第11話 校本全集が登場したことの意味

 最初はここまでに書いたことの繰り返しになります。

 1973年に刊行が開始された『校本宮澤賢治全集』(校本全集)は、それまでの宮沢賢治作品刊行の流れから見ると、画期的な意味を持っていました。

 賢治作品の多くは、未刊行の原稿のまま、しかも複数回にわたる「手直し」(直し、推敲)が行われた状態のままで残されました。また、いちど印刷して刊行された文章(詩なども含む)についても、刊行後に賢治が手直しをしている例が多くあります。

 したがって、賢治の作品を全集や作品集として刊行するときには、その複数回の手直しのどれを「最終的な推敲の結果」として本文を確定するかが大きな問題になります。

 校本全集までの全集は、大ざっぱに言うと、「宮沢賢治というのはこういうひとだから」という作家像をまず想定して、「こういうひとだから、この部分を削るはずがない」、「こういうひとだから、賢治が書きたかったのは(複数の直しがあるなかの)これだ」というような想定のもとに本文が決められました。

 もちろん、この時期の全集でも、原稿に立ち返って検討する、ということは行われていました。

 しかし、後の校本全集での作業ほど徹底したものではありませんでした。

 その校本全集はそれとは違うアプローチをとります。

 「直し」のインクの重なりから「どちらが後に書かれたものか」を判断し、消しゴムで消された痕跡まで復元して、「宮沢賢治がその生涯で最後に書いた原稿はこれだ」という文章を復元し、それを本文にしています(ただし、大規模な「直し」を意図して着手しながら、その「直し」が未完で終わっているものは、その「最後の直し」の一つ前のヴァージョンを最終形として掲出しています)。

 また、その過程でひとまとまりの「手入れ」が終わった段階の原稿の状態も復元して、それを「先駆形」や「第一次稿」・「第二次稿」など「異稿」として別に掲出しています。

 「賢治はこういう作家だからこう書いたはずだ」という判断を保留して、「いま残されている原稿からはこれが最後に書いた原稿であると読み取れる」という内容を復元したのです。

 それは、遺跡の状態から、ここにはかつてこんなものがあったはずだ、それの成立順序はこんな道筋だったはずだ、と復元する「考古学」のような手法です。

 ということは?

 校本全集までの作業は、作家論や文学論に基づいた「文学的」なものだったのに対して、校本全集系のアプローチは「文学的」ではない?

 それは「文学的」ということばの定義によるので、なんとも言えませんが。

 しかし、校本全集について、確実に言えることはあります。

 校本全集が登場したことのは、それまでの全集に劣らない画期的なものだった、ということです。

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