第5話
円花さんに命令されたとおり、俺はなごみにメッセージを送ってくるや書店で会う約束をかわした。
俺は円花さんとともに、くるや書店へと向かっている最中だった。街の交差点で歩車分離式信号機の長い待ち時間を、そわそわとした気まずい気持ちで過ごさねばならない。寒風が、いつも以上に刺すように痛くて、折れたばかりの指にじくじくと響いた。
添え木とともに包帯が巻かれた指をそっと摩りながら、円花さんの方を見る。
横にいる円花さんは不気味なほどに何も言わなかった。いつもは饒舌なほど饒舌に小説の話をするはずなのに。
光のない黒い瞳が、ずっと地面を睨んでいた。
「……」
俺は目線のやり場に困って、隣の家電量販店になんとなく視線を移した。
ガラスケースの先にいくつものテレビが明かりを灯している。全部、同じバラエティー番組をやっていて、しかも内容はAIについての都市伝説だったから、気持ちがさらに重たくなっていく。
とある近未来のSFアニメを例に出し、都市伝説の解説をしているようだ。アニメでは特殊な体質と思考回路をもった人間たちの脳が、社会を管理するシステムを作っている……という設定があるそうだ。将来、アニメのようにそうした人間の脳みそが社会のインフラやら監視システムのAIに流用され、AIによる監視社会が実現するのではないか? アメリカでは、すでにその研究が行われ、その社会に到達する兆しがある……との下らない内容。
いつもなら番組の内容に突っ込みを入れながら痛烈に批判してやるところだが、この状況ではさすがにそんな余裕はない。他のことに思考を走らせようとも、軌道修正させられる重たい現実がある。
痛みと恐ろしさに満ちた、冷たい現実。
これから俺は、従妹の親友に二度と近づかないよう告げなければならない――。
信号が、軽やかな音とともに青へ変わった。
「……円花さん、変わりましたよ」
「……脳か……」
「円花さん?」
彼女が、ばっと顔をあげる。
「わかっているよ」
狂的な瞳の黒さが、俺を黙らせる。
円花さんは幽鬼のような足取りで進んでいく。歩幅を合わせながらも、俺は全力疾走したときのように息が上がっているのを感じていた。
身体の震えがとまらない。
なのにだ。
なのに、なぜ俺は恐怖の裏側に歓喜を感じているのだろうか?
くるや書店に到着すると、ガラス越しになごみがファッション雑誌を読んでいるのが見えた。
なにも知らない彼女は、食い入るように雑誌を見つめて目を輝かせている。
憂鬱な気持ちが、岩でも括り付けたかのように俺の足を重たくした。
今からあの天真爛漫な表情を、曇らせなければならない――。
彼女の赤いリストバンドが、血で滲んでいるように感じられてしまう。
円花さんが、裾を強く引っ張ってきた。
「あいつだろ? さっさと呼んでこいよ」
「……はい」
俺は店内に入り、なごみに声をかけた。
「よう……待たせたな」
なごみは雑誌を閉じて、眩しいほどに破顔した。
「もー、遅いですよお。女の子をデートに誘っておいて遅れるとはどういう羊羹ですかー?」
「……それを言うなら料簡だろ。なんだよ、その甘そうな間違い」
「えへへ、そうでした。さすが姉妹オノノクス先生。誤用には厳しいですね!」
「村井ホトトギスだ、ホトトギス!」
ついいつものノリで突っ込みを入れると、ポケットにいれたスマートフォンが激しく震えた。
着信は円花さんから。
『無駄口叩いてないで、さっさとしろ』
後ろを振り向くと、引き裂く勢いで窓に爪を立てる円花さんがいた。
「……はい」
「ん、誰と話しているんですかー? 愛しの私を置いといてぇ。……て、あれ? なに、あの女の人……めっちゃこっち睨んできて怖いんですけど! 気持ち悪っ!」
円花さんに気づいたなごみが、ドン引きしながら正直すぎる感想を吐いていた。
全部聞こえているから、勘弁して欲しい。
『殺すぞ、クソ女……』
「と、とにかくなごみ! ちょっと外に来てくれないか!」
「……は? 外ですか? なんかヤバそうな人いるから出たくないんですけど」
「いいから! 頼む!」
俺は、なごみの手を引いて半ば強引に連れ出そうとして……。
「その指……」
なごみに、折られた指を見られた。
彼女の足が根を貼ったように動かなくなる。
「それ、どうしたんですか!? 明らかに折れてますよね……?」
「……」
「病院には行ったんですか? 応急処置はしているみたいですけど……」
「まだ、行ってない」
「えっ? な、なんで? デートどころじゃないでしょ! はやく病院に行かないと……」
「……大丈夫。終わってから行くから」
こいつは何を言っているんだ、と言わんばかりに目を見開いたなごみは、訝しげに眉をひそめた。
「……終わらせたらって? なにをですか?」
「お前との話し合いを」
額からこぼれた汗が、目に滲んだ。
「……そのために呼んだんだ」
「それは、病院に行くのを後回しにするほど大切な話なんですか……?」
「ああ」
「いったい、なにを……?」
なごみは、ふと窓の外にいる円花さんを見た。
円花さんは、鷹のような鋭い眼差しで俺たちを睨んでいた。なごみの視線が、すぐに俺の小指へと向かう。
「……そもそもなんで、こんな風になっているんですか? 包帯していたから分かりにくかったですが、よく見たらこれ……事故でできる怪我じゃないですよね? 何回も折れているみたいだし……」
「……事故だよ。体育の授業中に怪我したんだ」
「嘘」
なごみは、短く言い切った。
「体育の授業で、どうしたらこんな複雑骨折するというんです? ルール無用の格闘技でもしていたのなら話は別でしょうけど。ねえ、先輩……これ絶対に折られましたよね? なんで嘘なんかつくんです?」
押し黙るしかなかった。図星だから。
俺と円花さんをもう一度かたみがわりに見たなごみは、眉間にシワを寄せてつぶやいた。
「……同じ制服……電話しながら芳次先輩をみている……」
「……」
「……あの人なんですね?」
俺が何も言わないことを正解と受け取ったのだろう。なごみの視線がさらに鋭くなっていく。
普段は馬鹿そうに振る舞っているなごみだが、時折俺にも信じられないくらいの鋭い洞察を見せることがある。すべてはわからずとも、大まかな事情を察したのだろう。
なごみは、明らかに怒っていた。
普段の馬鹿そうな笑顔はまったく影を潜め、鬼のように頬を紅潮させて目を怒らせている。こんななごみは見たことがなかった。本気で腹を立てているのであろう。
その憤怒の表情が、彫像のように美しいと思えた。
「……許せない……私の先輩を」
「……なごみ」
「先輩の話し合いって、きっとあの人も関係ありますよね? ……いいですよ、私あの人と話がしたいです」
外に行きましょうか――。
そう言ったなごみは、湧き上がる怒りを抑えつけるように、赤いリストバンドのある腕を握りしめていた。
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