のところが泣けます。
作者からの返信
「おっかさんは、ぼくをゆるして下さるだろうか」ということばは、カムパネルラがなぜここに来たのか、まだよくわからないときのことばで、ジョバンニの答えもよくわからないままで、かみ合っていません。それがせつないですね。それと、カムパネルラの最後のせりふ(どれを「最後」ととるかにもよりますが)も「あすこにいるのはぼくのお母さんだよ」なんですね。
新潮文庫のほうの編者がここでとり上げている天沢退二郎さんです。
ありがとうございます。
またよろしくお願いします。