第12話 恋や愛を知らない僕だけど、妻を好きになるため頑張りたい。

「愛って……なんでしょうか?」

「……はい?」

 ぽつりと零した僕の問いかけに、笑顔のコリウス様が疑問の声を上げた。


 温泉街から戻った次の日。

 客室の窓際で外を眺めて耽っていると、ふと、抱いた疑問が口についた。

 笑顔のまま凍りついたコリウス様は、給仕をしながらどこか困ったように固まっている。


「それは、哲学的なものでしょうか?」

「いえ、なんというかもっと身近というか、我が身のことというか」

「なるほど」

 カップに紅茶を注ぎながら「そうですね」と口にしたコリウス様がちらりと扉を見る。

「私の所感となりますが――」

 ゴールデンドロップ最後の一滴をカップに淹れる。

「――夫を軟禁するのは愛とは違うでしょう」

「でしょうねぇ」

 深い溜息が溢れる。



『――奪ってしまうのも、一興ですわね?』

 温泉でブランシュ様がヴィオラ様に向けて放った挑発的な一言。

 宣戦布告頬にキスと合わさり、ヴィオラ様にとっては相当ショックだったらしい。

 2日間温泉街で過ごしたが、常に周囲を警戒して落ち着かない。そして、屋敷に戻るや否や、ネズミ一匹通さない警備網を敷きだしたのだ。


『絶対に護ります』

 真剣な顔。けれど、なぜか不安を押し殺したような感情が見え隠れするヴィオラ様の言葉に、やめてとも言えず、僕は部屋に押し込まれていた。


 部屋の外には警備兵が立ち、外に出るにも許可がいる。

 出れないわけじゃないけど、息苦しいよなぁ。

 コリウス様が淹れてくれた紅茶を飲みながら、ほっと息を零す。

 そんな僕に、コリウス様がなんでもないように言う。


「ヴァイオレット様は激重でございますから」

「それ、本人には言わないでくださいよ?」

 絶対に泣いて落ち込むから。

 実際、ルージュ様に言われたらしく、気落ちしていたし。


 表情を歪めてコリウス様を見ると、彼女は窓から庭園を見下ろす。

 コリウス様の視線を追うと、ヴィオラ様が警備兵と話している姿を見つけた。今なお、警備に不備がないか入念な確認をしているのだろう。


 曇り一つない透明な窓に、そっとコリウス様が白い手袋に包まれた指先を触れさせる。

「……本人は否定するでしょうが、よく似ていらっしゃる」

 どこか遠くを見つめるような銀色の瞳。

 ヴィオラ様を映し瞬きながら、誰と重ねているのか。

 見慣れない思い耽るような横顔に言葉が出てこないでいると、まるでそれまでの表情が嘘だったかのようにコリウス様はいつも通りの笑顔を浮かべる。


「それで、ヴァイオレット様が重すぎて辛い、というお話でしたでしょうか?」

「違います」

「嘘偽りなく?」

「……」

 ニコニコとした笑顔に、ついっと顔を背けてしまう。

 いや、違うよ? 別に辛いとか思ってるわけじゃないし、ヴィオラ様の好意は嬉しいよ? けど、絶対に違うと言い切れるかというと、そうでもなくって……ね?

 色々と分が悪い。僕は誤魔化すようにカップに口を付ける。美味しい。


「なんといいますか、正直、恋とか愛ってよくわからないんですよね」

「恋に恋する令嬢のようなことを仰いますね。おいくつでいらっしゃいますか?」

「20にもなって恥ずかしい野郎ですみませんね」

 ほっといてくれ。

 むっとなって唇を尖らせると、なぜかコリウス様が目を丸くしている。

 え? なに?


「急に驚いた顔をして……そ、そんなにヤバいですか?」

「いえ」

 かぶりを振ってコリウス様が否定する。

「失礼致しました。少々意外だったもので」

「頭メルヘン野郎なのが?」

「悲観的に捉えないでください。違います」

 申し訳ございませんと断りを入れ、コリウス様が訳を話す。

「想像よりもご年齢が若かったので」

「それは老けて見えるということですか?」

「そういうことではありませんが……」

 コリウス様が口ごもる。

 何事においても淀みない彼女にしては珍しい反応だ。

 どうしたのだろうか。意外な姿に驚いていると、少し困ったように口を開いた。


「ヴァイオレット様と4つも歳が離れていたのかが意外でして……」

 それにとコリウス様は視線を逸らしながら言う。

「……年下の男性に結婚を迫っていたかと考えると、些か不安になります」

「いや、別に幼児というわけでもないので、そんな心配されましても」

 年の差婚なぞ、珍しいことでもあるまいに。

 20歳を過ぎれば誤差だろう誤差。

 とはいえ、ヴィオラ様の年齢は初めて知った。そっか、24歳だったかぁ。

 …………。

「姉さん女房で嬉しいですか?」

「そそそ、そんなことは思っていませんが!?」

 年上に憧れとかありませんし!?

「では、そういうことにしておきましょう」

 ふふり、と口元を隠し笑みを零すコリウス様。

 その察していますよという態度がなんともむず痒い。


「ちなみに、コリウス様のご年齢は……?」

「極秘事項でございます」

 唇に人差し指を当て、くすりと笑う。

 小悪魔めいた表情にドキリとするも、あるじの年齢は暴露したんだよなぁと若干の呆れを抱く。

 まぁ、いい。話題を元に戻す。


「なんだか話が逸れちゃいましたけど、恋とか愛ってなんなんでしょうねって」

「先も申し上げましたが、哲学や言葉の意味ではありませんね?」

「まぁ、はい。というか……あー」

 言葉を続けようとして、口がもにょった。

 いざ声に出そうとすると、どうにも恥ずかしかった。

 行儀が悪いと思いつつも、カップを避けてテーブルに突伏してしまう。

 うーっと、小さく呻く。けれど、説明しなければ進まないと、どうにかこうにか絞り出す。


「その……ヴィオラ様が私に好意を向けてくれているのはわかります」

「激重好意ですね」

「茶化さないでくれません?」

 話しにくくなるわ。

「好意の比重はともかく。なんというか、こう……そうした感情を向けてくれるのは嬉しいのですが、どう返したらいいのかわからなくてですね」

「好きと言えば泣いて喜ぶでしょう」

「そうでしょうけど、嘘はつきたくないんですよ」

 ヴィオラ様が真剣な分、余計に適当なことは言えない。

 そのせいで、悲しませることが何度もあった。その都度、言葉の上だけでも好意を口にすれば良かったのかもしれないと、自問自答する日々。

 けれども、ヴィオラ様の真摯な表情を見ると、薄っぺらい言葉を吐く気にはなれなかった。


「では、好意はないと?」

「好意、は……あります、よ? ただ、それが恋とか愛かというと違うのかなって。いやまぁ、正直私自身よくわからないんですけどね?」

 好きは好き。

 けれど、その好意がどういうモノなのか、自分でも判断しかねている。


 空になったカップをクルクルと回しながら言葉を探す。

「……ちゃんと返したいんですよ。

 与えてくれる好意をただ漫然と受け取るのではなく、からもヴィオラ様にナニかを」

 そのナニかというのは恋とか愛とか言うモノ。

 けれど、それがなんなのか僕にはわからない。

 わからないものを、渡すことはできない。

 だから、どうすればいいのか第三者の人間から訊いてみたくて、恥を偲んでコリウス様に相談した。


 僕の言葉に彼女はなんと返すのか。

 熱くなった頬を自覚しながら、慎重にコリウス様を伺うと、彼女は穏やかな微笑みを浮かべていた。


「ふふ……少し、安心致しました」

「え? どこら辺が?」

 ヴィオラ様の好意に応えられなくて不安だって言ってんだけど。

 それのどこに安心する要素があったのだろうか。なにか危ない信託でも受けたのこの人。

「ヴァイオレット様の一方通行かと心配しておりましたので」

「いや、一方的なのが心苦しいというお話なのですが……」

「真面目ですね」

 むしろ、不誠実だと思うんだけど。

 コリウス様の言いたいことがわからない。


「これまでのお話をまとめますと」

 首を傾げていると、微笑ましいモノを見るような目を向けられる。 

「いずれヴァイオレット様のことを好きになりたいと、私には聞こえました」

「――……そ、れは」

 言われて初めて理解する。

 確かに、僕の語りようはそう受け取られてもしかたなかった。


「いや、けど……」

 違う、とは否定できない。

 考えれば考えるほど、コリウス様の言葉が的を得ていると認めるしかなくなっていく。

「……そう、なんでしょうか?」

 口元を抑え、顔を背ける。顔が熱い。

 無自覚な、心の柔らかい部分を指摘され、羞恥が顔を出した。


 そんな風に僕を辱めておきながらコリウス様は、

「さて。他人の心はわかりませんので」

 と、お茶を濁す。

 酷い人だ。

 恨めしそうに睨んでいると、手で弄んでいたカップに紅茶のおかわりを淹れてくれる。

 そして、なぜか僕の対面の席に新しいカップを用意して、そちらにも紅茶を注ぐ。


「……? コリウス様も飲むんですか?」

「メイドはご主人様と同席はいたしません」

 では、なぜ。

 そう思っていると、足音を立てずに歩き出したコリウス様が、部屋の扉を静かに開けた。

 なんだろう。そう思っていたが、扉の先に立っていた人を見て、僕は両手で顔を覆った。

「あ、あのっ……た、立ち聞きなんて不躾な真似をするつもりはなく!? ただ入りづらかったと申し上げますか……っ!?」

 立っていたのは、ヴィオラ様。

 赤くなった頬。あたふたと手を振り、視線をあちらこちらに泳がせている。

 その態度が、如実に僕たちの会話を訊いていたことを如実に伺わせた。


 前にも似たようなことがあったなぁ……。

 テーブルに伏せって思い出すのは、ヴィオラ様が母上様に花嫁修業と称してリンゴの皮剥きに挑戦している時のことだ。

 あの時は、偶然彼女の思いを立ち聞きしてしまったのだけど。

 今後は逆。

 コリウス様が僕の気持ちを立ち聞きしてしまっていた。


 あの時のヴィオラ様もこういう気持ちだったのかなぁ。

 見せる顔がないとテーブルに突伏したまま動けないでいると、控えめに椅子に座る音が耳を打った。

「こ、コリウス……!?」

「では、私は他に仕事がございますので、失礼致します」

 どうやら、コリウス様に無理矢理座らせられたらしい。

 気付けば、静寂が室内を満たしていた。言葉通り、コリウス様は退室したのだろう。


 心臓に悪い静かな時間。羞恥と緊張で激しく心臓が跳ねる。

 伏せた腕から僅かに顔を上げて、対面に座っているだろうヴィオラ様を伺う。

 すると、パチンっと視線が合わさってしまう。

 僕は慌てて顔を伏せると、まくし立てるように言い訳がついて出た。


「さっきのは違うと言いますか、自分でもよくわからなくってですね!? 好きとか愛とかよくわからなくって、でも、ヴィオラ様に申し訳なくって、どうすればいいのか悩んでいるというかなんいうか……!」

 いかん。自分でなにを言ってるのかわからなくなってきた。

「…………なんでもないです」

 自分のことなのに、なにもわからないのだ。言葉で説明できるはずもない。


 情けなくなって、羞恥から一転落ち込む。優柔不断が過ぎる。僕は本当に男なのだろうか。

 己の情けなさに心ですすり泣いていると、

「ありがとう、ございます」

 どうしてかヴィオラ様がお礼を口にした。


 驚いて顔を上げると、彼女は瞳を潤ませ、感極まったようにくしゃりと表情を崩し今にも泣きそうになっていた。

「お礼を申し上げるのが失礼なのは理解しています。旦那様が苦悩しているのに」

 ですが、と嗚咽を抑えるように口元を覆う。

「旦那様が私のために思い悩んでいるのが嬉しいのです……! 少しでも私のことを気にしていただけていると思うだけで、気持ちがこみ上げてきてっ」

 抑えられないと、潤んだ瞳から雫が溢れる。

「ただ、申し訳ないのも本当なのです。ですから、旦那様はなにも気にしないでください。

 ――カトル様に振り向いていただけるよう、努力いたします」

 頬に涙の跡を残しながら、その瞳には強さがあった。

 確かな決意表明に、僕は隠していた顔を上げ、真っ直ぐ過ぎるヴィオラ様の眼差しを受け止める。


 そして、深くため息をついた。

 一瞬、怯えるようにヴィオラ様の身体が震えた。呆れられたと思ったのかもしれない。

 けれど、事実はその逆。彼女が眩しすぎて、そして、自身の情けなさにつくづく愛想が尽きただけだ。

 僕は不安がる彼女の手を取り、しっかりと握る。決して傷つけないように、けれど離さないようにしっかりと。


「一方的に与えられるのはもう嫌です」

 目を見開き、驚くヴィオラ様。僕は今度こそ気持ちを定める。

「僕は貴女を好きになりたい。

 どうして僕のことを好きになったのかとか、自分の気持ちがわからないとかもう気にしません。

 ヴィオラ様の好意は本物で、僕はその気持ちに応えたい」

 顔が熱い。それでも、言葉を止めるわけにはいかなかった。

 カラカラに乾いた口を開き、彼女に伝わるよう丁寧に言葉を紡ぐ。

「だから、ヴィオラ様を好きになるよう頑張らせてくれませんか?」

 好意に努力なんて似合わないけれど。

 これが今の僕が出した答えだった。 


 長い沈黙。ヴィオラ様は俯き、目元を影が覆う。

 根気良く彼女の返答を待ち続けていると、小さく小さくゆっくりと、けれどもしっかりと頷いてくれた。

「は、い……。不束者ですが、よろしくお願い、……いたします」

 ほっと、安堵の息が溢れる。

 自分で思っていた以上に、緊張していたらしい。

 こんな告白染みた……というか、ほぼほぼ愛の告白と変わらない行為は人生で初めてだ。

 ……もしや、とんでもないことを言ったのでは?

 今更になってのたうち回りたくなるほどの羞恥心が襲ってくると、ヴィオラ様が突然ガタリッと席を立った。


「ですが……」

 見ると、テーブルに両手を付いたヴィオラ様の身体が僅かに震えていた。

 その顔はこれ以上ないほど赤く、目尻には涙を浮かべていた。

「これ以上は色々と! 許容範囲を超えてしまうので! 申し訳ございませんが、失礼致します……っ!!」

 止める間もなく部屋を飛び出すヴィオラ様。

 腰を浮かし、手を伸ばしても止めることは叶わず、僕は一人部屋に残された。


 力なくぽふっと椅子に座り直し、カップを持ち上げ口を付ける。

「……温い」

 湯気一つたたない紅茶。けれど、火照った身体を冷ますには、まだまだ温かすぎた。

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