第10話ー② 夫から贈られた安物の髪飾りは、女騎士団長にとって何者にも代え難い宝物です。

 僕とヴィオラ様がやってきたのは、先日、迷子の女の子と一緒に訪れた噴水広場だ。

 本日は市場が開かれている。街の人が敷物に種々雑多しゅしゅざったな品々を並べていたり、商人が露天を出していたり。多くの買い物客によって賑わいを見せていた。


 王都住人のヴィオラ様だが、あまり市場に来たことがないのか、溢れかえった人と喧騒に気後れしているように見える。微かに掴んだ僕の指を離そうとせず、背に隠れるようにしながら後を付いてくる。


「ほ、本当にこちらで? 商業地区で見繕ってもよろしかったのですよ?」

「ははは……大丈夫、大丈夫」

 僕の喉から乾いた笑いが溢れる。

 商業地区の上層区には上級貴族御用達の高級店が所狭しと並んでいる。金に糸目を付けず、高価な品をポンポン購入しようとする屋敷でのヴィオラ様を見て、そんな危険区域に行けるわけがない。コリウス様から市場が開いているという情報を訊けていなければ、大変な目に合っていただろう。この場は感謝しておく。


 適当に安物見繕ってお茶を濁そう。

 なにか良さそうな物はないかと、ヴィオラ様を伴いながら市場を物色していると、よく声の通る女性の露店商人が快活な笑顔で声をかけてきた。


「そこのお似合いの恋人さんたち! 良い品揃ってるから、見ていきません?」

 わかりきった営業トーク。

 僕とヴィオラ様がお似合いって、どこをどう見たらそう映るのか。お目々ガラス玉かな? いいとこお付きだろう。

 そんなわかりやすいお世辞を使う商人の露店で買う必要はない。気づかないフリをして露店を通り過ぎようとしたのだけれど、

「お似合い……!」

 ヴィオラ様は紫の瞳をキラキラと輝かせていた。ふらふらと露店に吸い寄せられていく。

 ちょいちょいちょーい?


「こ、恋人に見えますか?」

「はい。羨ましくなってしまうぐらいです」

 彼女のおべっかに、ヴィオラ様は頬を紅潮させる。

 恥ずかしそうに頬の赤みを両手で覆うが、隠しきれない嬉しさが体からにじみ出ている。僕の妻、素直すぎやしないか? 見ている僕の方が恥ずかしくなってしまう。


 しょうがない。小さく嘆息。

 ヴィオラ様が足を止めてしまった以上、このまま素通りというわけにはいかなくなった。彼女の隣に並ぶと、待っていましたとばかりに露店商人が品物の紹介を始める。

「こちらのペアリングは恋人に人気のアイテムで、お互いの指にリングを付け合うと、生涯愛し続けるというジンクスがあります」

「素敵ですね」

「でしょう? ……愛がなくなったら死にますけど。男性が」

 素敵じゃない素敵じゃない。

 恐ろしすぎるわ。もはや呪いのアイテムだ。生涯って、愛さなくなったら死ぬって意味じゃん。なんてもの勧めるんだこの露店商人。


 僕がドン引きしている横で、ヴィオラ様がなにやら納得したように頷いている。

「並んでる商品全ていただきます」

「いただかないで!?」

 慌てて止める。想像以上にヴィオラ様が世辞に弱すぎる。


「あれま残念。彼氏さんのお気には召さなかったようで」

「本当にお気に召すと思って紹介しました?」

「女性には人気なんですよ? 彼氏さんは嫌がりますけど」

 でしょうね。僕も嫌です。


「彼氏さん……」

 なにやらまたヴィオラ様の琴線に触れている様子。

 このままでは店ごと買い上げかねない。惚けるヴィオラ様と露店商人の間に割って入り、これ以上の暴走を阻止する。

「なにか他に普通の物はないんですか?」

「普通の? 相手の場所がいつどこに居てもわかるペンダントとか、会話が盗み聞ける宝珠、男についた女性の匂いを特定する薬品などなど、多種多様な商品を取り揃えております」

「男に恨みでもあるんですか?」

 露店じゃなくて、魔女の工房に足を踏み入れてしまったのだろうか。引きつった顔が元に戻らない。


「欲しい」

 なにやら僕の後ろでヴィオラ様が呟いているが、聞こえなかったことにする。

 今の説明のどこに欲しくなる要素があっただろうか。考えるだけで背筋が凍る。


「変な効果のない、普通のアクセサリーとかないんですか?」

「ありますよ」

 こちらです、とあっさり案内される。

 最初からそっちを紹介しろ。

 大きくため息を吐き出す。なんで買い物するだけでこんなに気疲れしているんだ。


 虚ろな目でアクセサリーを物色していると、ヴィオラ様と露店商人が密やかに話し合いを始める。

「(……彼女さん、なにか欲しい物ありましたか?)」

「(……ペンダント)」

 買わせないからな。


 ■■


「……結局なにも買いませんでしたね」

 日は暮れかけ、冷たい風が肌を撫でる。

 落ち込んだ様子でトボトボと歩くヴィオラ様が小さく呟いた。


 元々、僕への贈り物を買うためのデート。

 僕が欲しい物を買わなかったことに思う所があるのだろう。沈む夕日のように、紫の瞳が悲しげに揺れている。


 言い訳すると、僕とてなにかしら買おうとは思っていたのだ。

 ただ、ヴィオラ様が勧める物はやたらと高価で、僕としては気後れしてしまう。

 公爵家と男爵家。贈り物に対する考え方の隔たりを感じる一日であった。


 とはいえ、なにも買っていないわけじゃないけど。

 最初に足を運んだ露店。そこで見繕ったモノを手に取り、僕は足を止める。


「ヴィオラ様」

 彼女を呼び止めると、そっと薄紫色の髪に触れる。

 突然の行動に驚き、目を白黒させるヴィオラ様。戸惑う声が彼女の口から溢れた。

「だ、旦那様……?」

「少し、じっとしていてください」

 手を伸ばしているとはいえ、密着するような距離だ。

 頬を赤らめ、ヴィオラ様は戸惑っている。けれど、恥ずかしさなら僕のほうが勝っているはずだ。

 絹のように艷やかな薄紫色の髪。自分から彼女の髪に触れる恐れ多さと、美しい髪を傷つけないかという不安。同時に、そんな彼女の髪に触れられる小さな嬉しさと優越感。

 様々な感情が入り混じり、今にも心臓が破裂しそうだ。


 多分、これで大丈夫なはず。

 不器用な手際だが、どうにか形にはなっただろうか。緊張しながらも、ヴィオラ様から離れて出来栄えを確認する。うん、よかった。似合ってる。

 なにかを付けられたのはわかるのか、困惑するヴィオラ様が恐る恐る髪に手を伸ばす。そして、僕が付けた贈り物に触れる。


「旦那様、これは……」

「髪飾りです。スノーホワイトの雪結晶」

 薄紫色の髪に、やや青みがかった白雪の髪飾り。

 露店で見つけて、きっとヴィオラ様に似合うだろうと買っていたのだけれど、見立てに間違いはなかった。

 氷雪と謳われ、剣と雪の家紋を持つライラック公爵家の令嬢。やはり、ヴィオラ様には雪が相応しい。


「私に、これを?」

「はい。贈り物です」

 頷くと、ヴィオラ様は瞳を濡らす。

 同時に否定するように首を振る。

「そ、そんな……いただけません! 本当なら私が旦那様を贈り物をしたかったのに、逆に頂いてしまうなんて」

「ははは……大したモノではないので気にしないでください」

 本当に高いモノじゃない。平民でも背伸びをすれば手が届くような値段だ。公爵令嬢が付けるには、あまりにも見すぼらしい。申し訳なさすら抱くほどに。

 けれど、ヴィオラ様はそんな玩具のような髪飾りを、指先を震わせながら大切に、壊れ物を扱うように指先で触れている。


「大したモノです……! 旦那様が私のために選んでくれたモノ。それだけで、私にはどのような宝石にも勝る価値があります……ッ!」

「はい、まぁ、そういうことです」

 感情的に訴えてくるヴィオラ様に、僕は頬をかきながら同意する。


 説教臭いのは嫌いだ。けれど、きっと彼女にはこうしたほうが伝わるだろうから。

「高価な贈り物は、ちょっと臆しちゃいます。安ければいいとは言いませんが、僕は高価な宝石や服よりも、その……あー」

 いざ言葉にしようとすると、とても恥ずかしい。

 けれども、意を決して思いを音に変える。


「ヴィオラ様が僕にと、想って贈っていただけたモノなら、なんであっても嬉しいです」

 途切れ途切れだったけれども、どうにか僕の気持ちを伝えることはできた。

 恥ずかしすぎてヴィオラ様が見れない。顔から火が出そうだ。

 けれど、彼女の反応が気になって恐る恐る顔を上げると、大切なモノを抱くように、胸元で両手を合わせたヴィオラ様と目が合う。

 潤んだ瞳。火照った頬。紅い唇が小さく開き、か細い声が囁くように溢れる。


「はい……わかり、ました。大切にします」

 ですから、とヴィオラ様は言う。 

「今度は大事にしていただけるモノを、贈ります」

 少し不安そうに、一瞬目を伏せる。

「その時は、受け取っていただけますか……?」

 切々たる願い。

 当然、僕の応えは決まっている。

「はい……大事にします」

「嬉しいです……」

 ふわっと、ヴィオラ様の顔が華やぐ。

 その笑顔がなによりの贈り物なんて。

 平凡な僕にはとても口にできず、甘く溶けるような彼女に見惚れるしかできなかった。

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