第12話 宮沢賢治の「彼方」

 校本全集が登場するころまでに、「宮沢賢治はこんな作家だった」という「賢治像」の議論はかなりのレベルに達していたと言っていいでしょう。

 賢治は、作家であるとともに、農業技術者であり、農学校の教師であり、農村改良運動の運動家であり、妹思いの兄であり、法華経の行者である、というようなことは、すでに明らかになっていたのです。

 そのなかで、たとえば、法華経の行者であることと文学者であることの関係をどう考えるか、というようなことが議論されていました。つまり、賢治にとって、詩や童話は法華経の教えを広めるための手段だったのか、それとも、そういう面があるのは確かだとしても、それには収まらないものなのか、というような議論です。同じことは、教師としての賢治と文学者の賢治、技術者としての賢治と文学者としての賢治、などということについても問題になりました。

 天沢退二郎さんはそういう議論の状況に不満を感じていたのです。

 それは、初期の賢治作品評論集『宮沢賢治の彼方へ』というタイトルにも表れています。もちろん、タイトルだけでなく、そこに収められた評論にも、です。

 賢治の作品は、あるいは、賢治の作品からインスパイアされるものは、とても「いま議論されている賢治」の範囲には収まらないはずだ。それだけ豊かなものが賢治作品にはまだあるはずだ、という思いがあったのでしょう。

 いや。作家、農業技術者、農学校の教師、農村運動家、妹思いの兄、法華経の行者だけで十分に豊かですが。

 それでも、「これだけの作品を残したひとが、こんな狭い範囲についてああでもないこうでもないと議論されるだけというのはよくない」と思わせるだけのものを賢治の作品は持っていたということです。

 同時に、その賢治の作品世界の豊かさと広がりに気づいた天沢さんの感受性もすばらしいものだったと思います。

 その結果として、同じ思いを持っていた人たちが集まり、考古学的な作業によって「賢治生前の最終ヴァージョン」を確定するという校本全集の編集作業が行われました。

 そうして、こんどは、校本全集を起点として、それまでは十分に見えていなかった賢治作品のさまざまな性格が論じられるようになりました。

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