第11話ー② おほほ令嬢は夫略奪の宣戦布告としてキスをする。
「それで、どうしてブランシュがここにいるのですか?」
「あら? わたくし様がどこにいようと、ヴァイオレット様には関係ありませんわ」
き、気まずい。
状況を説明し、ヴィオラ様が落ち着きを取り戻すと、さっそく険悪ムードなヴィオラ様とブランシュ様。完全に出ていくタイミングを逃した。
ブランシュ様の返答に、ヴィオラ様の表情が一層険しくなる。
「本日は貸し切りだったはずですが?」
そうなのだ。
ブランシュ様の目的が慰安だろうなんだろうが、貸し切りである以上こんな事態にはならなかったはずなのだ。
それがどうしてこんなことになっているのか。
ヴィオラ様の質問に、ブランシュ様は頬に手の甲を添えておほほと笑う。
「金貨で殴ってやりましたら、快く泊まらせていただけましたわよ?」
野蛮ー! そして、品がない。そういうところをお父上に叱られているんだと思うよ、僕は。
「……後で宿の主人には追求します」
小さく低い声が恐ろしい。
やめてあげて? 断れなかっただけだと思うから。
温泉に入っているというのに、まったく気の休まらない状況。むしろ、疲労心労がどんどん増していく。
早く出たい。膝を抱え、心の中で弱音を零していると、ブランシュ様の視線が僕に向けられる。
「ところで、そこの無礼な男」
「……っ!」
ブランシュ様がそう言った瞬間、ヴィオラ様が眼光鋭く睨みつける。
あまりの迫力に、能天気なブランシュ様もたじろいでいる。
「ちょっと……その目やめていただけません? この前もですけど、怖すぎますわ。あなた、そんなに感情剥き出しするタイプではなかったでしょうに」
まったくと、ブランシュ様は悪態をつくと、僕とヴィオラ様に近づいてくる。
ヴィオラ様を通り過ぎると、そのまま僕の前で止まる。
「それにしても……」
値踏みするように顔を寄せてくる。
「このような凡庸な男のどこがいいのかしら?」
「いや……あの、近いです」
いくら苦手な女性とはいえ、ブランシュ様もヴィオラ様に負けず劣らず綺麗な顔立ちをしている。そう無防備に顔を近づけられると照れてしまう。湯に浸かっているとはいえ、お互い裸なのも相まって余計に。
僕に近づいたせいか、ヴィオラ様が不機嫌そうに眉を寄せている。
「旦那様を侮辱するのであれば、容赦しませんよ。後、離れてください。近いです」
「ただの事実ですわ」
ちらりと、ブランシュ様はヴィオラ様を流し目で見る。
「学生時代からどれだけ男に言い寄られても眉一つ動かさなかったヴァイオレット様が、こんな地位も名誉もない男になびくなんて信じられませんわ」
「貴女には関係ありません」
冷たく切って捨てるヴィオラ様。
ふむ、と悩む素振りを見せるブランシュ様が、思案顔でじっと僕を見つめてくる。
「そうですわね。ヴァイオレット様のお気に入りというのであれば――」
どこか挑発的に、愉快そうに笑う。
「――奪ってしまうのも、一興ですわね?」
シンッ……と静まり返る浴場。
湯の流れる音だけが耳を打つ。
この人はなにを言っているの? 死にたいのかな?
得意げなブランシュ様の横では、怒りに満ち満ちたヴィオラ様が、抑えきれぬとばかりに声を震わせている。
「……私の夫です」
「ヴァイオレット様はともかく、そちらの男がヴァイオレット様を好いているようには見えませんけど? ねぇ?」
「……へ!?」
なんてタイミングでなんて話題振ってくんのこの人!?
そりゃ、好きか好きじゃないかと言われればヴィオラ様のことは好きだけれど、恋愛的な意味で好きかと問われると判断に困るというか……えぇっと。
誠心誠意答えようとするあまり、返答に窮していると、沈黙を肯定と受け取ったのか、ブランシュ様があざけるように笑う。
「ほら」
「……っ」
ヴィオラ様は悔しそうに下唇を噛む。
「ヴァイオレット様が未だに惚れさせられていない男……もし、その男をわたくし様が先に惚れさせたのなら、ヴァイオレット様よりわたくし様のほうが女として上というなによりの証明になりますわ~! お~っほっほっほ!」
ブランシュ様はそんなヴィオラ様の反応を見てやり込めたと思ったのか、得意げだ。
そんなの証明してどうなるというのだろうか。ヴィオラ様に妙な対抗意識を持っていないか? この人。
「ヴィオラ様から私を奪ってどうするんですか?」
できるかはともかく。
ブランシュ様曰く地位も名誉もない凡庸な男だ。奪ったところで、石ころ以上の価値もあるまい。
僕の問いかけに、当然とばかりにブランシュ様は高笑いを上げる。
「お~っほっほっほ! 決まっておりますわ! 元々あなたには復讐したいと思っていましたもの。ヴァイオレット様から奪った後は捨ててあげますわ~!」
至極楽しそうなブランシュ様。
けど、捨てると高らかに宣言している女性に惚れるわけがないのよね。
惚れさせると宣言した男の前でよくもまぁそんなことが言えたもの――
「――……ちゅ」
不意に頬を襲う柔らかな感触。
温泉とは異なる温もりに、僕は目を見開く。
身を仰け反らせ、頬に触れる。信じられないモノを見るような目でブランシュ様を見ると、クスリと艶のある笑みを零した。
「宣戦布告ですわ」
それは僕とヴィオラ様、どちらに対してのものだったのか。
あまりの出来事に頭が真っ白になっていると、ハッと我に返ったヴィオラ様が怒りを込めて叫ぶ。
「ブランシュ……!」
「おほほ。では、失礼いたしますわ」
これを読んでいたのか、そそくさと浴場から逃げ出すブランシュ様。
戸の閉まる音が響く。そして、浴場には再び重苦しい沈黙が訪れた。
……どうすりゃいいのこの空気。
息苦しい状況に耐えかねていると、なにを思ったのかヴィオラ様が背中から抱きついてくる。
タオル一枚しか隔てる物のない密着。背中で潰れるしっとりと濡れた胸の感触に、体温が一気に上昇する。
「ゔぃ、ヴィオラ様!? ……さ、さすがにこれはっ」
「絶対に……絶対に」
僕の声は届かず。
溢れる思いを吐露するように空気を震わせる。
「……カトル様だけは奪われたく、ありません」
縋るような、か細く弱々しい声。
回された腕が微かに震えているのは、怯えなのだろうか。
彼女の言葉に一瞬驚くも、すぐにその感情は自分への落胆に変わる。
こんなにも不安にさせてしまうなんて、情けないなぁ。
たった一言、好きですと口にできたなら、ヴィオラ様を心配させることなんてなかっただろうに。僕の中途半端な態度が、彼女を怯えさせているのは明白だ。
僕は震えるヴィオラ様の手を優しく握る。
「安心してください。ヴィオラ様から離れたりしませんから」
これが今の僕に言える精一杯。
けれども、いつまでもこのままというわけにもいかない。
ちゃんと向き合わないとな。
ヴィオラ様と。
そして、自分自身の気持ちと。
ギュッと握った手に力を込めると、ヴィオラ様の震えが止まった。
「本当……ですか?」
「はい。もちろんです」
ただ、と僕が付け加えると、一瞬ヴィオラ様の手がわずかに震えた。
不安がらせるのはわかっている。けど、もうダメなのだ。耐えられそうにない。
「……のぼせました」
「旦那様!?」
悲鳴のようなヴィオラ様の声を最後に、僕の意識は途切れた。
温泉に、美しい二人の裸の女性。のぼせるには十分すぎる要素だ。
次に目が覚めた時には、部屋で寝かされていた。
心配そうにしながらも、赤面させて僕の顔を見れないヴィオラ様。当たり前のように着替えさせられているのを確認した僕はさめざめ泣いた。
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