【短編】婚約破棄されたので、月花の君に求婚すると言われても、今更遅い。

あずあず

第1話

「もう限界だ。セレン、この婚約は破棄させてもらう」

ニール公爵は高らかに宣言した。

分厚い眼鏡を通して見る彼の姿は歪んでいる。


「承知致しましたわ」

私は丁寧に、そしてゆっくりと辞儀をした。


2年前に父が持ってきた縁談。

ニール公爵がまだ御令息だった時に決まった。

そもそもニール公爵が私に一目惚れしたというのだ。

子爵家の我がウエストバーデン家に突然来た縁談だった。


冷たく、睨む様なニール公爵の目。

私は重たい眼鏡の位置を直す。


「その分厚い眼鏡も野暮ったいが、時代遅れのドレス。センスのかけらもない。貧乏臭い子爵家はこれだから嫌なのだ」


何を言うのだろう、この男は。

私だって別に貴方など好きでもない。


「僕は"月花の君"と婚約したいと言ったのに。父のとんだ人違いさ」

「左様でございますか。それでは父君にもよくよくお伝えくださいませ」

「フンッ可愛げのない」


「言っておきますが、婚約は破棄されましたので、私に縋りつかないで下さいませね?」


すると彼は思いっきり面白いものを見たと言う風に笑った。

「何を言うんだ。僕が君に恋をするはずがないというのに」

ひとしきり笑って言う。


「そうですか、それは残念でございました」


「やっと婚約に漕ぎ着けたと思って来た相手が全然違って腰を抜かしたのだよ!公爵位を継いだ今、僕は胸を張って月花の君に求婚すると決めたのだ!」


そう言って、去り際手をヒラヒラと振られた。



ーー月花の君?なんだそれは。

私は聞いていて吹き出しそうになった。

思い切りダサいネーミングセンスだ。




私は、居城に着いて父に破談になった旨申し伝えた。

渋い顔をして父は言った。

「そうか…先代公爵からどうしてもと言われて、持ってきた話だったのだがな。2年とはいえ、お前の自由を奪ってしまったね、すまない」

「いいえ、良いのです」

「これからは好きに振舞って良いのだよ。全く、人違いだと!?…ニール公爵…これから後悔することになるぞ」

「お手柔らかになさる気は…なさそうですね」

私はくすっと笑った。


「勿論だ。それ相応の報いを受けてもらわねばな」





部屋に戻り、重たい眼鏡を外し、母のお下がりのドレスを脱いだ。


「馬鹿な公爵。自分のお願いも覚えてないのね、3歩歩いたら忘れちゃうのかしら?」

侍女に湯浴みをしてもらう。

素晴らしい香りのオイルが肌を滑る。


「セレンお嬢様が美しいからと、婚姻が成立するまでは、他の男に惚れさせない様に、目に付かない格好でいろと言ったのはニール公爵ご本人でしょうに」

「鳥頭なんでしょ?おばかさんね」


薄く化粧をし、髪を結い、流行りのドレスに着替える。


「ああ、本当にセレンお嬢様は美しいですわ。ニール公爵にお会いになるときは、お支度をする度に美しさを消さなければならなかったので本当に悲しかったのです」

これからは存分に美しく仕上げますわよ!と侍女は意気込んだ。




夕餉を済ませ、私はいつものように馬車に乗り込む。


星の降る夜空を見るのが唯一の楽しみなのだ。

今日はとびきり空気がいい。

きっと美しい星が見られる。



百合が咲く見晴台で馬車から降りる。

しばらく美しい星を眺めた。


(ずっとこうしていたい)


私の切ない想いは突然響いた声に霧散した。



「ああ!月花の君!!!今日は会えると思ったのです!私はニール公爵と申します。…貴方にずっと思い焦がれておりました。どうか、私の妻になって頂けませんか!?」


跪いて、赤い薔薇の花束を差し出している。

月明かりの下、潤んだ瞳が反射してキラキラと輝いて見えた。

その姿は真剣そのものだ。

先ほど婚約破棄を突きつけた公爵その人とは到底思えない程の人の変わりよう。


私は侍女達と目を合わせた。

御者も突然のことにポカンとしている。


「失礼ですが…」

侍女の一人が前に出た。


「良いわ」

私は侍女を制した。


ニール公爵に歩み寄る。

「…ニール公爵」

一歩、また一歩と。

ニール公爵は顔を赤くして、近寄る私に見惚れている。

そして、持っていた花束を更に高く突き上げた。


ーーこの男は本当に…


「お馬鹿さんね…。私に縋りつかないで下さいませねと先程申したでしょう?」

ニール公爵は目を丸くした。

いまいち分かっていないらしい。

「分厚い眼鏡も時代遅れのドレスも貴方が望んだから着ていたのに。姿が少しでも変わると全然分からないのかしら?」


「あっ…えっ…セレン…!?」

「もう婚約は破棄されたのです。名前で呼ばないでくださる?」

「そんな…人違いじゃ…?」

「そんなこと、私知りませんわよ。男の目に障らない格好を貴方に望まれてしていただけ」

「取り消し…破談は取り消します!!!」


私は思いっきり笑ってしまった。

「今更そんなことできるはずもないでしょう?だから言ったのです、婚約は破棄されましたと」


行くわよ、と言って馬車に乗り込む。


「う、うそだ…」

喉がつっかえてうまく喋れていない。


「月花の君!!」

ニール公爵は手を伸ばして懇願する。


私は馬車に乗り込む足を止めた。

「それ。そのネーミングセンス、ダサすぎるからやめて貰えます?」


出して、と言ってゆっくり馬車が発進する。

窓から振り返ると、馬鹿そうな顔が放心していた。




翌日から私に多くの求婚の手紙やパーティの案内が届いたが全て無視した。

もう殿方とのいざこざはごめんだ。

当分煩わされたくない。


(人違いだなんて、いくら好きでもない人からでも、そんなこと言われたくないわよ…)


1ヶ月はそうして過ごしただろうか。

いよいよ無視できないパーティの案内が届いた。

友人のパルマ男爵令嬢からだ。


(一見、私を心配する内容だけど、噂の的にしたいのか、面白半分で破談の話が聞きたいのか…)


友人とはいえ、ただの噂好き。

どうも好きにはなれなかったけれど、あまり引きこもり過ぎるのも良くはない。

私が傷心しているという噂が広がっていると伝え聞いた。

人の噂は七十五日とはいえ、噂ばかり先行するのも好むところではない。

しばらく思案して、パーティに出席する旨、申し伝えた。




1週間後、件のパーティへ出席した。

やっと心置きなくおしゃれを楽しめる自由に心が躍る。


「セレン子爵令嬢…」

振り向くと、招待者のパルマ男爵令嬢だった。

「お招き頂きありがとうございます」

私は丁寧に頭を下げた。


「実は報告したいことがありますの…」

と言って、パルマ男爵令嬢に紹介されたのは、なんとニール公爵だった。

「彼と婚約することになって…」


婚約破棄から1ヶ月。

こんなにもあっさり乗り換えられるのか。


「セレン子爵令嬢と婚約されていたことは存じております。でも、私…ずっとニール公爵をお慕いしておりましたの」

「おい」

ニール公爵はギョッとしている。

彼は私がここに来ることは知らされていなかった様だ。


「セレン様が、ニール公爵のお眼鏡に適わず破談になったと聞きました」

「…左様ですか」

私は吹き出しそうになった。

彼のプライドか。

確かにお眼鏡に適わなかったのは事実といえば事実だし、事実ではないといえば事実ではない。

彼はやめてくれとばかり、彼女の手を引いた。

しかし、尚もパルマは続ける。

「聞けば、子爵家も貴族派の繋がりを持つための婚約だったと」

そうなるか。


それでは話は違ってくる。


「……失礼ですが。我がウエストバーデン家はニール公爵のお父君に多額の貸付をしておりましてよ」


阿呆面二人が揃いも揃って、理解が追いついていない顔をしている。


「私と婚姻することでご破算になるはずだった公爵家の借金、きちんと返していただくことになりそうですわ」

私はにっこりと微笑んだ。


「そんなはずはない…!だってウエストバーデン家はドレスも買えないほど貧しいのでは…」

「だから、それは貴方のお望みに付き合って差し上げたまで。ウエストバーデン家はこの国でも指折りの資産家でしてよ?」

ご理解頂けたかしら?と聞いてみたが、二人とも絶句している。


「我が家にとっては特に旨味のない縁談話。貴方がどうしてもと言うから、父が折れたまで」


「聞いてないわよ!」

「お、俺だって知らないよ!」

遂に二人で言い合いを始めた。


「だから言ったでしょう?父君によくよくお伝え下さいませと。それから、痴話喧嘩は他所でやってくださる?」

私は横目でチラと見ると、ついに周りに人が集まってきているのが分かる。


「そうそう、そこなニール公爵は、破談を突きつけておきながら、やっぱり破談は取り消してほしいと泣きついてきましたのよ?それはそれは愉快でしたわ」

「はあ!?」

パルマはニール公爵を睨みつけた。

「しかも我が家に借金まである。よくよくお考えあそばされたほうがよろしいわ」


パルマはついに組んでいた腕を振り解いた。

ニールはその勢いで体勢を崩す。


「ありがとうございます!この男に騙されるところでした!」

私はにっこりと微笑む。

「パルマ男爵令嬢。破談を知って、わざわざ私を呼びつけてこの無礼。今日ここにいる人たちによって洗礼を受けることになりますわよ」


噂好きがヒソヒソ話を始めている。

次のパーティでは今件のことで話題が持ちきりだろう。


パルマは脂汗を流して俯いている。


(私を出し抜きたかったのかしら、憐れだわね)


その時

「失礼」

黒髪の凛々しい男性が前に出てきた。

「私は、ロイド・ライアンハートと申します」


ライアンハート…王家の苗字だ。


「セレン・ウエストバーデンですわ。お騒がせしており申し訳ありません」

「聞けば、君とニール公爵は破談になったのだな?」


じっと見つめられた。


「君の美しさと、歯に衣着せぬ物言いに射抜かれてしまった。僕と結婚していただけないだろうか」


突然の、しかも王子からの求婚にその場にいた人々は、みな驚きを隠さなかった。


私はにこやかに笑って、辞儀をした。

「お断り申し上げますわ」

「え、それはなぜ…」

「なぜ?むしろなぜ求婚を受け入れると思ったのでしょうか?」

心底わからない。


「私はもう面倒ごとに巻き込まれるのは、ごめんでしてよ。美しさなど10年もすれば衰える。そんな不確実なものに私は首を縦に振れません」


王子は去っていく私をいつまでも見つめていた。

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【短編】婚約破棄されたので、月花の君に求婚すると言われても、今更遅い。 あずあず @nitroxtokyo

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