第11話ー① 新婚旅行で温泉に向かうと、美女二人に挟まれ修羅場になりました。
「温泉旅行……ですか?」
王都での生活にもようやく慣れてきた頃。
部屋で読書をしていた僕に、ヴィオラ様が提案してきた。
いつもながら感情の読めない無表情だが、その姿勢は前のめりで、旅行への意気込みを感じさせる。
「はい。お
目を伏せながらも、上目遣いに僕の表情を伺うヴィオラ様。
そういえば、新婚旅行も兼ねていたっけ。すっかり忘れていた。
開いた書籍で口元を隠しながら、僕は思案する。
元々ヴィオラ様が僕と離れたくないからと決まった王都行き。少々揉め事はあったけれど、華やかな王都をなんだかんだ楽しんでいた。
ただ、ヴィオラ様からすれば慣れた土地。それどころか、生活拠点すら彼女が普段から利用している屋敷だ。代わり映えしない日々だったのは間違いない。
彼女の休養も兼ねて、足を伸ばすのも悪くないか。
考えをまとめた僕は、パタンッと本を閉じて首肯する。
「行きましょうか」
「……! ありがとうございます!」
両手を合わせて、ヴィオラ様は顔を輝かせる。
お礼を言われるようなことではないのだけれど。
少々面映ゆく、頬をかく。
とはいえ、懸念もある。釘をさす意味でも、一言告げておかなければならなかった。
「あまり高価な宿でなくても――」
「旦那様に見合う、質の高い宿をご用意いたします。楽しみにしていてください」
そう言い残し、止める間もなくヴィオラ様は部屋を後にする。
「うぉーい……ヴィオラ様ぁ」
残された僕は、続く言葉を飲み込み途方に暮れる。またもや胃痛の種が増えそうな予感に、ため息を吐き出すことしかできなかった。
■■
温泉街。
王都と街道で繋がり、馬車で数日という立地の良さから貴族や商人が暇を見つけては足を伸ばす、温泉宿や土産屋がひしめく王国内でも有数の観光地だ。
温泉といえば、大陸の中でも
そんな温泉街にある、とある一件の宿を指差し、僕は頬を引きつらせていた。
「ヴィオラ様? 今日泊まる宿って……」
「ここになります」
僕たちの眼前には、平屋建ての温泉旅館が広がっていた。
温泉街の中でも著名な宿で、部屋はもちろん、従業員や食事も最高品質。慰安のために上級貴族が足繁く通う宿で、一泊するのすら目眩のする金額が必要だ。
泊まるの? ここに? 貧乏男爵の僕が?
今回の旅行のために母上様から頂いた路銀ではまったく足りない。胃がきゅうぅっと締め付けられて冷や汗を流していると、ヴィオラ様がかすかに微笑みながら言う。
「私共が宿泊している間、貸し切りにしております。他の客はおりませんのでご安心ください」
「か、貸し切り……」
それは安心ですね。なんて言えるわけもなく。
もはや想像すらできない宿泊費に、顔を青ざめるしかなかった。
■■
起こったものはしょうがない。
最近、僕にはどうしようもない問題が起こりすぎて、諦めるのも早くなってしまった。着々とヒモ野郎化している現実に目を背け、
『お先に温泉はいかがでしょうか?』
というヴィオラ様の言葉をありがたく頂戴し、威風堂々とそびえ立つ活火山を眺めながら、露天風呂と洒落込んでいた。
「……きもちぃ」
温泉独特の硫黄臭さには慣れないが、身体の芯から温められる感覚は心地良い。露天という環境ゆえか、日常から離れた開放感を強く感じて気分も晴れやかだ。
温泉なんて初めてだったけれど、なかなかどうして悪くない。
「あぁ……悩みなんて忘れてこのまま一生浸かっていたいぃ」
半分以上本音の夢心地。
けれども、現実問題そんなわけにもいかない。なにより、のぼせやすい体質なので、長風呂なんてしていたら、夢心地どころかそのまま召されてしまう。
適度な所で出よう。そう思っていると、脱衣所に繋がる扉がガラガラと音を立てて開く音がした。
旅行客かなぁ。なんて火照った頭でのほほんと考えていたが、冷静な部分が待ったをかける。
ちょっと待て。ヴィオラ様が今日は貸し切りって言ってなかったっけ?
つまり客じゃない。可能性としては従業員かもしくは――……嘘だよね?
いやいや。まさか。僕が入っているのは知っているわけだし、そんな、あるわけないじゃないですかー。真面目なヴィオラ様がまさか混浴なんてするわけがない。
否定するも、脳内には『ふふり』と笑う小悪魔メイドの姿が。いるなー、余計な入れ知恵をしそうな人が若干名。
ひたりひたりと近づいてくる足音。
まさかという思いで振り返ると、湯煙に人影が浮かび上がっていた。
起伏は少ないながらも、女性的な曲線を描く身体。
黄金に輝く髪は渦を描き、自己主張激しい髪型の女性は――
「ブ、ブランシュ様っ!?」
「あら? あなたはいつぞやの無礼な男」
姿を現したのは、つい先日街中で再会したブランシュ・シンビジウム侯爵令嬢だった。
な、なんでこの人がここにいるんだ?
目を見開いて驚くのも僅か、彼女が裸なのを認識して慌てて背を向ける。
「まさか、こんな場所で合うとは思っていませんでしたわ」
僕もです。
棘のある声だけれど、そこに羞恥心は感じられない。
出ていく気配はなく、湯に身体を付けたのか静かな水音と共に波紋が広がる。
「ふぅっ」
湯船に身体を沈めたのか、小さく零した吐息が色っぽい――じゃなくて。
どうして男の僕が入っているのに、この人冷静なの? 慌てふためいてほしいわけではないが、自然に同じ湯に入られるのは非常に困る。
パシャリと跳ねる水音にドキマギしながら、僕は恐る恐るブランシュ様に質問する。
「僕がいるとわかりながら、よく入れますね」
「なんでわたくし様が他人に気を遣わないといけませんの」
貴族らしい傲慢さ。
それに、とブランシュ様は付け加えると、湯船から立ち上がる音が響く。
「お~っほっほっほ! わたくし様の身体は至宝! 一片の贅肉もなく、均整の取れた身体は正に究極の美! 見られたところで恥ずかしくともなんともありませんわ!」
「左様ですかー」
自信を持つのは結構だけれど、少しは羞恥心を持っていてほしかった。
「だいたい、今回の慰安はあなたのせいですわ」
「はぃ? 私のせい?」
えー。僕がなにをしたというんだ。むしろ、暴力を振るわれそうになったのは僕のほうだったはずだ。
「あなたに罰を与えようとしたのが、執事の告げ口でお父様にバレて大目玉を食らいましたの! まったく、どうしてわたくし様が叱られなくてはいけませんの?」
あぁ、あの後怒られたのか。
執事の告げ口ということは、先日ブランシュ様と一緒に居た二人の執事は、彼女の父親が付けたお目付け役だったのかもしれない。お転婆娘を持つシンビジウム侯爵家当主の苦労が忍ばれる。
「ようやく謹慎も終わったので、気晴らしに温泉に出向いたというのに、あなたに会うなんて最悪ですわ」
ブツブツ文句を言っているわりに、僕を追い出そうとしないのは意外だ。相当怒られたとみえる。
とはいえ、この状況は色々とまずい。
貸し切りのはずの温泉宿で、どうしてブランシュ様がいるのかはわからないが、妻を持つ身で他の女性と混浴とか外聞最悪。というか、この状況をヴィオラ様に見られたら死ねる。
急いで風呂から出よう。
そう思い立ったところで、再び扉の開く音がした。
入ってきたのは、豊満な身体をバスタオルで隠し、恥ずかしそうに頬を赤らめるヴィオラ様だ。同時に、僕は湯の中とは思えないほどに血の気が引き、寒さで身体が震えだす。
赤くなった耳に薄紫の髪をかけながらヴィオラ様は口を開く。
「だ、旦那様……よろしければお背中をお流し、しま…………」
恥ずかしげに、途切れ途切れだった言葉は、僕とブランシュ様を視界に収めた瞬間、湯気のように消えてなくなった。
赤かった頬は白に染まり、人形のように精気が失われていく。
顔に差した影から覗く、妖しく輝く紫の瞳が恐ろしい。
し、死んだか……これは。
なにも悪いことなんてしていないのに、気分は浮気現場を目撃された夫そのもの。
口の中に胃酸の酸っぱさを感じながら、僕は恐る恐るヴィオラ様に声をかける。
「あ、あの……ヴィオラ様?」
「…………旦那様が、浮気?」
つーっと頬を伝う涙。
うっ、と口を手で覆い、膝を付いてヴィオラ様はすすり泣く。
その反応は殴られるよりも心のダメージが大きい……!
「違います違います浮気じゃないです信じてくださいっ!?」
「おほほ。私の美貌に惑わない男はいませんのよ!」
「ちょっと黙っててくれませんかね!?」
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