第六話 ときめきファッションショー
「アオイさんは、そういう系統のお洋服が好きなの? 」
朝食を終え、会話の途中でふとダリアが尋ねた。彼の視線はアオイのくたびれたシャツに注がれている。
「いえ、これは前の職場の制服で……すみません、いつまでもこんな格好で」
「そうなんだ。その制服もとても似合っているけれど、アオイさんは可愛らしいからもう少し明るい色も似合うと思うな」
髪も綺麗な色をしているし、目がぱっちりしているからピンクとか、女の子らしい色が良さそうだね、と、にこやかに言うダリア。恥ずかしげもなく、当然のように可愛いなどと口にする。言われ慣れていないアオイは照れる場面かと思ったが、彼の女性慣れしていそうな雰囲気に感心していて、またあまりに慣れていないということもあり、どう反応したら良いのか分からなくなっていた。とりあえず、ありがとうございますとだけ言っておく。
「僕、服を集めるのが趣味でたくさん持っているんだけど、アオイさんさえ良ければ見繕わせてくれないかな? もちろん新しいものを買ってもいいけれど」
「そんな、いいんですか? 服は持っていないのでありがたいですが……」
「うんうん、そうしよう! 僕がやりたいだけだから気にしないで。着替えるついでにお風呂に入ってきれいにして来るといいよ」
そう言うなり、ダリアはコリウスに何かを言いつけ、自分はアオイの手を引いてバスルームまで案内した。
好きに使ってね! と言われたバスルームはアオイが住んでいた社員寮の部屋よりも広くて、猫足の付いたバスタブや良い香りのする石鹸が置いてある。適当に手に取ったシャンプーはとろりとしていて、髪を洗うと驚くほど指通りが良くなった。何も気にしてこなかったせいでひどく傷んでいるアオイの髪も、これなら三日とかからずにつやつやになりそうだ。
風呂から上がり髪を乾かして、いつの間にか脱衣所のかごに置かれていたシンプルなシャツワンピースを着て扉を開けると、ちょうど通りかかったコリウスと目が合う。
「兄さんがリビングで待っているので、一緒に来てください」
そうアオイに声をかけたコリウスの腕には、大量の布の塊、もとい洋服が抱えられていて、彼の顔は半分ほどそれらに埋まっていた。
「あの、それは一体……」
アオイは言いかけたが、服の量の多さと、それを平然と抱えるコリウスの顔を見たら、なぜか続ける気が無くなってしまった。
コリウスと共にリビング―先程朝食を食べた部屋に戻ると、いつの間にか運び込まれていた大きな姿見と背もたれの無い低めの長椅子、その椅子やかごに置かれた大量の服をひとつひとつ手に取っては思案顔をするダリアが出迎えた。
部屋にある服はコリウスが今抱えているものの三倍くらいの量で、どこから出てきたのだろうと思うくらいにたくさんある。コリウスはダリアの側に行って、どさっと服を下ろした。ダリアは顔を上げる。
「これで全部だと思うけど、もういいですか? 兄さん」
「うん、ありがとうコリウス。あ、アクセサリー類がまだだ。僕の部屋の向かいの部屋にあるから、取って来て? 」
「おれは何往復すればいいの……。」
もしかして、これ全部コリウスが運んだのだろうか。そんなことを考えていると、ダリアが部屋の入口に突っ立っているアオイを呼んだ。
「アオイさん、服を選ぶからこっちにおいで! 」
そこから、アオイは着せ替え人形になった。
ダリアは本当にたくさんの洋服を所持していた。たっぷりとフリルがあしらわれたスカート、大きなリボンが付いたワンピース、繊細できらびやかな刺繍が施されたビジュー付きのブラウス。アオイにはどうやって着るのか見当もつかないような編み上げのコルセット付きドレスもあれば、夢みたいに綺麗な色をしたレーススカートや左右が非対称になっている変わった形のスカートもある。そんな色とりどりの山の中から適当なものを手に取ってはアオイにあてがう、という作業をダリアはたっぷり三十分続けた。鏡の中で自分が身に着ける服はどれもこれもきらびやかで、まるでお姫様にでもなった気分だ、とアオイは思う。着せてくれる人は王子様でも執事でもなく、未だどんな人か分からない男の子だけれど。
「うーん、どれにしようか迷うなあ。アオイさんは何でも似合ってしまうからなかなか決まらない。何か気に入るのはあった? 」
ふわふわで、猫の毛並みのような手触りをしたカーディガンを合わせながら、ダリアが尋ねる。
「どれも可愛くてとても素敵だと思うのですけど、できれば動きやすいものだと嬉しいです。大きく広がっているスカートは慣れないし、どこかに引っ掛けてしまいそうで……」
もちろん見せてもらったものは全部可愛くて好きです、夢みたいです! と付け加えると、ダリアは笑ってありがとうと言った。誰かに意見を言う時、気を悪くされないかがいつも気掛かりだった。アオイのそんな気持ちを十分に理解っている、といった風に、ダリアはありがとうとだけ口にした。
「それじゃあ、さっき試したあれにしようか! コリウスー! そっちにあるから取って!」
ダリアはキッチンで食器の片付けをしているコリウスを呼んだ。部屋の入口から、コリウスが顔を出す。
「あれって言われてもどれだか分からないんですけどどれですか。それよりもまだ洗い物終わってないんだけど、」
「いいから君もこっちに来るの! 僕が言ったアイテムを探し出すの手伝って」
「はいはい。全く……」
コリウスがリビングに入って来る。また別のブラウスをあてがわれていたアオイは彼と鏡の中で目が合って、どんな顔をしていいか分からずにただ見つめていると、向こうからすっと逸らされてしまった。
「これにはあのジャケットがいいな。ピンク色のジャケットそっちにない? あとはベストとブラウスと~」
「後ろに大きなリボンが付いているものですか? どこ……あった、これか」
「そうそれ!」
「ベストとブラウスはこれでいい? 」
「うん、それなら合いそう。ありがと」
二人はてきぱきと服を選び、あっという間に一式をアオイの前に揃えた。
「サイズは大丈夫だと思うから、試しに着替えてみてくれる? 隣の部屋を使っていいよ」
そう言われ、アオイは隣室に行き、渡された服に着替えた。おそらく高級なものであろうそれらを万が一にでも破いたりしないよう、慎重に。
今まで、服を選んだり自分を着飾ったりすることに楽しみを見出したことは無かったけれど、ダリアが選んでくれた服や先程試した何十通りものコーディネートは、アオイの心をひそかに躍らせていた。
――母は着飾った僕を見たら何と言うだろう。可愛いと言って、褒めてくれるだろうか。言い付けを破った、今の僕でも。
それにしても、ダリアはなぜこんなにたくさんの服を持っているのだろう、という疑問が今更ながらアオイの頭に浮かんだ。服を集めるのが趣味だと言っていたが、ダリアとコリウスの兄弟二人だけで暮らしている屋敷に、フリフリのスカートやリボンがたくさんのワンピースは一体誰が着るために集められたのだろう。もしかしたらダリアには恋人がいて、これらはその人のための服なのかもしれない、と一瞬考えたが、そうであればこんな知り合ったばかりのアオイに易々と与えようとなんてしないはずだ。女性の扱いが上手そうなダリアには、恋人の一人や二人くらいいてもおかしくはないと思ってしまうが、それにしたってこの服の量は謎である。単にそういう趣味、と言ってしまえばそれまでだが。
ますます深まるダリアの謎に首をかしげながらも、服を着替え終えたアオイはリビングに戻った。
「お待たせしました」
リビングでは、ダリアとコリウスが小声で会話していた。何を話しているのかは聞き取れなかったが、コリウスは何やら不満げな表情をしている。
こちらに気付いたダリアが、わぁ、と歓声を上げる。
「とっても似合うよアオイさん! 」
「ありがとうございます」
手を叩いて褒めてくれたダリアに、少し照れながら礼を言う。
「サイズは問題ないですか? 」
「はい、大丈夫です」
コリウスにそう答えると、いつの間にか鏡の前にいるダリアがアオイを呼んだ。
「髪も可愛くしてあげるからこっちに座って! 」
ダリアが姿見の前に椅子を動かし、座るように促す。アオイが座るとヘアアイロンと櫛を構えて、髪を梳かし始めた。
「どんな髪型がお好みですか? 」
ダリアはヘアアイロンを髪に通しながら楽しそうに訊く。時折触れる彼の指先の感覚は、新鮮でくすぐったい。
「お、お任せで」
何となく緊張してそう答えると、はーいとこれまた楽しそうな声が返って来て、じゃあ結ぼうかな、などと言いながらアオイの髪を器用に編み込んでいった。
「よし、出来た」
完成したアオイの髪型は、髪を左右に分けて耳の下で編んだ毛束をお団子にまとめたもので、左側には頭の上の方から編み込みが施されていた。綺麗な編み目で、動いても崩れる心配はなさそうだ。
改めて鏡の中の自分を見て、随分変わったな、としみじみ思う。まるで別人だ。
選んでもらった服は、淡い落ち着いたピンク色のジャケットにチョコレート色のベスト、黒のブラウス。ジャケットは背面に濃いピンク色の編み上げリボンが付いていて、花弁のように動きに合わせてひらひらと揺れる。ボトムは動きやすさを考慮して黒のパンツになった。ウエストの部分に付いているアイボリーのボタンが可愛らしい。
髪型も服も、ずっと無造作だったアオイにとってはこれからパーティにでも行くかのような格好だ。
「どうかな、気に入ってもらえた? 」
アオイの後ろからひょこっと顔を出して、ダリアは鏡越しに尋ねる。
「はい! 素敵にしてもらって、ありがとうございます」
「アオイさん、髪が長いから楽しかったよ。服もいい感じだね! ……でも、ちょっとシンプルすぎるかなぁ。何だか寂しい気がする」
そう言ってダリアは、テーブルに広げられたアクセサリーに目をやった。服と同じように様々な色、形のものが並べられていて、テーブルはネックレス、リング、ピアスなどで埋め尽くされている。
「これ、綺麗……」
アオイはその中から、鮮やかなピンク色のリボンを見つけた。胸元につける、少し太めのタイで、柔らかく透き通るような質感をしている。窓から入る光が当たって、ピンクの中に紫や赤が見えた。まるでアメジストやルビーが織り込まれているかのように、それはキラキラと輝いている。ずっと見ていたくなる程、美しかった。
「それが気になる? 試してみようか」
ダリアはそのリボンをさっと手に取ってアオイの胸元に回し、綺麗な形に結んで見せた。手の中で輝いていたそれを身に着けると、きらめきが分け与えられて自分自身も輝き出したような、不思議な感覚に陥った。アオイの胸の真ん中で咲き誇るように結ばれているリボンは、服全体にだけでなく、アオイの心にまで彩を与える。
リボンを一つ身に着けただけなのに、まるで魔法のように一秒前の自分とは何かが違って見えた。こんな感覚は初めてだ。
「うん、可愛い! いいね、自分の好きを身に着けると楽しいもんね。似合ってるよ! 」
満面の笑みでそう言ってくれるダリア。つられて、アオイも笑った。ダリアが笑ってくれたから、この感覚はきっと、大事にしてもいいものなのだと、そう思うことが出来た。
「ほら、コリウスも何か言ったらどうなの? 」
「とても可愛いです」
「もっと」
「…………リボンが瞳の色と合っていて、素敵だと思いますよ」
目元に多量の不満を滲ませてダリアを睨んだ後、コリウスはそう口にした。ダリアにせっつかれて出た言葉だったが、ちゃんとアオイの目を見て伝えられたその言葉は、彼の本心からのものなのだろうと感じた。アオイはこの時やっと、コリウスとも仲良くなれるかもしれないと、そう思うことが出来たのだった。
「さて、無事アオイさんを可愛くできたことだし、今日はこれから屋敷の案内をしようか」
コリウスを見て満足そうに頷いていたダリアが、ぽんと手を打って言った。
「僕は片付けに戻ります。この服も戻さないといけないし」
「そうだ、それじゃアオイさんにはしばらくコリウスと一緒に屋敷の仕事をしてもらおう! 普通に案内するよりもどこに何があるか覚えやすいだろうし」
「え、おれの仕事に? 」
「そうだよ。そうすれば君の負担も減るし、一石二鳥でしょう? 」
「それ、兄さんが楽したいだけじゃないか」
「そんなことないよ。お前のためにもなるって言ってるの」
話題となっている本人を置き去りにして、ダリアとコリウスは言い合いを始める。しばらく続き、結局コリウスが折れたようだ。はぁ、とため息をついて、口を結んだ。
「来たばかりの貴方に屋敷の雑務を任せるのは心苦しいのだけど、ここに慣れるためと思って、引き受けてくれると嬉しいな」
「もちろんです。頑張ります」
「コリウス、彼女に色々教えてあげてね」
ダリアがにっこりと笑ってコリウスに言う。
「……分かりました」
心なしか悔しそうにそう口にしたコリウスに、ダリアはまた満足そうに頷いた。
アオイは思う。
僕は生きるためにここに来た。この屋敷を訪れたばかりの、客人という立場に甘んじていたら、いつか突然見捨てられてしまうかもしれない。行き倒れていたところに居場所を与えてもらえるなんて偶然の幸運に、二度目はないだろう。取引のことがあるとはいえ、この屋敷で必要とされていた方が、僕がこれから先生きていける確率はずっと高い。だから、もてなされてばかりではいられないのだ。
案内をしてくれるというコリウスについて歩き出しながら、アオイはそう意思を固めるのだった。
花屋敷 彩月水 @SatsukiSui
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