第3話 最初の全集から校本全集まで

 大まかに言うと、最初の全集では、現在の「銀河鉄道の夜」で最後の部分とされているところ(ネタバレになるので内容は書きませんが)が先に来て、そこから銀河鉄道の旅が始まる、という構成になっていました。

 この最後の部分は、原稿の裏紙が何枚にもわたって使われていたり、一九二四年に最初に書いたときの用紙がそのまま残っていたりで、ノンブルもない。ストーリー的にも、銀河鉄道の旅に行く前なのかその後の話なのか、どちらの解釈もできます。

 だから、全体のなかでどこに入るのか、順番が確定しにくい部分です。

 そのため、最初の全集では、主人公のジョバンニが現実世界でひと通りのできごとを体験してしまってから、銀河鉄道の旅に行くんだろう、という推測で編集が行われたのですね。

 じつは、「銀河鉄道の夜」は、このかたちで一九六〇年代まで読まれ続けました。

 この「最初の全集」のかたちの「銀河鉄道の夜」に出会うことは、今日ではさすがにほとんどありません(絶無ではないらしいのですが)。


 「やっぱりこれはストーリーの順番としておかしいのでは」という指摘が出たのは、一九六〇年代(昭和三〇年代後半)になってからです。

 そこで、花巻の宮沢家に保存されていた原稿を再検討した結果、銀河鉄道の旅の部分が中間に来て、主人公ジョバンニが現世に戻って来て、現在の結末部分で終わる、という現在のようなかたちになりました。

 基本的に、このときのかたちが、「谷川たにかわ徹三てつぞう 編」の岩波文庫の童話集『銀河鉄道の夜』として刊行されています。これは現在でも入手は容易なはずです。


 ところが。

 一九七〇年代に入って、詩人の天沢あまざわ退二郎たいじろうさんと入沢いりさわ康夫やすおさんが「これも何かおかしいのでは? すくなくとも現状では「銀河鉄道の夜」についてわかっていないところがかなりあるのでは?」という見解を打ち出しました。

 このころになって、筑摩書房で、宮沢賢治の新しい全集の編集がはじめられることになります。

 この「新しい全集」は、賢治の原稿を詳細に再検討し、編集者の主観を排除して、「賢治が最後に書いた文章」を復元し、それを本文として確定する、という姿勢で行われることになりました。

 この編集作業に、「銀河鉄道の夜」についての疑問を提出していた天沢・入沢両氏も加わります。「銀河鉄道の夜」も、原稿の実物が詳しく研究され、その複雑な構成が再検討されました。

 その結果として、現在の本文が確定されました。

 この「新しい全集」が「校本こうほん全集」といわれるものです。

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