第9話 もしも…

 ところで、この校本全集のたいへんな作業の話を思い起こして思うのは。

 賢治の時代に、「カクヨム」のような小説投稿サイトがあったら、ということです!


 賢治の原稿が大量に未発表のまま残ったのは、賢治に出版する意図がなかったのではなくて、やはり出版してくれる出版社がなかったからです。


 生前唯一の詩集(「心象スケッチ」集)『春と修羅』と、生前唯一の童話集『注文の多い料理店』(これ、とりあえずは「に載っている品目が多い料理店」という意味なんですけど。もちろん、いま普通に考える「注文が多い」と重ねて使われているのですが)は、実質的には自費出版に近いものでした。

 要するに「同人誌」または「個人誌」のようなものです。


 賢治は、『春と修羅』に続いて『春と修羅 第二集』を作成し、これも印刷寸前まで原稿を整えています。

 裕福な家庭の生まれだった賢治は、自分で印刷機を用意してこの「第二集」を刊行しようとしました。

 自前の印刷機、っていうのはすごいですけど。

 でも、いまで言うと、自分の家のブリンターで出力して作った「コピー本」みたいなものです。

 コピー本で詩集!

 いまなら普通にアリですよね?

 しかし、賢治は詩集を刷る前にこの印刷機を手放してしまい、印刷できなくなってしまって、『春と修羅 第二集』は刊行できないままに終わりました(なお、刊行に失敗した後も原稿の手直しを続けているので、再度、刊行するチャンスをうかがっていたようです)。


 そのあとも、『春と修羅 第三集』、『疾中しっちゅう』、『文語詩集』(「文語詩稿」というタイトルで残っている)などを、刊行できる状態にまで原稿を整えています。チャンスがあったら刊行したい、という計画はずっと持っていたのです。


 童話(または「少年小説」)のほうも、「グスコーブドリの伝記」は雑誌に発表しましたし、「ポラーノの広場」、「風の又三郎」、「銀河鉄道の夜」も順次発表していく計画を立てていたようです。そういうメモが残っていて、そのメモも校本全集に収録されています。

 童話や詩で雑誌に発表された作品もそこそこの数にのぼります(ただし原稿料は生涯に一度しか受け取っていないとのことです)。


 発表する意図はあったのだけど、発表するメディアに恵まれなかったんですね。


 そこで「カクヨム」ですよ!

 「カクヨム」に限りませんけど。

 小説投稿サイト。

 それなら、書いたものを、すぐに発表できるわけです。

 しかも、公開すれば本文は確定するので、後世の「研究者」が、消しゴムで消した痕跡を虫眼鏡で復元したり、重なっているインクのどっちが上かを検討したりする必要はない。


 もし、賢治の時代に「カクヨム」があったなら、賢治の同時代のひとたちは、賢治自身の書いた「最終稿」で賢治作品を読めていたはずなのです。一九七〇年代に校本全集が出るのを待たず、リアルタイムで読めていたのです!

 ほんとうに、惜しい、と思います。


 ということで、この文章は、「小説投稿サイトがある時代にものを書く活動ができて幸せだ」というところで終わりますね。

 ……なんか論点がズレてる感じがしないでもないけど。


 (終)

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