赤い屋根のマンション
増田朋美
赤い屋根のマンション
昨日から降り続いて居た雨は、今朝になって止んでくれた。そうなると、中断されていた活動が再開され、また、いろんなところで、イベントや、行事が再開される。人間というものは、本当に懲りない動物で、なにかの災害などで、一時中断されても、また何か始めてしまうものである。
その日、雨が止んだので、富士駅近くにある、手芸屋さんに出向いた杉ちゃんとジョチさんは、タクシーを待つため、タクシー乗り場に行った。まだ、障害者用のタクシーは、到着していなかった。それでは、しばらく待つことになるなと、杉ちゃんがいうと、一台の白い車が、二人の前に来て止まった。
「杉ちゃん、理事長さんこんにちは。今日は、どちらへお出かけですか?」
と窓を開けて、顔を出したのは、白石萌子さん、通称マネさんであった。ちなみに、白い車のナンバーは、わ103となっていたため、車はレンタカーであることがわかる。
「僕らは手芸屋に行って、これから、製鉄所に帰るところだよ。」
と、杉ちゃんが言うと、
「丁度いいわ。あたしも、用事が済んで帰ってきたところだったんです。もし、よろしければ、乗っていきませんか?一応、ワゴンタイプの軽自動車だから、車椅子はトランクに積んでしまえば乗れます。」
と、マネさんは言った。
「まあ、タクシーを待っていても、しょうがないし、じゃあ、乗せてもらおうかな?」
と、杉ちゃんが言った。そこでマネさんは、杉ちゃんを車椅子からおろして後部座席に座ってもらい、ジョチさんは、助手席に乗った。マネさんは杉ちゃんの車椅子を折りたたんでトランクにしまい、自分は、運転席に乗り込んで、
「じゃあ行きますよ。」
と、言って、車のエンジンをかけた。そして、駅から離れた幹線道路を走り始めた。
「マネさん、車の免許、取得されたんですか?」
ジョチさんがそうきくと、
「はい。まあ最近は若者のクルマ離れが多いそうで、割と簡単に免許が取れました。」
と、彼女は答える。
「そうですか。確かに、車の免許は義務教育と同じと言われる時代はもう終わったかもしれませんね。それで、この車は、どうされたんです?レンタカーのようですけど?」
ジョチさんがまた聞くと、
「はい。この車は、富士駅近くの格安レンタカーで借りました。買うのはちょっと高くついちゃうので、お客さんの家に車で行く必要があるときは、レンタカーで移動しています。」
と、マネさんは答えた。
「お客さんって、商売を始めたのか?」
杉ちゃんがそうきくと、
「はい。二部式着物の制作を、一生の仕事としてもいいと思ったんです。地元の掲示板サイトに、二部式着物を作りますという広告を出したら、結構依頼が来るようになりまして。皆さん、着物は難しいと思っているようですが、着てみたい気持ちが色々あるんですね。だから、二部式着物と作り帯を作ってそのお手伝いができると思います。だから、家族といると、ちょっと邪魔になってしまうので、家の近くのマンションを借りて、事務所を作りました。」
と、マネさんはとても明るく答えた。
「そうですか。それは多大な進歩ですね。無理はしないで仕事をしてくださいね。でも、やっぱり、着物を着てみたいという方は多いんですね。」
「ええ。中には体が不自由になってしまって、もう着物は着られないと諦めていたけど、二部式にすれば、大丈夫という方も居て、この仕事をやってとても嬉しいです。」
「へえ、事務所を借りたのか。どこの事務所を借りたんだ?」
杉ちゃんが口を挟んだ。
「ええ、富士駅近くの、赤い屋根のマンションです。それがすごい安く借りられたんですよ。大家さんもいい人だし。だから、お陰様で順風満帆に、二部式着物を作る仕事をしています。」
マネさんは明るく答えると、
「はあ、赤い屋根のマンションですか。数年前だったかな。噂があった事がありましたけど、まあ、それ以外、赤い屋根のマンションは増えたのかな?」
と、ジョチさんは少し考える顔をする。
「噂ってなんですか?」
杉ちゃんがそう言うと、
「ええ、何でも、幽霊が出るということで、前に借りた人が怖いと言って、出ていったというマンションがあるんですが、それが赤い屋根のマンションだったそうです。まあ、噂が噂なので、真偽は不明ですが、赤い屋根のマンションは、他にもありますでしょうからね。」
とジョチさんは急いで答えた。
「そうなんですか。でも、幽霊なんてそんな事、今どきの科学で立証できるものではないし、そういう事は、あんまり気にしないで使ってもいいんじゃないのでしょうか。私は、そんな事、気にしないで、使い続けてますよ。」
と、マネさんは言った。
「うーんそうだねえ。確かに科学的には、なんとかなるもんじゃないけどさ、でも、もしかしたら、変な死に方をして、この世に未練のあるやつは、いっぱいいるんじゃないかな。それが、人前に現れることだって、なきにしもあらずだぞ。」
杉ちゃんがそういった。杉ちゃんという人は、どういうわけだかこういう現象を信じてしまうくせがあった。天童先生のヒプノセラピーを「シャクティパット」と間違えて言う割に、幽霊とか前世とか、そういう事を、信じてしまうのである。
「そうですね。でも、あたしは、気にしません。そういう事は。さあ、もうすぐエコトピアに着きますよ。」
そうマネさんは言って、エコトピアの前を通り過ぎ、製鉄所の前に車を止めた。
「ありがとうございました。わざわざ送ってくださって。後で、お礼をします。」
と、ジョチさんがそう言うと、
「いいえ、大丈夫ですよ。気にしないでください。またどこかでお会いしたら、こちらへお送りします。」
と、マネさんは言って、杉ちゃんの車椅子を取り出して彼を乗せ、製鉄所の玄関前に連れて行った。ジョチさんはマネさんにお金を渡そうとしたが、マネさんは受け取らなかった。
「じゃあ、またお会いしましょう。その時は理事長さんにいい話が出来るように、がんばります。」
と言ってマネさんは車に乗り込み、急いで走らせていった。杉ちゃんとジョチさんは、マネさんはよくやるなと言いながら製鉄所にはいっていった。
それから数日後のことである。ジョチさんが、応接室で書類を書いていると、製鉄所の固定電話がなった。利用者が出てきて、
「理事長さんお電話です。」
と、言った。ジョチさんが誰からと聞くと、
「はい、白石萌子さんという女性の方からです。」
というので、ジョチさんは受話器を受け取って、
「はい、お電話かわりました。理事長の曾我でございますが。」
形式的な挨拶をした。するとなんだか逼迫したような声で、白石萌子さんが、
「あの、理事長さん、天童先生に連絡はとれませんか?」
と、言っているのが聞こえてきた。
「天童先生?なにか、スピリチュアル的な問題があるんでしょうか?」
ジョチさんがそう言うと、
「はい。実は、新しく借りた事務所の壁のシミが、人の手の様に見えて仕方ないので、それを相談したいんです。」
と、マネさんは言った。
「それはどういうことですかね?」
ジョチさんがまたいうと、
「ええ、先日までなかったのに、なんか血天井と言いますか、壁のシミが人の手のように見えるんです。だから、怖くて、それで相談したいんですよ。」
と、マネさんは言った。
「しかし、あまりにも非現実的な、、、。」
ジョチさんがそう言うと、
「はい。それはわかっていますが、本当のことなんです。何ならあたしの事務所に着てくれてもいいですよ。ちゃんと机の裏の壁のシミがそうなってますから。」
マネさんはそう言い張るので、
「わかりました。じゃあ、天童先生に連絡してみますので、しばらくお時間をください。あの、失礼ですけど、格安で借りたという、その物件、もしかしたら、事故物件だったんのではないですか?」
「ええ、、、。大家さんも、紹介した不動産屋さんも誰も、そんな事は言いませんでしたけど、、、。」
マネさんが口ごもっているのを見て、ジョチさんは、噂の事故物件を借りたんだなとすぐにわかった。
「実は、10年前ですが、駅前近くの赤い屋根のマンションで、住んでいるおばあさんが不審死をしたという事件がありましてね。そのマンションは、取り壊されずに、そのまま立っていると聞いたものですから。本来なら取り壊すはずですけど、ちょうどその時満室になっていて、取り壊しができなかったそうなんです。」
ジョチさんがそう説明すると、
「全然気が付きませんでした。私は、ただ、安い物件があっただけで、軽い気持ちで借りてしまったんですけど、、、。」
マネさんは困った口調になっている。
「仕方ありませんね。とりあえず、天童先生には、連絡しておきます。もし、その壁のシミに変化がありましたら、またご相談ください。」
「わかりました。」
マネさんは、ありがとうございますと言って、電話を切った。
その翌日。杉ちゃんとジョチさんが、買い物から製鉄所に帰ってきたところ、一人の着物を着た女性が、急いで製鉄所に向かって突進してきた。何があったのかと思ったら、マネさんこと白石萌子さんだった。
「どうしたんですか?そんな血相を変えたような顔して。」
とジョチさんがそう言うと、
「私、昨日理事長さんに言われて調べてみました。そうしたら、やっぱり、あの部屋は事故物件と言うんでしょうか、事件があった部屋だとわかりました。大家さんに聞いて見たところ、あそこで、おばあさんが一人なくなったそうです。あたしが、壁に人間の手のようなシミがあると言いましたが、大家さんが確認したときは、何もなかったそうです。」
と、マネさんは、早口に言った。
「それを聞いてきたら、壁の人間の手のようなシミがもっとはっきり見えているような、そんな感じに思えてきて、それでもう私怖くなって、それで来てしまいました。あたし、もうたまらなくなって、壁を見ることもできないんです。」
「はあ、はあそうですか。それは確かに不自由ですね。僕も昨日のうちに天童先生に、話してみましたが、そういう事はありえない話ではないと言っていました。もしかしたら、前に住んでいた人が、なにか言いたくて出てくるのではないかと、言うのです。」
ジョチさんがそう言うと、
「そうだねえ、みんな突然消えちまうが、それってあまりに突然だからな。それで何かこっちに言いたいって言うやつは、5万といるはずだ。よし、じゃあ、僕とジョチさんと天童先生で、その事故物件に行ってみようぜ。」
杉ちゃんがすぐに言ったため、ジョチさんは天童先生に電話した。天童先生も、彼女のことを心配していたようで、すぐに行きますと言ってくれた。三人は、天童先生が持ってきてくれた車で、その事故物件に向かった。
確かに、赤い屋根のマンションだった。高層マンションではなく、3階建ての鉄筋コンクリートのマンションであり、タッパの蓋を締めたような屋根が、地のように赤い色をしている。マネさんが借りている部屋はその103号室であった。
とりあえず、部屋の中に杉ちゃんたちがはいってみると、確かに、ただのマンションの一室であることは疑いなかった。2つ部屋があって、一つが応接室のようになっていて、奥の部屋が、彼女の仕事場だろう。ミシンや針箱が置いてあるのだった。杉ちゃんが、何だ、何も変わらない、ただのマンションの部屋じゃないかと言おうとしたその時、机の近くの壁に、人間の手のような赤いシミがあった。確かに、人間の手のような感じの形のシミであった。でも、怖いということは、感じられなかったのだが、
「怖いもんか。僕は確かめてやるぜ!」
と言って、その壁のシミに触ってみた。すると、そこに糸が出ていることに杉ちゃんは気がついた。そこでその糸を杉ちゃんは掴んで引っ張ってみる。すると糸はいくらでも伸びてくる。壁の中から、きりがない、きりがない、きりがない!
「わあ!どういうことだ!」
杉ちゃんは車椅子ごと倒れそうになった。この事件を目撃したジョチさんも天堂先生も、こんな事が本当にあるのかどうか、目を疑ってしまったのであるが、壁の中に糸巻きを入れてあるわけでもなく、紛れもなくこれは前の住人がなにか言いたかったんだと言うことを知った。とりあえず、ジョチさんは、杉ちゃんにもういいですと言って、壁の中から糸を取り出すのとやめさせた。とりあえず、マネさんには、しばらく製鉄所に泊まってもらうことにして、杉ちゃんたちは、マンションの管理人室に行き、白石萌子さんが住む前に、誰が暮らしていたかを、管理人さんに教えてもらった。管理人さんは、始めはこのような超常現象に応じてくれなかったが、杉ちゃんが、
「本当に糸が壁の中から出てくるんだよ!」
と怒鳴りつけるように言ったため、仕方なく、牧田貴美香さんという女性が住んでいたと、話してくれた。ジョチさんはそれを手帳に書き込んで、
牧田貴美香さんという人の行く末を調べて見ることにした。とりあえず、管理人さんに牧田貴美香さんという人がどんな人物だったのか、と、言うことを、聞いてみると、なんだか力が全部抜けてしまったようなおばあさんだったと管理人さんは答える。ジョチさんが、誰か身内か、それに準ずる親戚などは居なかったのかと聞くと、そのような事はなかったと管理人はぶっきらぼうに答えた。
「そうですか。でも、必ず誰かの手助けなしでは、人間生きていられません。その牧田さんは、ヘルパーとか、そういう人を雇うとか、そういう事はできなかったのでしょうか?」
と、天童先生が聞いてみると、
「いやあ、そういう事はなかったなあ。それに病院に言っているようでもなかったし。それにね、家賃はちゃんと払ってくれてたけど、住人同士で交流があったわけでも無いしね。あの牧田貴美香さんの事は、全くわからないんだよ。」
と、管理人は答える。
「それもまた不審ですね。」
と、ジョチさんが言うと、
「なんだか死にに来たような感じですね。」
と、天童先生も言った。
「ということは、ご家族とか、そういう人は居なかったんでしょうか?じゃあ、ここで不審死をしたという、牧田貴美香さんの死因はなんですか?」
と、思わずマネさんがいうと、
「ええとですね。それが、餓死だったそうです。何十日も食べ物を食べないで、発見されたときは、冷蔵庫に、何の食べ物もはいっていなかったんです。」
と、管理人は言った。
「はあ、そういうこともあるんだな。しかし、何をいいたくて、マネさんの部屋に手形と糸を残して逝ったんだろ。」
杉ちゃんがそう言うと、
「まあとにかくですね。あの女性の話はしたくありません。もうこれでいいですか?」
と、管理人は、冷たく言って、管理人室のドアを閉めてしまった。杉ちゃんたちは、牧田貴美香さんという女性について、もう少し調べてみようということにした。とりあえず、マネさんが、インターネットで牧田貴美香と検索してみると、10年前に新聞に投稿された記事があった。それを読んでみると、貴美香さんは、娘さん夫婦と暮らしていたが、うつ病になってしまって、娘さんたちの家から追い出されてしまったという。それで、彼女は、このマンションで餓死という形で自殺したという記事が載っていた。
「もしかして、マネさんが、娘さんに似ているので、それで、勘違いして出てきたのかなあ?」
と、杉ちゃんが言った。天童先生が、
「その可能性が高いわね。」
と言う。
「娘さんと勘違いして、娘さんになにか言おうと思って、それで出てきたのかもしれないわ。」
「そういうことって、実際にあるものでしょうか。よく、映画とか、文献ではよくあると思うけど、、、。」
マネさんは小さい声でそう言うと、
「実際にあるんだから、そうなっちまうさ。」
と杉ちゃんが言った。
「じゃあ、娘さんたちは、今頃どこかで生きているんでしょうね?それでは、娘さんたちに知らせて置いたほうがいいですね。先生、ちょっと市役所かどこかに行って、娘さんにお話して見ましょうか?」
ジョチさんが天童先生に言うと、天童先生も、
「ええ。故人を慰めるには、そうするしか無いと思うわ。」
と、言った。しかし、杉ちゃんが、
「いや。そうするのは無駄だよ。」
と言った。
「しかし、故人の言いたいことを、ちゃんと生存者に伝えないとだめだと思うんですよ。事実、そういう事があったんですから。故人は、今でも、娘さんの事を思っているでしょうから、それは、ちゃんと伝える必要はあるんじゃないでしょうか。」
「それに、もしかしたら、まだお母さんに謝罪をしていないのかもしれないし。」
天童先生とジョチさんは、二人でそういうことを言っているが、
「いやあ、そういう事は、娘さんには伝わらないからこそ、超常現象として、出てきてしまうもんじゃないのかな?伝わっていれば、もうとっくに解決してるはずだし。だから、他人である僕達が、ちゃんと彼女を慰めてあげて、それで彼女が満足してもらうことしかできないと思うんだよね。まず第一に、その牧田貴美香さんという女性は、もうこの世から消えてしまっているわけだからなあ。それが、話しかけてくることはありえない事になってしまっているわけだからなあ。」
杉ちゃんは、腕組みをして三人に言った。
「そうね。私も、そう思います。死んだ人というのは、もうこの世には居ないっていうことが定説みたいになってますし。」
マネさんもそういう事を言った。ジョチさんと、天童先生は、床に散らばっていた、壁の中から出てきた紐を思い出して、庵主様を呼んで供養してもらうことにした。二人が、庵主様に電話をしている間、
「あたし、このマンションは解約しませんよ。」
とマネさんは言った。
「でも怖くないのかい?」
杉ちゃんがそう言うと、
「その牧田貴美香さんが、納得してくれるまで、あたしがそばに居続けることが必要だと思うの。あたしだって、そういうふうに、邪魔もの扱いされたことあるから、そういう爪弾きにされた人の気持もわからないわけじゃないわ。」
と、マネさんは、小さいがきっぱりした声で言った。
赤い屋根のマンション 増田朋美 @masubuchi4996
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