第5話 谷川版と校本全集版の違い

 さて。

 「銀河鉄道の夜」で、岩波文庫の「谷川徹三 編」の版(谷川版)と、校本全集版(新校本全集もほぼ同じ)とで何が違うかというと。

 違いはいくつもあるのですが、その最大の違いは、私は、ブルカニロ博士という人物が登場するかどうか、だと思います。


 谷川版には、ブルカニロ博士という人物が、主人公ジョバンニの銀河鉄道の旅の最後に登場して、その旅の意味を説いて聞かせる場面があります。これ自体が「歴史上の人びとが歴史をどう考えていたか」、「昔の人たちが何を正しいと考えていたか」というような話にも及ぶ、興味深い議論なのですが。

 校本全集版にはこの場面がありません。

 だから、ジョバンニに銀河鉄道の旅の意味を説いてくれる人物はだれもいません。

 ジョバンニは自分で考えなければいけない。ということは、読者も自分で考えなければいけない、いや、その前に、読者はそれを考えようと思うかどうか? ――という構成になっています。


 なぜこんな違いが生まれたか、というと。

 校本全集版では、ブルカニロ博士が登場する場面は、最後の手直し(「第三次稿」から「第四次稿」への手直し)で賢治が削ったと判断して、原稿は存在しているにもかかわらずボツ部分として扱った。

 谷川版では、ボツだとは判断せずに、そのまま採り入れた。

 ――ということです。

 原稿の校訂としては、校訂の厳密さから見ても、校本全集版のほうが正確な校訂だと言えます。

 つまり、谷川版は「古い校訂」で不正確、ということになります。


 なお、校本全集・新校本全集でも、ブルカニロ博士の登場場面を全面否定しているわけではありません。

 ブルカニロ博士が登場するのは「第三次稿」までという扱いです。

 だから、校本全集・新校本全集の系統で、「第三次稿」を復元したヴァージョンのばあいは、やはりブルカニロ博士が登場します。このブルカニロ博士が登場するヴァージョンは、校本全集・新校本全集のほか、同じ出版社のちくま文庫版にも、また、新潮文庫にも、「銀河鉄道の夜」の別ヴァージョンとして掲載されています。


 ただ、最初の学校の場面から、ジョバンニが活版所に行って仕事をして、家に帰って病身の母親と話す、という展開は、「第四次稿」(現在の校本全集系の本文)への手直しで書き加えたものなので、「第三次稿」にはありません。

 賢治は、ブルカニロ博士が登場する場面をに、この学校‐活版所‐家の場面をいます。

 したがって、「「学校‐活版所‐家」の場面とブルカニロ博士の登場場面が両方ともある原稿」というものは、賢治は一度も書いていないのです。

 ところが、谷川版には、学校‐活版所‐家の場面とブルカニロ博士の登場場面が両方ともあります。

 つまり、谷川版は、「賢治が一度も書かなかったヴァージョン」なのです。

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