第2話




 

 村井ホトトギスは、恋愛小説を書くライトノベル作家だ。


 処女作の「接骨木涼花にわとこすずかは眠らない」は四十万部を売り上げ、漫画化とアニメ化もされている。だが、肝心の原作の方は事情があって十巻を最後に刊行がストップしてしまっている状態だった。


 簡単な話だ。原作者の俺が、小説を書けなくなってしまったからだ。


 きっかけは、一緒に暮らしていた従妹の摩耶が事故で亡くなったこと。心臓の病気を患っていた彼女は階段を下りている途中で発作を起こし、転げ落ちて帰らぬ人となった。ペースメーカーの不調が原因だった。


 彼女は、一番俺の作品を応援してくれていた読者でもあった。


 俺がスランプに陥った時も、書いたものを読んで叱咤激励してくれておかげで立ち直ることもできたのだ。


 俺にとっては仲のいい従妹以上に、恩人だった。


 彼女が笑ってくれるから、最初に感想をくれるから、俺は頑張って作品を書くことができたのに。


 支えを失った俺は、小説に向き合うことさえできなくなった。


 



 図書室からの帰り道。


 ルドンの絵のような曇天から分かっていたことではあるが、沛然と雨が降っていた。


 ビニール傘を忙しなく雨が叩くたび耳朶に鬱陶しさが溜まる。地面を跳躍する水滴でズボンの裾が濡れることへの嫌悪も相まり、足は自然と早くなっていた。撥水加工の施された革靴が、避けようもないほどの大きな水たまりを蹴散らし、天の恵みへささやかな反抗を繰り返す。


 住宅街を抜け、街中を歩き、歩道橋を渡ったところで、俺ははたと足を止めた。


 字書きの習性か、本好きの本能か。


 本屋を目にすると、どうしても気になってしまう。


「……」


 くるや書店。


 小さな本屋だ。


 今まで気づかなかったことが不思議なくらい、たしかにそこにある。明りはついているがやや寂れているからか、どこか薄暗い印象があり、遭難中に見つけた小屋のような風情さえ感じられた。


 雨宿りも兼ねて、店内に入る。


 入ってみると思ったよりも店内は広かった。奥行きがあって、どうやら二階にも店舗があるらしい。雨の残り香の中に本の匂いが感じられて、深呼吸してしまうほど心地が良い。


 やはり、いくつになっても本屋は飽きない。落ち着く。

 

 俺は傘立てに畳んだ傘を入れて、店内を見渡しながらゆっくりと歩いた。


 児童書のコーナーに、園芸や料理などの趣味の本、ファッション雑誌、自己啓発本、資格や受験勉強の参考書、辞典に歳時記、漫画……。見ているだけで、遊園地に入り込んだ子供のような気持ちでワクワクしてくる。


 書店に住みたいと何度思ったことだろう。こんな小さな本屋でも一生かけて読み切れるかどうかという数の本があるのだから。


 そして、遊園地の観覧車よろしく、一番心が躍るコーナーにたどり着いた。


 小説だ。ハードカバーから文庫、色とりどりの小説が並べられている。


 いくつかの本を取ってはページをめくり、棚に戻す。本との出会いは、イマジネーションでありインスピレーションだ。つまり、なんとなく選ぶ。


 帯の紹介文やあらすじやあとがきだけでなく、表紙の美しさや、手にとったときの重さや、偶然開いたページの行間の空白。そうした様々なところを観察し、しっくり来たものをいつも手に入れる。人それぞれ選び方があるのだろうが、俺にとって本選びは恋人選びに等しかった。


 ふと、ライトノベルコーナーに来てしまった。


 いつもは避けている場所なのに、なぜか抵抗がない。


「……」


 俺は、積み上げられたライトノベルを静かな気持ちで見下ろす。


 店主オススメのコーナーらしい。有名すぎる作品からそれほど知られていない作品が多くある。異世界転生、ラブコメ、SF、現代ファンタジー……ジャンルは様々。


 その中に、ニワトコの花に口吻する少女の姿があった。A6サイズに切り取られた銀髪の少女の肖像画は、冷たい眼差しで俺を見返してくる。


 続きを書けない俺を、批難するかのように。


 俺は、目を逸らした。


 そして、その先にあるものを見て、苦笑いを浮かべざるをえなかった。


 可愛らしい字体で書かれたポップ。そこには、「AIが書いた初のライトノベル!」と書かれている。「鈴木工業とD文庫の共同制作!」とも。


 なんとも言えない不快な感情が湧いてくる。自分が丁寧に耕した畑を荒らされたような感じが、創作家としての矜持を揺さぶるのだ。時代遅れと円花さんに嘲笑われそうだが、俺は割り切ることができない。


 随分前に画像生成AIが話題になり、あらゆるイラストがSNSを賑わせたことがあったが、昨今ではとうとうAIが執筆した小説が出版されるまでになっていた。まだイロモノ扱いされている風潮はあるが、それもそのうち無くなるだろうとは円花さんの談。


 スマートフォンや自動運転と同じように、そのうち当たり前になっていく――。


 鈴木工業の社長を父に持つ円花さんの言葉に、俺は違和感しか感じなかった。不協和音といってもいい。テクノロジーと創作が、歯車のごとく噛み合うところなんて想像もできない。機械化された芥川龍之介が執筆している姿を想い浮かべてしまって、不愉快な可笑しみすら湧いてくる。


 違和感しかない。


 お前たち機械に、何がわかる?


 人間の機微が生み出す美しさを。


「……くそっ」


 思わず舌打ちしてしまう。


 俺が円花さんのために小説を書くのは、きっと証明したいという気持ちとも無縁ではない。機械の書いた小説さえ許容する、節操のない「冷徹な読書家」に、人間の書いた小説の方が素晴らしいと証明したいのだ。


 彼女に、もっと認められたいのだ。


「……おりょりょ?」


 横から間抜けな声がした。


 顔を上げて声のした方を見遣ると、見覚えのある少女がいた。


「あなたはあなたは! 倉井モトクロス先生ではありませんか!」


 赤みがかった瞳をキラキラと輝かせ、ポニーテールにした栗色の髪を犬のしっぽのごとく振り回す少女は、摩耶の友人である綾瀬なごみだ。身に着けているブレザーはこの近辺の女子校のもので、いつも赤色のリストバンドをしているのが特徴だった。


 手を挙げて、うるさいくらい元気よく挨拶してきたなごみに返事ができない。言葉が詰まって出てこなかった。


 脳裏に浮かんだのは、円花さんの暗い瞳。


 彼女以外の女子とは話してはいけない。


 だが……。


「……あれぇ、電源を抜かれたペッパー君みたいに反応ないぞぉ。倉井モトクロス先生〜?」


「……村井ホトトギスだ」


 俺は小声で訂正する。


 円花さんの地獄耳は、学校以外の場所では発揮されないはず。今まで何回か外で女性と話さざるをえない機会があったが、追及されたことはこれまでにない。


 それに、摩耶の親友を無視するのはこちらとしても決まりが悪い。


「あはは、やっと返事しましたね村井キリギリス先生もとい芳次よしつぐ先輩!」


「ホトトギスだって」俺は溜息をつきながら言った。「漫才をしたい気分じゃないんだけどな。なごみん大先生は何をしにきたんだ?」


「書店に来てすることなんて一つでしょ?」


「……そりゃ、ごもっともで」


「本の内容を写します! 霞拳志郎みたいに!」


「通報しないと」


 俺がスマホを取り出して言うと、慌てたようになごみは叫んだ。


「や、やめて! 私に完全記憶能力はありません! 本の内容なんて写せませんから!」


「……適当なこと言うよな相変わらず」


 まず、霞拳志郎って誰だよ。どうせ漫画のネタなんだろうけど。


「それで……? 漫画でも買いに来たのか?」


「いいえー、今回はライトノベルを買いに来ました!」


 なごみは、敬礼しながら告げてくる。


「なにを買うんだ?」


「村井ホトトギス先生の本です!」


「お、偉いぞ。関心だ」


「まあ、すでにサイン本も含めて全巻持っているから買ってもしょうがないんですけどねー。だから、今回は別のやつにします!」


「知ってた」


 こいつも、光栄なことに俺の作品のファンだ。なんなら、俺の作品からライトノベルを読み始めたまである。


 ちなみに、勧めたのは俺の従妹だ。


「……今回はですね」


 なごみはケラケラ笑いながら、ある一冊の本を手にとった。表紙を見た瞬間、自覚できるくらい表情が曇る。


「この、AIもとい、ペッパー君先生が書いたやつにしようかと……。って、あれ芳次先輩? 顔が梅干しみたいになってますよ」


「それはやめておきなさい。サイボーグ芥川龍之介は本物の芥川龍之介ではないんだ」


「なに言ってるんです?」


「……うるさい。俺がオススメのライトノベルを選んでやるから、それはやめておくんだ」


 俺は、なごみの手から問題作を取り上げて棚に戻した。


「えー、気になってたんだけどなあ……」


「俺が飛び切りの名作快作を選んであげるから我慢しなさい。初心者にはまだはやい」


「先輩って、SNSで後輩作家とかアマチュア作家とかにイキったアドバイス飛ばして嫌われるタイプですよね、絶対……」


「……そ、そんなことない」


 憐れんでいるようにも拗ねているようにも見える表情で、なごみが痛いところをついてくる。やめろ。それで一時期界隈の一部に嫌われたんだ。


 その後もブーブー文句を言ってくるなごみをなだめながら、自分が本当に面白いと思った本をいくつか選んであげた。彼女の予算をオーバーした分は、会計のときに代わりに俺が出してやることにした。好きな本が多すぎて絞りきれなかったから、仕方ない。


 会計を済ませ、店主の快活な挨拶を効果音に自動ドアをくぐる。


 雨は、すっかり止んでいた。


「……ありがとうございます!」


 買った本を胸に抱きながら、なごみは頭を下げてきた。


「感想、ラインで送りますね! つまらないって猫のラインスタンプ送りまくりますから」


「大丈夫だ。心配しなくても、選んだやつは全部名作だから。そのスタンプは使い道ないぞ」


「ほんとかなー?」


 うしっしっと変な笑いをしながら、なごみは俺の脇腹を肘でつつく。


「それじゃ、そろそろ帰らないといけないんで行きますねー! またよかったら本を選んでください〜」


「……ああ」


 ブンブン手を振って去っていくなごみは、歩道橋のあたりで立ち止まった。


「……そうだ、先輩」


「ん?」


「……私ごときがこんなこと言うのはおこがましいかもしれませんが、いつまでも待ってますからね。お婆ちゃんになってもお墓に入っても」


 雲間から覗いた太陽の光が、なごみの微笑みを艶やかに映し出す。こちらを気遣うような、それでいて告白の返事を待つ少女のような、慈愛と微かなもどかしさが薫る表情だった。


「……あぁ」


 俺は弱々しい返事しかできなかった。必ず続きを書くよ、とはどうしても言えない。


 なごみは、さみしげに眉根を下げて、そのまま足早に歩道橋を上がる。


 もう一度、歩道橋の上で手を振ってくれた彼女に小さく手を振り返し、彼女の姿が見えなくなってから、俺はため息をついた。


 きっと、なごみも軽蔑する。


 俺が、奴隷であることを望んでいると知ったら――。










 


 

 

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