第7話 それでも私は!
でも。
でも!
私はじつは「銀河鉄道の夜」は谷川版のほうが好きなのです!
「古い校訂」・「まちがっている校訂」とわかっていても、こちらのほうが好きです。
銀河鉄道の旅についてのブルカニロ博士の説明も、説教と言えば説教なのですが、そんなに説教くさいわけではありません。
先に紹介した、「歴史のなかで人びとは歴史をどう見ていたか」、「歴史のなかで人びとは何を正しいと思っていたか」というような議論は、それ単独で読んでも興味深い話です。時間と空間の境があいまいになるような銀河の旅の最後に語られる話として、物語にとてもマッチしている、とも思います。
でも、それがあるからと言って、学校‐活版所‐家のエピソードがない、というのももの足りないと、私は思うんですね。
賢治は、そのブルカニロ博士による旅に意義づけがなくなるぶん、ジョバンニの日常生活を描いて銀河鉄道の旅と対比し、銀河鉄道の旅の意味を浮かび上がらせようとしたのでしょうけど。
両方あってもいいじゃん、というのが私の感想です。
さらに、谷川版にはもうひとつ問題があって。
谷川版の最後の部分は、現在、原稿が行方不明で、存在しません。
つまり現存していない原稿を採用しているのです。
谷川版が作られたときには現存していたのかも知れないのですが。
この部分は、どこにつなごうとしてももうひとつ収まりが悪く、したがってボツ部分の一部らしいのですが(校本全集・新校本全集では完全なボツ部分として扱っていて、「第一次稿」から「第四次稿」のどの部分にも採用しておらず、本文外の注の部分に掲載しているだけです)。
谷川版はこれを「結びの部分の原稿」として採用したのです。
そして、この「現存しない原稿」の部分がとてもウェットで、このウェットさで終わる、という終わりかたが私は好きなのです。
校本全集版はわりとすっぱりと「青春への旅立ち」的に終わります(この程度のネタバレは許してください)。
おそらく、病状が安定していたとはいえ、回復の見込みも立たず、身体的にもつらかったであろう時期の賢治が、その時期の手直しで物語を「青春への旅立ち」的に終わらせた――というメッセージ、その力強さは受け止めなければならないと思います。
そう思うんですが。
この、元気よく終わるとは言えない谷川版のウェットさが私は好きなんですねー!
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