第4話 小春 あんりは『  』になりたい

 1


 私、小春 あんりは『   』になりたい。

 私の世界に英雄はいない。

 英雄とはスターではない。

 英雄とは指導者ではない。

 英雄とはヒーローである。

 小春 あんりは考える。どうして私の世界に英雄はいないのか。

 しかし答えは明白だ。私の世界に英雄が存在する理由がないからである。


 英雄とは『   』を駆逐する存在だ。しかし私の世界に『   』はいない。『   』がいないのだから、英雄がいるはずもない。どうして『   』がいないのか考える。それは簡単な理屈だ。『   』がいないのは、それが悪いことだからだ。

 『   』は悪い存在であり、『   』がいると困る人がいる。

 『   』になってはいけないよ、と法律が作られ。

 『   』にならないように、と教育が施される。

 『   』は、世界に必要とされていないのである。


 ならば。

 ならば、私の世界に必要なものは『   』なのだろう。

 私の世界に英雄はいないのが、『   』がいない故なのであれば。

 必要なのは、私の世界に『   』を存在させることだろう。

 

 あるいは。


 やはり私が『   』になること、だろうか。


 2


『―――子供の頃を思い出していた。

 子供の頃は、私は何に成りたかっただろう。小学校の頃、将来の夢をテーマに絵を描かされたことがあった。その時私は、お花屋さんやケーキ屋さん、ゲームプログラマーなんてことも夢見たような気もする。

 クラスで、何も描けなかった子がいた。将来の希望を思い描けなかった子がいた。その目に輝きは無く、死人のような笑顔をしていた。そんな子を見て、なんてかわいそうな子なんだろうと、当時見下しに似た感情を抱いていたことを、大人になった今気が付く。将来の希望が思い描けないということがどれだけ悲しいことか、なんて、その時の私には分かりようもなかったのだ。


 だけれど、今なら分かる。

 将来の希望を思い描けないことが、どれほど辛いのか、ということを。

 当たり前に将来を思い描ける世界で、それを出来ないというのがどれほど哀れなことなのか、ということを。将来を思い描けない、ということの意味を。

 きっと、それを人は、〘絶望〙と呼ぶのだろう。

 今の私は、きっとあの時の子と、同じような目をしているのだろうか。

 手から伝い落ちる血の水滴が、ぽたり――と、音を立てる度、思い知らされるようだった。『人殺し』になった今、嫌というほどに、分からされるようだった。


 それは走馬灯のようなものなのだろう。

 真っ暗な部屋にアナログ時計の秒針の音がやけに大きく響くような気がした。はっきりと心臓の鼓動の音が聞こえる。血の滴る音もする。

「はぁ、はぁ……」

 鉄臭い血の匂いがする。このままを放っておいたら俗に言う、腐敗臭というのもするようになるのだろうか。

 これからのことを考えようとしたが、何も考えつかない。しかし、昔のことばかり思い出してしまう。どうしてこんなことになってしまったのだろう。そんなことを、無意識に振り返っているのだろうか。


 突然、電話の音が鳴り響く。

 この部屋の住人は一人暮らしだから慌てることは無い。今どき固定電話とは珍しい、無視していればそのうち切れるだろう。それよりも現状、人を殺した、という事実から逃げるにはどうすればいいか、考えるべきだろう。

 電話のコールが止み、留守電に切り替わる。

『―――ただいま電話に出ることができません。ピーと言う音の後に、お名前とご用件をお話しください……』

「―――あー、いいかな。調子はどうだい。キミだよキミ。そこでうちの依頼人を包丁で刺し殺したキミ。キミに話があるんだ」

 耳を疑った。

 この声の主は私に話しかけているのだろうか。

「―――そうだ。そのまま聞いてくれればいい。留守電に声が残ってる方が都合がいいだろう。信じられなければ、すぐ消せばいい。まずは、話を聞いてくれ」

 私は何も答えなかった。

「―――どういうつもりでうちの依頼人を殺したか分からんがね、もし後悔しているのなら、今から僕が言うことをした方がいい。キミを助けてあげよう」


 切っ掛けは、人を殺してみたかった、というただの好奇心だった。

 『人殺し』になってみたかった。ただそれだけだった。

 その結果は、取り返しのつかない絶望感と、【殺人罪】と呼ばれる罪を犯したという罪悪感だった。好奇心を満たすための試みは絶望という結果をもたらした。

 そこに絶望こそあれど後悔はない。

 だが。 

 「―――尊厳死という言葉をキミは知っているかな。安楽死、という方が分かりやすいか。僕はね、そこの彼から彼の安楽死を見届けるよう依頼をされていたんだ。彼の安楽死の手伝いをするよう、依頼をされていたんだ。話が見えてきたかい? 君が殺した、と思った彼は、すでに安楽死を迎えていた可能性がある。キミが犯した罪が【殺人罪】ではなく【死体損壊罪】になる可能性がある、とそういう話なんだ」


 その声は、少し楽しそうに言う。

 その、楽しそう、という感情に、不覚にも共感してしまいそうになった。


「―――分ったかい? これからキミがしなければいけないことが。【殺人罪】で捕まりたくないのであれば、キミはしなくてはいけないのだよ。『安楽死の証明』を―――――」


 ・


 それが始まりでした。

 これから、その晩、私が行ったことをお話しします。

 探偵のあなたへ、私の知る全てをお話します。

 だから、どうか真相を暴いてください。』


 3


 一通りキーボードを叩いて一息をつける。

 窓の外を見ると薄暗い空はもう明るくなろうとし始めている。

 モニターを見返し、自分が思っていたほど上手く、量を多く執筆できなかったことに小さなため息が漏れる。

 こんなことで目指す『   』になれるのだろうか。

 もう少しで高校生も始まるというのに、空想ばかりできちんと書き上げたこともない自分が、ひどく情けなく感じる。

 いやいや、自虐していても仕方がない。結局はどんな形であれ、まずは形を作り上げる、やり遂げることが前提なのだ。『   』になりたいのならなおさらだ。

 はぁ、『   』になれれば、憧れの英雄にも出会えるのだろうか。

 私、小春 あんりは『   』になりたい。

 早く春来ないかなぁ。

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