第7話 ジョセフ、そしてライルのこと②

 

 ジョセフはこれまでの時を挽回するように必死に働いた。

 しかしマーサの抜けた穴は想像以上に大きく、厳しい状況が続いた。

 何より、マーサがいるならと結んでいた他会との共同事業がいくつか破綻してしまったことが大きい。

 更には、庶民用に販売していた食器の強度が十分でなく、大量回収したことでも打撃を受け、多くの負債を抱えてしまった。

 他の事業の利益を負債に補填したため、資金繰りにも苦慮する様になっていた。


(こうなったら、アマンダの実家に頼るしかない……。カートン商会なら、もしや縁者として力になってくれるかもしれない……)


 ジョセフとしても、複雑な関係であるアマンダの実家を頼る様なことはしたくない。

 しかし、もう他に打つ手が考えられなかった。

 ジョセフは強く妻の形見のペンダントを握りしめていた。



 ライルは表向き、至って普通に仕事をしている様に見えた。

 しかし以前の様な笑顔は全く見られなくなり、ただ無表情に、まるで自動人形のように淡々と仕事を続けた。

 アマンダとの関係は冷え切っていた。

 いや、アマンダはそれなりに楽しそうだ。

 カートン商会の娘ということで、多少商会の仕事が任せられないかと期待したが、その期待は完全に裏切られていた。

 アマンダは帳簿付けの一つも出来ず、そしてそもそもやろうとせず、外に出て遊び回っているようだった。


 ジョセフは商人としての最前線から遠ざかって久しい。

 長い間、商人たちの間で交わされる噂話が耳に入ることがなかったが、ここ数ヶ月でまたよく聞こえる様になった。

 そして分かったのだ。

 アマンダは昔から男好きで、男を取っ替え引っ換えしていたということ。

 息子2人の後、最初に生まれた女児ということで、幼い頃から蝶よ花よと可愛がられたことが影響してか、ワガママで自分本位な性格で、常に自分の気に入った男を隣に置いておかないと気が済まないということ。

 それは商人たちの間で公然と噂されていたことだった。

 ライル自身はあまりに視野が狭くなっていたが故に、聞こえていたはずの噂は耳を素通りしていたようだ。


 そもそも、アマンダの胎内に居るのはライルの子ではないのではないかと疑われた。

 それを知ったライルは必死に証拠を掴もうとしたが、上手く隠されているのか他の男との関係は尻尾が掴めなかった。


 ジョセフがライルにカートン商会に協力を仰ごうと話した時、ジョセフはもっと反対にあうかと思っていた。

 しかし、思いの外ライルは大人しく従った。

 最早それしか方法はないことは分かっていたし、マーサに関わらないことは、アマンダのことであってもどうでもいいようであった。





 2人でカートン商会を訪れ、アマンダの父であるエイベルと謁見した。


「急に申し訳ありません。お時間を頂きまして、誠にありがとうございます」

「お久しぶりです、お義父さん。お会いできて嬉しいです」


 ジョセフは深く頭を下げる。

 ライルはただ口角を上げただけの笑顔らしき表情を作り、感情の乗らない挨拶をした。


「いえいえ、こちらこそ会えて嬉しいですよ。親族同士で交流を深めるのは大切なことですからな。はっはっはっ」


 ジョセフとライルがエイベルと顔を合わせたのはその実、形ばかりの結婚の挨拶をした時以来だった。

 ライルは当然アマンダとの結婚をなかなか認められず、しかしジョセフに尻を叩かれ商会との繋がりから致し方なく、まさに不承不承とした態度で挨拶に行った。

 エイベルも決して2人の結婚に前向きではなかったが、もうしてしまったものは仕方ないと、自分の娘のことを棚に上げ、ライルのことを責める視線を投げかけたものだ。


 しかし今目の前にいるエイベルは、不自然なくらい上機嫌だった。

 ジョセフは嫌な予感がした。


「我がカートン商会から援助をということでしたな。

 いやはや、親族ではないですか。ぜひに手助けさせて下さい。他でもない娘の嫁ぎ先ですからな、水臭い事をおっしゃらず全面的に頼って下さいよ」


 エイベルは顎肉を揺らしながら笑い、人好きのする笑みを浮かべた。


「ほ、本当ですか……!」

「ですが、私は不安でね。コックロイルズさんは正直、マーサさんで保っていたでしょう。マーサさんがいなくなった今、上手くやっていけるのかとね、心配なのですよ。

 うちの娘は昔からてんで仕事を覚えなくてね、マーサさんの代わりなんてとても務まらないでしょうし。ははは。その方が女は可愛げがありますがね。そこの所はライルくんはよく分かっていた様だ」


 朗らかに笑っている様で、エイベルの目は全く笑っていないかった。

 ジョセフは嫌な汗が噴き出してきた。


「しかし、商売人としては全くもって愚かだ。自分で足を切り落とす様なものだからね。そして会頭さん、あんたはその時どうしてたんだ。

 はっきり言おう。コックロイルズはもうダメだ。少しばかりうちが援助したところで、持ち直すことが出来ないよ」

「で、ですが先程援助してくださると……!」

「援助するとは言ってませんよ。あなた達を助けると言ったんだ。

 コックロイルズの事業をうちで引き受けましょう。なに、母体の大きさが違いますからね。今いる職員たちをいくらか頂ければ、今よりもっと上手くやれますよ」


「それは……コックロイルズを無くすということですか……?」


 ジョセフは震えながら言葉を出した。


「まあ、そうとも言いますな。しかしあなた達自身や職員たちの生活を守るためにはそれしかないのでは?

 本当はあなた方も分かっているのでしょう? もし分からないとしたら、商人をやめた方がいい。ははは!」


 エイベルは呵呵大笑とばかりに笑った。

 ジョセフは奥歯をきつく噛み締めた。

 分かっている。分かっていたのだ。

 カートン商会からの援助を受けたとて、それは結論を先延ばしにしているだけだということ。

 ジョセフには多くの職員を守る義務がある。

 決断を迫られていた。


「いやだ……!」


 それまで大人しくしていたライルが、急に立ち上がった。


「コックロイルズがなくなったら、本当に……本当にもうマーサが帰って来なくなってしまう!

 コックロイルズはマーサと僕の愛の証なんだ! コックロイルズは無くさない! 」


 ジョセフは驚いた。

 ライルはまだマーサを諦めていないのか。

 未だに戻ってくると思っているのか。

 自分たちがした仕打ちを思えば、子どものことがなくともマーサを連れ戻せる訳がない。



「……お前はアマンダの父である私にそれを言うのかね。本当に愚かな若造だ。いいか、これはもう決定事項だ」


 エイベルは徐々に声量を上げ、ついには怒鳴りながら机をガンっと拳で叩いた。


「自業自得だろう! いいか、お前はアマンダと結婚したんだ! もしこれからお前がマーサさんを探したり、接触したことが分かったら、この話もお終いだ! 勝手に破滅すればいい! あんたたちは路頭に迷うんだよ! 」

「そんな……っ」


 更に言い募ろうとするライルの頭を無理やり押さえて、ジョセフは顔を歪めながら言った。


「わかり、ました……。詳しいことは後日。失礼します……」


 ジョセフは悔しさと不甲斐なさを滲ませて、ライルを引き摺るようにしてカートン商会を後にした。




「父さん! なんで言いなりになんかなるんだよ! コックロイルズが無くなるんだぞ!」


 カートン商会を出てすぐの路地で、ライルは自分を引き摺るジョセフの腕を振り切るなりそう言った。


「いい加減にしないかライル! まだ分からないのか! 他に道はないんだ!

 破産してゼロになるか、名前は無くなってもコックスの、ブロイルズの意志を少しでも残すか、2つに1つなんだよ!」

「元はと言えば父さん……全てあんたのせいじゃないか。あんたがマーサ1人に全て背負わせたりするから……なんであんなことしたんだよ!」

「それは……。ただ申し訳なかったと言うしかない。元は全て私の責任だ……。だが、マーサを裏切り追い出したのはお前だぞ、ライル!

自分の罪から目を背けるんじゃない!」


「ああ……マーサ……マーサ……」


 膝から崩れ落ち涙を流す息子を、ジョセフは呆然と眺めるしかなかった。







 2人が去ったカートン商会の執務室で、エイベルは1人葉巻を燻らせていた。

「お父さま、お腹の子に障るわ。一旦それやめてよ」

「アマンダ……どうしたんだ」


 エイベルの元に、ふっくらとしたお腹を抱えたアマンダが訪ねてきた。


「どう? 厄介者の娘をまんまと押し付けて、しかも上手いこと商会を取り上げた気分は」


 アマンダは妖艶な笑みを浮かべて言った。

 エイベルもふっと煙と共に息を吐き出し、口角を上げて見せた。


「随分な言い方だな、アマンダ。私はお前を愛しているし、全て彼らを救うためにやっていることだ」

「嘘ばっかり。笑わせないで。あんたが私を愛していたことなんかないじゃない。小さい頃はただの愛玩動物として気紛れに構っていただけ。大きくなってからは随分と邪険にしてくれたわ」

「まあ、お前の素行が今ひとつ頂けなかったからな。多少は仕方あるまいよ」


 エイベルは一口葉巻を吸い込むと、ふーっと煙を吐き出した。


「……ねえ、お父さま。わたくしお願いがありますの。コックロイルズで扱ってたあのカルディングラス。あの取引をやめてくださらない? 」


 アマンダはわざと淑女の言葉遣いで、幼子が甘えるように首を傾げながら言った。


「何故だ? あれはなかなかに需要がある。取引を中止するとなると損失が大きい。論外だ」


 吐き捨てるように言ったエイゼルに対し、くすくす笑いながらアマンダは言った。


「お話は最後まで聞いて下さいませ? 取引を中止するのはコックロイルズとしてですわ。あそこはコックロイルズが一番の大口なのでしょう? コックロイルズが取引中止を言い渡したら、きっと向こうは困りますわね?

 そこで、コックロイルズをカートンで吸収した後、再度取引を持ちかけるのですわ。そうすれば、こちらにより有利な条件で契約を結べると思いませんこと?」


 エイベルはしばし考える。

 確かにカルディングラスはほぼコックロイルズの専売特許と言ってもいい。

 人気があり売れ筋である反面、起こりがカルディン村出身の男が作ったブロイルズ商会での契約だ。

 かなりカルディン村にとって優位な取引になっている。

 それを正せるかもしれない。


「お前にしてはなかなかいい案だな。しかし、一体何故カルディンなんだ?」

「ふふふ。秘密ですわ」


 問われたアマンダはこれまでで一番妖艶な笑みを浮かべて言った。



 アマンダはカルディン村にマーサがいることを知っていた。

 金で人を雇い調べたのだ。


(詰めの甘いライル。カルディン村からの手紙なんて信じられる訳ないじゃない。本当に哀れで滑稽なお馬鹿さん)


 アマンダはライルの愛情についてはどうでも良かった。

 愛が欲しいなら他の男から貰うまでだ。

 けれどそれとは関係なく、マーサのことは許せなかった。


(せっかく見目が良くて将来有望な良い男が手に入ったと思ったのに、このままじゃ泥舟じゃない。それも全部マーサのせいだわ)


 アマンダはその実、ライル以外の男とも同時に関係を持っていた。

 そしてしばらくしてから子どもを妊娠していることが発覚した。

 正直、時期的にライルでない男の可能性が高い。

 ライルが仕事の都合で時間が取れず、アマンダと枕を共にしていない時期と被る。

 けれど、身体の相性が良いだけで将来性のない男など、結婚出来る訳がない。

 その点ライルは注目の商会の次期会頭。

 こんなに自分に相応しい男はいない。

 アマンダの中で、子どもの父親はライルだと勝手に決まっていた。


 けれど、とんだ誤算だ。

 それもこれも、全てはマーサのせいだとアマンダは思っていた。

 自分を散々虚仮にしたマーサを許せなかった。

 アマンダの完全な逆恨みだった。



 こうしてライルたちはカートン商会からの圧力で、カルディン村との取引をやめざるを得なかった。




「すまない……。本当にすまない……。ブロイルズの名前が残せないどころか、カルディングラスの取引さえなくなってしまった。カルディングラスは、君が最も大切にしていたものだったのに……。私は、もう死んでも君に顔向けできないよ……」


 ジョセフはマーサの両親の墓前でただ項垂れていた。

 商会の合併には時間がかかる。

 すぐにコックロイルズの名が無くなる訳ではない。コックロイルズの会頭である、後ほんの少しの間だけ、出来ることをしていくしかないのだ。






 何故こんなことになったのか。

 どこから間違っていたのか。


 ライルは自問自答する日々だった。

 マーサを失い、次期会頭という華々しい未来も閉ざされてしまった。

 カートン商会に吸収された後は、一職員として働くのみだ。


 その日、仕事が終わって、ライルはすぐに家に帰る気になれずただ呆然と彷徨うように街を歩いていた。

 そしてふと、ここにはいないはずの栗色の髪が見えた気がした。

 栗色の髪など、どこにでもいる。しかしライルは胸騒ぎがして仕方なかった。


 ライルは駆け出し、栗色の髪を追いかけた。

 そして見つけたのだ。

 最後に自分が見た時よりもずっと美しくなったマーサが、ネイトに微笑みかけているところを。

 何を話しているのかは分からなかった。

 しかし2人は親密な様子で、顔を赤くしながらお互いに微笑み合っていた。

 そして2人肩を並べて、雑踏の中に消えていったのだ。


(……今のは…なんだ……?)


 ライルは自分の見たものが信じられなかった。

 あんなに探していたマーサがまさか居るとは思えなかったし、それにマーサはあんなにも美しかっただろうか。


 そして、あんなに幸せそうに微笑む姿をライルが見たのは、一体いつ以来だろうか。


(そうだ……何故忘れていたんだ……)


 ライルはマーサの笑顔が好きだった。

 はにかみながらライルを好きだと伝えてくる姿が、たまらなく愛しかった。

 あの真っ赤になった顔も、チョコレートブラウンの瞳も、かつて自分に向けられていたものだった。


(好きだったんだ。たまらなく。君の笑顔を守りたいと思っていたんだ)


 ライルは両の瞳から溢れ出る涙を拭こうともせず、駆け出した。

 そして先程そこに居たはずのマーサをいつまでも探し回った。

 しかし、マーサを見つけることは出来なかった。


 体力が尽きて立ち止まると、ライルの左手の薬指からトルマリンの指輪が外れて落ちた。

 やつれたライルには、もうその指輪は大き過ぎた。


 道の真ん中で立ち尽くすライルの足元で、トルマリンが輝いていた。

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