第8話 「二次創作」としての谷川版
ここまでの書きかたでは、何か谷川徹三さんが「不正確な校訂」をした、というニュアンスになっていますが。
けっしてそういうことではありません。
谷川徹三さんも、やはり、その時代の条件のなかで、客観的に「賢治が書いた最終版はこれに違いない!」という本文を定めて刊行したのです。
そのときに根拠にした大きな要素が、「賢治はこういう人物だから」ということだったわけです。
たとえば、「ここをボツにしたかどうかは、原稿の表記を見ると判別できないけど、賢治はこういう人物だから、こういうだいじなところをボツにするはずがない」という考えで作品を編集した。
具体的には、ブルカニロ博士登場の場面は、そのあとの部分(現在の「第四次稿」の最後の部分)と重複する内容があるけれど、賢治的な世界観を語るブルカニロ博士の場面を削るはずがないから、そこはボツとは考えない、という判断をしたわけです。
校本全集(~新校本全集)のアプローチは違います。
賢治がどんな人物かは脇に置いて、「最後に手直しをした結果はどれか」を、消しゴムで消した痕跡まで復元して検討して本文を定めたのです。あいまいなところがあっても、賢治の筆跡の変化とか、どちらのインクが上に(したがって後から)書いてあるかとかを手がかりに、なんとか「最後の手直しの結果」を確定して行くのです。
その校本全集の校訂を前提にして見ると、谷川さんの校訂は不十分・不正確で「古い」ということになる。
でも、それは、時代が違うのだからしかたがない。
谷川さんの同世代で賢治の作品の編集に携わったひとは、作家や評論家などの文学者が多かった。谷川さん自身もそうです。
文学者は、「でっかい虫眼鏡を持って消しゴムの痕跡まで探る」などということはなかなかやろうとはしないでしょう。それよりは、「賢治はこういう人物だから」というアプローチのほうが得意です。
しかし、時代が進むにつれて、賢治作品を「研究する」という人たちが登場してきます。天沢退二郎さん・入沢康夫さんは詩人(つまり文学者)ですが、賢治の原稿に対しては研究するひととしてのアプローチで臨みました。ほかにも、自分では、論文は書くけれど文学活動はあまりやらない、という「研究者」がたくさん出て来ました。消しゴムで消した痕跡をさぐるとか、重なっているインクのどちらが上とかいう、考古学の発掘調査を思わせるような作業は、「研究者」にとっては得意な分野です。
まさに谷川さんたちの活動によって賢治作品が広く読まれるようになり、その読者のなかから「賢治作品を研究しよう」という人たちがたくさん登場してきたのです。
校本全集は、こういう多くの研究者たちによって支えられて、はじめて成立したものだったといえるでしょう。
そういう校本全集の時代から谷川版を振り返ると、「ただの不正確な過去の遺物」としての意味しかない。「宮沢賢治作品はこのように校訂されてきた」ということを示す歴史資料でしかない。
――そう言えるかどうか?
私は、そうではないと思っています。
いまの時代から(あくまで「いまの時代から」ですよ!)谷川版を見るならば、それは「賢治の原稿を利用して作成した、「銀河鉄道の夜」の二次創作」として位置づけることができるのではないか?
それが私の考えです。
私は「二次創作」が「一次創作」より劣るとは考えていません。
それは、まあ、私だって、もう何十年も「コミックマーケット文化」のなかで育ってきたわけですから。
「原作」となっている一次創作よりダメな二次創作もあるだろうけど、少なくともどこかの面では「原作」の一次創作より優れている二次創作だってたくさんあるだろう。
そういう考えにもとづいて、谷川版をあらためて位置づけたばあい、「ドライに終わる「銀河鉄道の夜」をウェットに描き直した「銀河鉄道の夜」の二次創作」ということになるんじゃないか?
そして、私はその二次創作のほうが好きだ、ということです。
なお、だからといって、賢治が書いた「第四次稿」の校本全集版が嫌い、というわけではありません。この版も、谷川版より思い切りがよく、若々しく書けている作品、という感じがして、また別の魅力があります。
晩年の作品だけど、若々しい。
三十歳台半ばですからね。それは若いですよ。
まあ「みんな違ってみんないい」ということですけどね。
ですから、これから「銀河鉄道の夜」を読む、という方には、私はやはり校本全集・新校本全集の系統をもとにした本でお読みになることをお勧めします。
そのあとで谷川版を読んで、これもいいなぁ、と思ってくだされば嬉しいですし……。
「何これ? やっぱり説教くさいじゃない?」と思われたとしても、それは、まあ、しかたないな、と。
なので、引き続き「谷川版」も手軽に手に入るようであってほしいと私は願っています。
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