余命銀行

佐伯 安奈

余命銀行

 スーパーの特売とか割引とか新装開店セールといった内容の多い、新聞の折込チラシの中に、「余命銀行○○支店開設のお知らせ」というやや目立たない一枚があった。

 目立たないながらに、その「余命銀行」という文言は妙な存在感を放っている。家の近くなので、チラシに書いてある日付に行われるという説明会に行ってみることにした。


 雑居ビルの一室である。その辺にある銀行とは違って、どっしりしたいかめしいイメージはない。入口を入ると窓口のようなブースがいくつか並んでいる。数人の人が、その前に腰かけて恐らくブースの向こう側にいると思われる行員の説明を聞いているのか。ふつうの銀行のように、何をしにやって来たのか細かく聞き出す係員もいないので、私も目の前の空いているブースの前に座ることにした。

 向こう側にはちゃんと誰かがいて、私の目を見ながら(別に見なくてもいいのだが)説明を始めるのかと思いきや、目の前には青いカーテンが引かれていて、まるで客を受け付けない様子である。不自然に思っていると、スピーカー越しに話している女性の声がどこからともなく聞こえてきた。


「本日は余命銀行にご足労いただきましてまことにありがとう存じます。」

 存じます、という語尾にやや昭和がかったセピアな色を感じたが、そういう接客の方針なのかと思った。

「チラシを見てためしに来てみたんですが、ここはどういう銀行なのですか?」

「ご説明をいたします。余命銀行とは、もうこの世で十分に生きたとお考えのある個人の余命を当銀行に預け、それをまだまだ生きていたくてたまらない、という強い気概をお持ちの第三者の方に提供する、というシステムの下活動を行っております。」

 雲をつかむような話である。

「しかし、余命なんてふつうわかるものではないと思いますが。何か測定する技術でもあるのですか。」

「当行には大変特殊な鏡がございます。その前に立っていただきますと、裏側にその人がこの世を去ることになる正確な年月日、つまりその人の残り時間、平たく言えば余命が表示される、という構造になっているのです。当行の趣旨にご賛同いただき、自らの余命を他の方に提供して差し支えない、と預命者の方が判断されますと、その方の余命がある特殊な方法で抽出され、必要とされる方に付加される、という仕組みでございます。無論その瞬間、預命者の方はこの地上での時間を終えられることとなります。」

「預金者ではなく、預「命」者ですか・・・。なるほど。とても変わったことをやってらっしゃるようにお見受けしますが、倫理的に、というかこういう商売をしてもいいものなのでしょうか。」

「現在、殊にこの国は世界有数の平均寿命を誇り、注意深く日々を送れば多くの人が一世紀を永らえることも難しくはないと考えられております。しかし、誰もが等しく長く生きるべきなのか、人は単に長く生きることだけが幸福なのかどうか、というのは古来より問われてきたテーマでした。それを度外視して国家によって一律に長命を強制されるなど、もはや一種の暴力です。これは決して人命軽視ということではありません。筆舌に尽くし難いほどの惨苦を舐め尽くしてまで長生きするくらいなら、若くとも自分がもっとも幸福だと思えるうちに世を去りたい。このような考え方は、例えば旧約聖書やギリシャ悲劇にも見られるものです。当行ではこうした「生きる時間の質」を重視した考えに基づき、老若に関わらず自らの余命を天寿のまま全うするのではなく、あえて強い生命力を持ち長命を志向する見知らぬ方に贈与する、というシステムを開発したのです。」

 かなり重いテーマだが、説明は淀みなく続く。


「こちらの銀行の大まかな内容はわかりました。ですが、いくら余命を他人に提供するという決心をしたとはいえ、実際に自分のそれを知ってしまうとショックは避けられないという気がしますが。」

「そのご懸念はもっともなことに存じます。しかしその点については当行では細心の配慮を致しております。というのも、鏡の前に立たれた方の残り時間は、我々だけが把握し、ご当人には最後まで明かされません。ただし、申し上げにくい点ではありますが、あまりにもそれが短い場合、極端に言えば、翌日が残り時間の満了日を指しているという方も稀にですがいらっしゃるわけです。そういう方は滅多にお見かけしませんが、仮にそうした場合には、その残り時間が他の方に提供されてもあまり有益ではないと考えられます。従ってそういう方は預命者のリストの中では別枠となります。」

 銀行に生殺与奪の件を握られている、という気がしなくもないが、それは一般的な銀行でも同じようなことか。

「そういうことですか。長ければいいということなのか、短いのは良くないのか、難しいところですが・・・。ところでその、もう自分の余命を人にあげてもいい、というタイミングは、自分一人で決めてそちらに伝えるものなのですか?」

「当行は預命者の皆様に、定期的に余命贈与の意思の確認を行っております。現在、当行の預命者となっている方には10代から80代の方までいらっしゃいますが、10代から30代までの方には少なくとも半年から1年に一度、人によってはさらに短く、3ヶ月に一度という割合で実施しています。当行の預命者様は若年層の皆様が大半であり、また昨今はパンデミックや戦争の影響でお若いうちから自らの残り時間を意識する方が増えていらっしゃるので、確認作業だけでも人手が足らない現況です。」

「不確実で安定を失っている時代がこういう銀行のできた背景でもあるんですか。しかし、今の説明ではまるで年貢の納め時のように早く余命を提供しろと強要しているようにも受け取れるのですが、それは自分の誤解ですか?」

「確かにそのように受け取られる方もいらっしゃるかと存じます。しかし、当行の意図としては、そのようにして自分の残り時間を意識するからこそ、かえって今を良く生きていただきたい、という思いもあるのです。また預命者の方の中には、精神的な平衡や安定を保つことが困難な方もいらっしゃいます。先ほど3ヶ月に一度贈与の確認を行っている方について触れましたが、これはこの預命者様ご自身の意向によるものなのです。つまりこの方は精神的な危機と向き合う人生を長く過ごされてきたため、ある時から「3ヶ月生きる」ということをご自身の至上命題とされているのです。そして3ヶ月を終えると、当行から連絡が来る、今回はまだ贈与はしない。そしてまた3ヶ月を生きる。それがこの方の人生設計なのです。手前味噌ではありますが、当行はこの贈与の確認を通して、この預命者様が生きていく上での一つの支えとしての役を果たしているのではないかと考えております。多くの方は、誕生日が生きていく上での目安ではないかと思います。その日を過ぎ、また一年年齢を重ねたという自覚が積み重なって、その人がその人である核のようなものができていくのではないでしょうか。しかし世の中には、その自覚のスパンがもっと短い方もいらっしゃるわけです。この方の場合の3ヶ月というのも、あまりに短いとお感じになるかもしれませんが、ご当人の中ではふつうの人の一年と同じような重みがあるかもしれないのです。」

「なるほど。そういう人もいるとは考えたこともありませんでした。ええと、30代までは少なくとも年に一回は確認の連絡が来る、と。これはどういった観点からこう設定しているのですか。それと、それ以上の年代の場合はどれくらいのスパンで連絡が来るのですか。」


「この国では1年におよそ3万人の人が自ら死を選んだ年すらありました。国家による取り組みや法整備も進む中で、全体的な人数は減る傾向にありますが、依然少ないとは言えない水準です。そして若年層の自死人数はあまり変わっておりません。つまりこうした方々は、人にもよりけりですが常日頃から余命贈与を考える機会が多いはずです。とはいえ決心は容易にはつきません。やはりお若い世代ですから、この先それぞれの人生がどう発展していくかはわからない。余命を人に贈りたいと一度は決めたとしても、翌日にはまだ早いのではないか、と考えを転じる可能性が高いのです。そのため、この世代の方々にはおよそ半年から1年というスパンで確認を行っております。

 逆に40代以上の方は、4年から5年に一度、10年に一度という方もいらっしゃいます。おおむねこの世代の方々が自ら死を選ぶ理由というのは、借金苦や病苦が多いとされますが、昨今の法整備の効もあったのか、若年層と比べれば比較的年齢の高い世代の方々の自死人数は減りつつあります。また、これは統計ではなくざっくばらんな一般論ですが、40年、50年と生きてしまうと、どれほど慚愧の多い人生であろうともそれなりに安定し、もはやこのまま最後まで行くしかないというある種の開き直りが生まれてきます。そして余命を贈与するどころか、むしろ贈与されたい、1年でも長く生きていきたいという風に意識が変わってくるものです。従って確認のスパンは長くなり、人によっては全く行うことなく、解約される方もいらっしゃいます。それも結局は、預命者の皆さんそれぞれの意思に基く決断なのです。」

「あくまであなた方は我々の余命を把握し、それを贈与するかしないかは一人一人の判断によるもの、ということですね。」

「その通りです。当行の方から贈与の強制が行われることは確実にございません。それは固く禁じられており、人の道に反することです。」

「ここに登録した人の中のどれくらいの人が実際に余命を贈与するのですか。」

「詳しい数字はお伝えできません。ですが預命者として当行に登録されたものの、結局贈与を実行することなく平穏に天寿を全うされたる方はおよそ3割と計算しています。」

「とすると贈与する人の割合は・・・なるほど。」

「多いと思われるか、これでも少ないと思われるかはそれぞれの価値観に委ねられることです。それは当行の干渉するところではございません。さて、お客様、お客様はこれまでの説明をお聞きになった上で、余命の贈与ということについてどのようにお考えになりますか。実は、今お客様の目の前に引かれているカーテンの向こうが、余命の写る鏡になっているのです。もし当行の趣旨にご賛同いただき、預命者として登録することを決断していただけるのであれば、お手元のロープをお引きください。繰り返しますが、これは全てお客様ご自身の意思と決断により行われることです。」

 スピーカーの電源が切れる音がして、女性行員の話は終わった。上から音もなくするするとロープが降りてきて、私の右手の位置で停まった。

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