第6話

 忘れた頃に、金銀財宝の散乱に再び出会いました。屍に紛れて至る所に落ちています。

 小学校三年の誕生日以来でした。妖精発見のうやむやで謎のまま終わった現象が、再び起こったのです。中学生になっていた私は、欲を出して現金化しやすそうなものばかり狙って拾いました。次の日になれば消えてしまうことが予想されましたが、当日に限ればその価値は本物です。手っ取り早く、拾った財布から現金を抜き、片端から自動販売機でジュースを買って両替しました。宝石類を、クラスの女子に安価で叩き売りました。明らかに数十万円単位の代物を、千円、二千円で捌きます。活動圏内に質屋が無かったのでこうする他ないのでした。不思議なことに、金銭の授受があったためか、あの時のように宝を元の場所に戻そうとする者はいませんでした。

 コインや金貨は古銭を扱う店に持っていきました。向こうの言い値で売ったのに、百万円規模の金額になり、狼狽しました。刀剣類はさすがにどうしようもありませんでした。妖精と違い、私が持てば人目を惹くので、不用意に持ち歩くわけにもいきません。いかにも名匠が髄を凝らして造り上げたという風情の日本刀を、人気の無い場所で振り回して遊ぶに留めました。素人丸出しの鈍い一刀の元、ばさばさばさ、と面白いように妖精が両断されました。またつまらぬものを斬ってしまった、などと言い捨てながら血振るいをし、鞘に戻す時にその切っ先で手を怪我しました。馬鹿な真似をしたものです。

 目論見通り、次の日、手許には三百万円を越える現金が残りました。作戦の成功を喜びましたが、それほど欲しい物など無かったので貯めておくことにしました。欲しかったのは、金に不自由しないという漠然とした安心感だったのかもしれません。

 級友に売りつけた宝石やアクセサリーは、やはり消えてしまったようでした。前日の金銭のやり取りに関しては、私に借りていたお金を返した、という共通の認識が用意されていたようです。百万単位で損害を出した古銭商がどんな風に納得したのかは知りません。

 同じように消えてしまったものに、私の手の切り傷がありました。ほんの軽傷ではありましたが、一日やそこらで痕も残らず完治するとは考えられません。刀が消える時に、それのもたらした影響も同時に消え失せたのではないか、と私は考えました。妖精が消える時、どれだけ本体と離れていようと撒き散らした血の一滴まで完全に消えるのと同じように、刀のもたらした物理的影響が隈なくチャラになったのだろうと思ったのです。私の記憶を唯一の例外に、あたかも刀など初めからこの世に存在していなかったかの如く。

 ふと、私は興味深いことを思い付きました。

 もしもあの刀が最初から無かったことになったのだとしたら、刀で斬殺した妖精はどうなるのでしょうか? 私の傷と同じく、刀で斬られたという事実そのものがなくなるのであれば、斬り殺される運命を逃れて生き延びているかもしれません!

 ……とはいえ、既にこの世から消え失せた存在が今更生きているか死んでいるかを問うのは不毛でした。どう足掻いても答えなど確認出来るはずが無いからです。

 私は、次もまた来るはずの金銀財宝の日に備えて計画を練りました。

『財宝が掻き消える瞬間を逃さぬよう、深夜までコンスタントに武器を振るって妖精を殺害する。もしも武器が消えると同時に妖精が蘇生したなら、そこをすかさず捕える』

 計画に当たっては希望も何も持ちませんでした。何しろ、駄目で元々です。機会があれば試してみよう、という程度で、特に気負う必要もありませんでした。

 殺すことによって生かす。無に帰すことによって有を生み出す。そんな逆説が気に入っていました。残酷な業と無情な死をひたすら見据えて生きていかねばならないこの私に、唯一許された抵抗のように思えました。誰かの掌での上で踊らされているだけのような気もしましたが、何をしたところでこれ以上損などしようがないので、構いません。

 ……妖精が殺されたり死んだり死んでいたり殺されていたりするだけの単調な日々が続きました。その間、目に付く範囲の何千という妖精に一体ずつ名前を付けてみようなどと馬鹿げたことを考えました。良く見るとそれぞれ皆異なる顔立ちをしており、それなりのアイデンティティーを持っていそうだったからです。しかし、マイケルだのドロシーだのといざ人名を振ってみると、想像よりもずっと不快でした。仮託された模造人格の分だけ死がくっきりと浮き彫りになり、明瞭に感じられるからです。

 そこで、死因と性別、大体の年齢で区別することにしました。『内臓破裂君』『頚椎骨折ちゃん』『老衰さん』といった具合です。何となく親近感が湧いてきました。そこらに転がっている死体の圧倒的多数が『死因不明ちゃん』でしたが、勝手に不治の病の名を当て嵌めて遊びました。『生首君』と『首無し死体ちゃん』が隣同士に転がっていると、やたらともやもやしたものを感じました。それぞれの相方は一体どこにいるのでしょうか。

 別段、名前を付けたからといって状況が変わるわけではありません。妖精がこちらの感情移入を感じて態度を改めるだとか、そういう都合の良い展開はドラマでもない限りあり得ないのです。それしきのことで解放されるなら、私はそもそもここまで悩まずに済んだでしょう。気まぐれに始めた戯れは、何の気休めにもなりませんでした。

 ところで、妖精は写真に写りません。というより、妖精の本体が消えると同時に写真の中の姿も消えてしまうので、結果として写真に残らないのです。動画の場合もこれと同じ法則に従うようで、ある時を境に生中継の映像に妖精が映り込み始めました。

 台風によって都内で軽い浸水が起こった時、それを伝えるニュースに『溺死体ちゃん』が映ったのが発端でした。ただの人形が浮いているのかとも思いましたが、苦痛に歪んだその顔はあまりにグロテスクで、見間違いようがありませんでした。同じ日に関西地方で行われた野球の中継には不審な影は映っておらず、妖精は関東地方限定の現象なのかと高を括っていたら、一ヶ月もしない内に様相が一変しました。関西や東北地方からの中継でも、続々と妖精の姿を見かけるようになったのです。

 つまり、どうやら私の周辺域にのみ出没していた妖精の死骸達が、地元で燻っていることに業を煮やしたのか、全国展開を始めてしまったというのが事の真相らしいのです。

 これには参りました。収録番組は全く違和感無く見ることが出来るのですが、生中継というだけで心霊番組に早代わりしてしまいます。ひどい時には、カメラのレンズが血塗れで、何が何やらわかりませんでした。全くもって良い迷惑です。

 夕方のニュース番組での一コマ。行列の出来るラーメン屋の厨房にお邪魔したリポーターが、何日間も煮込んだ大鍋のスープに感嘆の声をあげています。スタジオのキャスターからも「おいしそうですねー」とのコメントが入りますが、明らかに鍋の中に小さな緑色の服が浮いています。麺を茹でている鍋の方にも、二体うつ伏せになっているのが見えます。客席の方にパンしたカメラが、胡椒や大蒜と一緒にちょこんとテーブルに乗っかっている『死因不明ちゃん』を捉えます。リポーターが試食して、そこそこのボキャブラリーでおいしさを表現した後、有名人もよく来店するんです、と壁にかけられている数々の色紙を紹介しました。画面中央、関取の手形と大物歌手のサインの間に、キリストよろしく磔になっている妖精を見つけた私は、我慢出来ずに吹き出しました。生中継は一事が万事この調子で、たちの悪いコントを見せられているかのようでした。録画したものを後から見直すと妖精は消えているので、見たい生番組は大体録画する習慣がつきました。

 全国への妖精の波及は、私を不愉快にさせるだけでなく、大きな実害を伴いました。謎の交通事故が関東近県で激増したのです。どうも、妖精の遺体をあって無きが如く扱うのにコツが要るらしく、私の近辺にいる人が自然にこなしてしまうそれを、遠方の人は失敗してしまうようなのでした。妖精を踏み潰した驚きで反射的にハンドルを切ってしまったり、フロントガラスに激突した妖精の血で視界を塞がれたりといった事態が起こったようです。主に高速道路で、何人もの死者が出る悲惨な事故が連日のように報道されました。全て、運転手の不注意が原因と説明されていましたが、彼らは不運な被害者です。

 事故は、妖精の出没範囲の拡大を示すように、同心円状に発生箇所を移して行きました。最悪に近いケースでは、離陸直前のジャンボジェットのエンジンに妖精が飛び込んだというのがありました(報道ではバードストライクが原因となっていましたが)。一歩間違えれば乗員乗客全員死亡といった大惨事です。もしも私が飛行機になど乗ったら、逃げ場の無い空中で無数の妖精と遭遇することとなり、飛行機は間違いなく墜落することになると予想されました。……そういうわけで、私は一度も飛行機に乗ったことがありません。

 日本全国に隈なく妖精が広がり、国民の誰一人として死骸に注意を払わなくなるまで、妖精関連で五〇〇人以上が亡くなりました。一般に事故死ということになっていますし、実際にそうですが、原因の一端が私にあることも事実なので、非常に申し訳ないことです。証明も不可能なので補償の一つも出来ませんが、せめて哀悼の意を表したいと思います。

 待ちに待った金銀財宝の日が訪れた時、私は高校生になっていました。

 受験は成功したと言えない散々な結果に終わっていました。志望校の英語の問題用紙が血塗れで、肝心の部分が読めないまま試験時間が過ぎたのが致命的でした(それに比べれば、『首無し死体ちゃん』ばかり一〇体も鞄に入れて持ち歩いていた隣の席の男など大した衝撃では無かったのです)。結果として、七川さんと暁美ちゃんが受かった公立高校に落ちてしまい、私は滑り止めの私立に通うことになりました。いつでも超然とした七川さんに会う機会が減るのは少し残念でした。しかし、三軒隣の暁美ちゃんとはいつだって会えますし、そもそもどこに行ったところで人間より妖精の死骸に接している時間の方が長くなること請け合いだったので、まともな人間関係を求めるだけ無駄とも言えました。

 電車通学は、ラッシュ時の死臭に辟易する以外にも、危険なことが山ほどありました。ホームの端を歩いている時、片足で二匹同時に踏み潰すという珍しい現象に遭遇し、さすがにバランスを崩して線路に転落しそうになりました。何より、先頭車両に乗ると、置き石のように何体もの妖精が線路上に横たわっており、電車がその全てを轢き潰しながら疾走しているのがわかりました。……いつか脱線するのではないかと冷や冷やしています。

 金銀財宝の日に備えて、私は通学鞄の中に巨大なバッグを畳んで持ち運んでいました。高校生活にもだいぶ慣れて来たある日、家から駅に向かう途中で、『心筋梗塞さん』の隣に高価そうな財布が落ちているのを見つけた私は、早速バッグを広げて回収を始めました。駅までに財布が五つ、アクセサリーが四つ、謎の古文書が一つ、置き去りになっていました。その三倍以上の妖精が転がっていたことは言うまでもありませんが、良いペースです。

 電車内では、万が一にも本当の落とし物ということも考えられましたし、人の目も多かったので拾得を諦めました。本番は、学校に着いてからです。宝の山になっていた校内を、端から端まで駆け回りました。待望の刀は二本拾いましたが、一本だけ斜めにしてバッグの中に押し込みます。パンパンに膨らんだバッグを持って無断で早退しました。近くの公園に行って財布の中身を抜き、宝の山を仕分けしました。電車で大きな隣駅まで移動し、荷物をコインロッカーに預けました。お金だけ持って出て、デパートで服を買い揃え、トイレで着替えを済ませました。私服になったところでロッカーから宝の山を回収し、制服を預けて再び鍵をかけ、後は質屋を巡るだけです。

前もって、近隣の六つの店を調べておきました。一つの店で大量に品物を捌くと不審がられる惧れがあるので、分散させることにしたのです。詐欺の被害を一店舗だけに浴びせるのが忍びない、という理由もあります。全ての店を回り、五百万円以上の現金を手に入れました。実はまだ鞄の中身は半分くらい残っていましたし、どこの道端にも宝は落ちているので、やろうと思えば幾らでも稼げましたが、面倒になったので大台を越えたところでやめたのです。残った宝石類は、これ見よがしに公園にばら撒いてやりました。ロッカーから残りの荷物を回収して家に帰りました。金儲けはもののついでに過ぎず、本当の計画はまだ始まってもいません。

 夕食まで適当に時間を潰し、その後もゲームやら課題やらで、いかにもな一般高校生を装いました。もっと徹底するなら部活動の一つでもやるべきなのでしょうが、妖精を頻繁に踏み潰す関係上、運動系のものは向いていませんし、文科系のものには意義を感じませんでした。……妖精研究会があれば入ったのですが、残念ながらありませんでしたし。

 家族が寝静まったところで、自室の鍵をかけます。室内には私一人。尤も、部屋の隅で横たわって吐血している『毒殺死体君』を除外すればの話です。

 バッグから取り出した日本刀を鞘から抜き放ちます。磨き抜かれて曇り一つ無い、鏡面のような刃が硬質な光を撥ね返しました。鋭い輝きは目にも鮮やかで、相当の業物と思われました。天井が低いので、大きく振りかぶることは出来ません。機械的に、垂直から水平へ、肘と手首の力だけで動かしました。さほどのスピードはありませんでしたが、刀の重量だけでも相当腕に負担がかかります。三回目の素振りで手応えがあり、胴体を真っ二つにされた妖精が虚空から現れ、生臭い鉄錆の匂いと臓腑を盛大に撒き散らしました。時刻は一一時半。シンデレラでもあるまいし、深夜零時がリミットとは思っていませんでした。一時か二時、最悪三時頃までコンスタントに殺し続ける必要がありました。

 私は再度刀を振りました。今度は五回目で、妖精を縦に両断しました。死体の位置と血の量を視野に入れながら、休憩に入ります。二体の死骸を維持しながら、体力の温存を図る作戦でした。気を抜いて寝てしまうのを避けるため、腰掛けたり横たわったりは禁物です。刀は刃を剥き出しにしたままベッドに放っておき、傍らで肩のこりをほぐしました。

 一〇分経っても何の変化も無かったので、念のためにもう一体妖精を斬りました。返り血が少し撥ねて手に飛びました。滑るといけないので、すぐに拭い取ります。

 零時五分前、一体目と二体目の死骸が立て続けに消えたので、慌てて素振りを繰り返しました。一〇回で四体屠りました。何だかんだで零時は一番きりの良い時間なので、刀を置いて復活に備えました。

 零時。何も起こりませんでした。僅かに遅れて妖精が一体消えましたが、刀はまだ手元にありました。さらに二体の屍を追加して、待機を続けます。気を張りすぎてもいけないので、音楽をかけようとしましたが、オーディオ機器に向かっている間にことが起こるかもしれず、疑心暗鬼に陥って無用の緊張を強いられることになりました。

 結局、静寂の中で零時半を迎えました。まだ動きはありません。空気が薄くなったような錯覚に陥りました。疲労が両目の裏側に圧し掛かり、集中が途切れそうになります。弱気を振り払うように、刀を振り回しました。噎せ返るような血の匂いと目を瞠るような赤に染められた自室が、まるで見知らぬ場所のように余所余所しく感じられました。

 一時五分前。部屋の隅の『毒殺死体君』が消えていることに今更気付きました。マッサージを執拗に続けていますが、腕は痺れ、肩がだいぶ重くなっています。何度か曲げ伸ばしをして、ごまかしました。椅子に座ったらその瞬間眠りに落ちそうな気がします。

 緊張が途切れそうなぎりぎりのタイミングで訪れた一時。

 事態が動きました。――一瞬で終わりました。

 刀が消え、鞘も消え、刀で斬られた妖精が瞬く間に全部消え去りました。ついでに言えば、刀を振り回して蓄積したはずの疲労まで、心なしか消えてしまったようでした。

 ……全滅。精神的疲労が、掻き消えた肉体疲労の分までどっと襲い掛かってきました。

 刀の傷痕を妖精ごと消してしまう。確かに、最も効率良く辻褄を合わせる方法でした。妖精が生き返る必要も無ければ、他の死因をでっち上げる必要もありません。

 私は、存在と無、生と死、その双方を越境した自在性に完全に弄ばれているのでした。

 着眼点は良かったはずですが、こちらの想像を越える万能性を発揮されました。

 悔しさのあまりベッドに叩きつけた拳が、妖精の胸部を強打して潰しました。不条理と理不尽の権化に対し、どうにかして突破口を見出したい。そう切実に願いました。

 妖精が何であるか、あるいは財宝が何であるか、そういった真理に到達するのは到底不可能であろうと割り切っていました。ただ圧倒的な存在に対し、どうにかその一端でも掴みたい、一矢を報いたいという信念が私に芽生えつつありました。

 そのために出来る限りのことは何でも試してやろう、私はそう誓ったのです。

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