第五話 新しい朝
夜更け。花屋敷の長い廊下に、月明かりに照らされる二つの影があった。
「兄さん、本当にあの人をここに置くつもりなの? いくら花食者でおれたちの秘密がばれてしまったからって……もっと他にやりようがあったんじゃないですか」
「いいんだよ。僕にはちゃんと考えがあるもの。それに、秘密が知られたのは君のせいでしょ、コリウス」
「……おれは悪いことをしたとは思っていない。だから、謝ったりしませんから」
一瞬だけぐっと言葉を詰まらせて、けれども一歩も引かない姿勢を見せる弟に、ダリアは小さくため息をついた。
「はぁ……。お前は本当に頭が固いな。まぁ、いいや。取引はこちらの方が圧倒的に有利な条件だし、よほどのことが無い限り彼女は僕らに背いたりしないだろう」
彼女―アオイと名乗った花食者の少女は、疲労が限界を迎えたのかあの後すぐに意識を失って倒れた。驚いたが、ただ眠っているだけの様だったので空き部屋に運んでやり、寝かせて戻ってきたところだ。コリウスが背負ってもぴくりとも動かず、まるで死んでいるかのように眠っていた彼女のことは、今、何も分かっていない状況にある。ダリアは先程、コリウスに取引は自分たちが有利だと言ったが、向こうには自分たちのとびきりの秘密を知られているのに対して、こちらが相手側の情報を何一つ所持していないことは、決して油断して良いとは言えない。余計なことを言ってコリウスにいらぬ心配を抱かせるようなことは避けようと、そう口にしただけだった。夕方から今までのわずかな時間で、読み取り推測したアオイの人柄や行動パターンからするに、約束したことを簡単に破るような人物ではないとは思うが、警戒は必要だ。
大人しそうで、気が弱そうな女の子。けれど彼女だってきっと、ダリアと同じように秘密を抱えている。それはほんの少し親身になって心の扉を開いてあげればすぐにこちらに見える程度の位置にあるものかもしれないし、ずっと奥の奥、自分でもその存在を忘れてしまうくらいに深い所で、妖しい色になって輝いている宝石のようなものかもしれない。
いずれにせよ、そのような秘密を解き明かすことはダリアの得意とするところであった。
廊下の中ほど、壁に並びで付けられた照明がちょうど途切れる場所で、彼は足を止める。コリウスが振り返ると、目を合わせて。
「彼女が信頼に値する人物かどうか、じっくり見極めていかないとね」
ダリアはにっこりと、微笑みながらそう言って、再びコリウスと並んで歩きだした。
銀色の月明かりに満たされて、花屋敷の夜はあっという間に更けていく。
***
意識だけが、先に目を覚ました。
これは何の色だろう。
光が瞼の裏で踊っている。それは暖かい日の光のようで、けれど仄暗さをはらんだような、不思議なかがやき。時折きらきらと廻るように動いては、早く起きなよ、と言うようにアオイの意識を突っついている。
ちらちらと瞬くそれに導かれるように、アオイは目を開けた。
ぼんやりと、天井が見える。それは随分と遠くて、まるで屋根裏部屋のように中心に向かってすぼまっている。知らない場所だ。
身体を起こして、寝起きの緩慢な動作と思考で辺りを見回した。
七畳ほどの広さだろうか、円形の部屋の奥半分の壁は窓になっていて、白いカーテン越しに光をいっぱいに取り込んでいる。広い窓の上部分はステンドグラスが嵌められていて、淡い色彩が部屋の至る所に散らばっていた。アオイの上にも降り注いでいるビー玉みたいなそれらを、しばらく眺める。
―「花屋敷へようこそ」―
ぼんやりとした思考の中、浮かび上がってくるのは昨晩のダリアの瞳。
そうだ、昨日はこの屋敷に忍び込んで、それで不思議な兄弟に出会って。ここで暮らすことになったんだ。あの後の記憶が無いけれど、恐らくあの場でそのまま眠ってしまったのだろう。
とんでもないことになってしまったような気がする。だけど、ダリアと交わした「能力を他言しない」という約束を守りさえすれば生活は保障されるはずだ。ひたすらに得体のしれないあの兄弟は少し怖い所もあるけれど、同い年くらいに見えるしきっと大丈夫だろう。前向きに考えよう。
そもそも、他に行く当てなんかないのだ。ここでやっていくしかない。
アオイはそう思考を切り上げて寝台から下りる。
部屋の隅に置かれた姿見を見つけて近寄ると、随分とひどい姿の自分が写った。職場の制服であるセーラーカラーの黒いシャツはくたびれていて、袖から伸びる腕は切り傷や火傷の痕が少しばかり目立つ。一つ一つは小さくてひどいものではないものの、やはり痛々しい印象を与えてしまう。気休めにと、まくっていた袖を手首まで下ろした。
リボンタイは襟元につけずに髪をくくるのに使っているが、それもほどけかけていた。服も靴も髪もボロボロではあるけど今はどうしようもない。とりあえず手櫛で髪を整え、結びなおしてからアオイは部屋を後にした。
アオイがいた部屋は、どうやらこの屋敷の中で端の方にあるらしい。離れのようになっていて、廊下を少し歩くと昨日上がってきた階段が顔を出した。外から屋敷を見た時、塔のようになっている部分があったが、おそらくそこの一室だろう。
階段を下りると、エントランスが見える。昨日と何も変わらない、豪華でぴかぴかの空間。ここに忍び込んだ時からまだ一晩しか経っていないのに、自分を取り巻く状況はなんだか随分と大きく変わってしまったような気がする。
一階に降り、人の気配がする部屋へ入ると、ダリアとコリウスの姿があった。
「おはよう、昨晩はよく眠れた? 」
「はい、おかげさまで。部屋まで運んでもらってしまって、すみませんでした」
意識が無かったので知らないが、運んでくれたのは多分こちらだろうと思い、アオイはコリウスに向かって頭を下げた。
「軽かったので、問題ありません」
コリウスは無表情で返答する。昨日から相変わらずの、少し冷たい態度だ。
「ごめんなさい、ありがとう」
再度アオイがそう口にすると、今度は何も言わずにそっと目を逸らされてしまった。やり取りを見守るダリアは苦笑を浮かべている。
「改めて。僕の名前はダリア。一応、この屋敷の所有者だよ。歳は十八。これからよろしくね」
「コリウスです。ダリア兄さんの一つ下の弟です。屋敷の管理は、兄さんに任されて僕が担当しています。……何か分からないことがあったら、聞いてください」
二人はそれぞれ、改まって自己紹介をしてくれた。愛想の良さに差はあれど、やはり兄弟、所作や姿勢を正すタイミングがどことなく揃っているように感じる。
これからダリアとコリウスと一緒に、ここで暮らしていくのだ。できれば仲良くなりたい。そのためにも、二人のことをもっと知らなければいけない。
未だ警戒心を持っていることが分かりやすく伝わってくるコリウスはともかく、にこにこしているダリアにだって、きっとまだまだ信用されていないのだろう。
頑張ろう。二人に好かれるように、心を開いてもらえるように。
予期せぬ出会いだったけれど、同年代の友達が出来るかもしれない。そのことに対してなのか、それともこれからの生活への不安からなのか、アオイの胸は変に高鳴っているのだった。
「私はアオイです。お手伝いとか、何でもするので、どうかよろしくお願いします」
緊張気味に頭を下げるアオイに、ダリアはまた笑う。
「そんなにかしこまらなくてもいいよ。これから一緒に暮らすんだ、気軽にしてくれて構わないよ」
「……ありがとう」
優しいダリアに、思わず頬が緩んだ。その瞬間に彼の弟から光の速さで睨まれて、アオイは昨日と同じようにまた、肩をすくめた。
仲良くなる以前に、コリウスからはまず睨まれないようにならなければいけない。
「さあ、挨拶も済んだことだし、朝食にしよう。準備は出来てるんだよね? 」
「はい、今持ってきますね」
ダリアに言われて、コリウスが奥へと姿を消す。しばらくして戻ってきた彼の手には、トレーに乗せられた皿いっぱいの花があった。
「わぁ! すごく美味しそうです! 」
「お腹が空いたでしょう、たくさん食べてね」
にっこりと笑って言うダリアの側に置かれた皿には色とりどりの花、とりわけ赤い花がよく目立つ。アオイの脳裏には当然のように昨日の記憶がよみがえり、思わず顔を引きつらせてしまったが、何も気にした様子の無いダリアが怪訝そうにしていたので慌てて表情を元に戻した。
コリウスがテーブルに料理を並べ、三人で食卓に着く。昨日の今日で赤い色をした花を食べるのはさすがに少し戸惑いがあるし、もしかしなくてもこれは昨日の女の人である可能性も十分だが、食欲には抗えない。アオイは兄弟と一緒に、曇り一つない綺麗なカトラリーを取って瑞々しい花を口に運んだ。
こんなにちゃんとした食事も、誰かと一緒にご飯を食べることも、アオイには随分と久しぶりだった。食べることが大好きなアオイは一人でも十分に食事を楽しめるのだが、暖かい部屋で食卓を共に囲む人がいることの喜びは、舌に乗せたものの味よりも強く、心に広がっていった。
「アオイさんは十九歳? 僕ら、あまり同年代の人とお話しする機会がないから嬉しいな」
「あ、ちょっと兄さん。それはおれの分ですよ。足りないなら持ってくるから人のを食べないで」
「あぁ、ごめんね? お皿間違えちゃった」
「もう……」
彼らとの賑やかで和やかな時間は、アオイを少しずつ温めて、体温を上げていく。窓からの光が部屋を優しく照らす新しい朝は、まだ、始まったばかり。
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