第8話ー① 僕のトラウマである金髪縦ロールのレトロな悪役令嬢と街中で再会してしまった。
初夜事件の翌朝。(未遂)
もちろんのこと、まともに眠れなかった僕の目の下には真っ黒な隈が塗りたくられていた。
客室に移動して一人で熟睡。なんてできるわけもなく、日が昇るまで悶々と過ごしていたのだ。
僕とは違い、ヴィオラ様は気絶してしまったので睡眠時間は取れているはず。けれど、今日はまだ顔を合わせていない。
昨夜の元凶たる白百合メイド隊の小悪魔メイド長コリウス様曰く、
『……会わせる顔がありません』
と、どんより暗雲を背負いながら出勤していったそうだ。
気にしなくてもいい……と言うには衝撃的な出来事。
ヴィオラ様も相当ショックだったらしい。帰宅後、なんと声かけたものやら。朝食を食べながら、寝不足のボケた頭で考えていた……のだけれど、
「昨夜、どうでしたか!? どこまでいきましたか!?」
「コリウスメイド長はなにも教えてくれないんですよ~」
「もしかして、ヤっちゃったんですか!?」
「ちょっとっ!? あんたなんてこと訊くのよ!? ……でも、」
『……きゃ~~っ!?』
僕とは違い、朝から元気ハツラツ。興奮状態増々のメイドたちに囲まれて、朝食時は下世話な花が咲き誇っていた。
どちらかといえば、僕の感覚は貴族よりも平民に近い。実家のメイドも気安さという面では彼女たちと同じぐらいだ。なので、距離感の近いメイドたちに対して無礼とかは思わないんだけど……なにもなかったとはいえ、昨夜のことについて語るのは少々、むず痒い。
僕の沈黙をどう受け取ったのか、キャイキャイと想像力逞しいピンク色の妄想が繰り広げられていく。おいやめろ。僕はともかく君らの雇い主を汚すんじゃないよ。
噂話に花を咲かせる若いメイドたち。ただ、それも長くは続かなかった。
「……ご主人様になにをしていらっしゃるのですか?」
『ひぃっ!?』
ニコニコ笑顔のコリウス様の登場。下世話な花々は早くも見納めとなる。
客の前で叱る気はないのか、メイドたちをほうぼうに散らしたコリウス様は、申し訳なさそうに謝罪をしてきた。
「昨日に続き、メイドたちがご迷惑をおかけして申し訳ございません」
「あはは……大丈夫です」
ちなみに、昨日最も迷惑をかけてきたのはコリウス様による初夜事件なのだけれど、自覚はないのだろうか。
まるで昨夜のことを匂わせない、メイド長たるに相応しい楚々とした態度。もはや関心すら覚える。すごいよね、欠片も悪びれた様子が見られない。
空いた皿を片付けながら、コリウス様が訊いてくる。
「本日のご予定はいかがいたしますか?」
「予定?」
そういえば、なにも考えてなかった。
考える間もなく母上様に実家を追い出され、王都に着けば早速迷子。ヴィオラ様の屋敷でようやく落ち着けるかと思えば、メイドたちからの質問攻めだ。最後にはヴィオラ様との……うん、まぁ、うん。
思い返すと、王都に来てから気の休まる暇のない濃厚すぎる一日だった。田舎で代わり映えのないのんびりとした生活をしていた僕には少しばかり刺激の強い出来事ばかり。
予定を考える暇なんてなかった。
けれど、改めてなにをしたいかと問われても、なにも思いつかない。
そもそも、実家に居た時は領地経営や勉強、農業など生きていくのに必要な仕事をするばかりで、自分のためになにかをすることはなかった。
今はその仕事もない。きっと、母上様に尻を叩かれた父上が泣きながらやっているだろう。
すると、僕はなにをすればいいんだ?
突然ぽっかりと空いた時間。ヴィオラ様に連れられて王都まで来たが、今日の彼女は騎士団の仕事がある。
だから、僕の好きなことをしていいんだろうけど……
「あの……領地経営に関する本とか、あります?」
「ございません」
笑顔のメイド長に拒絶された。
このメイド長、昨日もだがなんでもない顔で平然と嘘をつきやがる。賭け事とか強そう。
僕の反応で察したのか、どこか呆れたようにコリウス様は肩をすくめる。
「どうやらご主人様は、仕事人間のご様子」
「そんなことは……ありませんよ?」
おいおい。僕ほど働くのが嫌いな人間はこの世にいませんよ?
「では、ご趣味は?」
「…………領地経営の勉強です」
しらーっとしたコリウス様の視線に思わず顔を逸らす。
うん、やめてそんな目で見ないで。趣味が仕事ですって宣言してるようなものだよね。
「ゔぃ、ヴィオラ様は良い趣味ですねって、言ってくれましたよ?」
「今のヴァイオレット様はご主人様の言葉には全肯定なので無意味です。……恋は盲目と言いますが、はぁ」
ついにはため息まで吐かれてしまう。
いやいや全肯定ってまさかそんな……あれ? 嘘。そんなはずは……。
否定しようとしたけれど、どれだけ思い返しても拒絶も否定もされた記憶がなかった。最初の婚姻を押し通された時ぐらい? でも、あれを否定と取るのもなぁ。
頭を抱えてうーんうーんと記憶を掘り起こす僕に、コリウス様が言う。
「では、そんな仕事が生きがいの寂しいご主人様に提案がございます」
「やめませんその言い方? 僕の人生枯れてるって言われてるようで悲しすぎます」
「ヴィオラ様にも許可をいただいているのでご安心くださいませ」
せめて返事はしてくれ。年甲斐もなく子供のように落ち込むぞ?
頭にキノコ生やして湿気る僕に、コリウス様は完璧な笑顔を浮かべて言う。
「王都へお買い物に行きましょう」
――
結局、特にすることを思いつかなかった寂しい僕は、朝食を済ませた後、コリウス様の提案通り王都の街を歩いていた。
決して趣味なしの仕事人間と図星を刺されて傷付いたわけじゃないし、王都を練り歩いて趣味を見つけようとしているわけじゃない。ほんとほんと、男爵嘘つかない。
目的地もなくふらふらと商業地区を歩く僕。
気になるのは、そんな僕の後ろを数歩下がって付いてくるコリウス様だ。
僕は振り向いて、戸惑い気味に話しかける。
「なんで付いて来てるんですか?」
「お気になさらず」
いや、気になるわ。
「仕事は大丈夫なんですか?」
「はい、問題ございません。ご主人様に対して朝から下世話な話を振るぐらい元気が有り余っているのですから、たかが私一人抜けた程度で仕事を疎かにするわけがありませんから……ね?」
こっわ。
笑顔の裏から『できていなかったら、わかっておりますよね?』という無言の圧がひしひしと伝わってくる。
屋敷に残ったメイドたちは今頃恐怖でガクブル。埃一つ残さないよう仕事をしているのだろう。冥福を祈るように僕は合掌する。なむなむ。
「付随して申し上げれば、ヴァイオレット様のご指示でもありますので、ご了承くださいませ」
「ヴィオラ様の?」
どうして僕にコリウス様を付いて来させるのだろう。貴族ってそういうもの?
「また迷子にならないか不安だ、と。それはそれは心配そうに仰っておりましたので」
「僕は初めてお使いする子供なのでしょうか?」
「自覚がお有りのようで、なによりでございます」
そんな自覚はない。と、断言できればよかったが、王都に来るたび迷子になっているので否定できないのが悲しいところ。
シャムロック家の領地で迷子になったことはないんだけどなぁ。方向音痴とは思いたくない。
ただ、王都は人も多ければ似たような景色も多い。自分の位置を見失って、道の端で途方に暮れるのはもはやお約束である。
なので、迷子になるから心配と言われては、ぐうの音も出ない。
迷子になるわ、泊まるところも世話になるわ情けなさすぎない僕?
落ち込んでいると、なにやら訊きき取れないぐらい小さな声でコリウス様が呟いている。
「……まぁ、虫よけも兼ねているのでしょうが、『信じていますからね? デートではあリませんからね? 勘違いしてはいけませんよ、コリウス』とやたら念押しされたのには、少しばかりの恐怖を感じずにはいられませんでしたが」
上手く訊き取れない。けど、その物悲しい表情から哀愁だけは感じ取れる。
「なにか言いましたか?」
「いいえ。なにもございません」
満面の笑顔で受け流された。
言外に語る気はないと伝えられ、僕は追求の言葉を飲み込んだ。きっと訊かないほうがいいのだろう。コリウス様の乾いた笑顔が物語っている。知らないことが幸せなことも貴族の世界にはいっぱいあるのだ。
……いやほんとにね? 貴族怖い。
「ところで、丁度よい機会ですので一つお伺いしたことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
話題を変えようと思ったのか、コリウス様が伺いを立ててくる。僕は鷹揚に頷く。
「なんでしょう?」
「どうして私や他のメイドに対しても、敬語や敬称をご使用されるのでしょうか?」
「うっ……」
コリウス様の質問に、喉からうめき声が漏れた。
そのことか……。以前、敬称付けてルージュ様を呼んだら『気色わりー』と心底辛辣な目を向けられたけれど、そんなに僕の敬語って気持ち悪いの? ちょっとショック。
「僕の敬語気色悪いというならやめるよう努力しますが……」
「そういうことではなく」
違うらしい。
「元来、私共メイドが、
あー、そういうことか。
貴族らしからぬ腰の低い態度。平民ですらここまで徹底している人は少ないかもしれない。
どう説明したものか悩んでいると、心苦しそうにコリウス様が眉尻を下げる。
「不躾なご質問をして不快というのであれば申し訳ございません。ご主人様……どうか愚かなメイドに罰をお与えくださいませ」
「すみませんここ王都の往来なのでそういう笑えない冗談はやめていただけません?」
近くのご婦人たちがこっちを見てひそひそしてるのがとっても恐ろしい。わざと周囲に聞こえるように言ってない? 社会的に殺す気かな? 怖いメイドさんである。
それにしても、使用人にまで謙る理由、ね。
思い出すだけで胃が悲鳴を上げる。けれど、語れないほど重い話でもない。
躊躇いながらも、僕は重い口を開く。
「まぁ、その、大したことではない……わけではないですが、きっかけというか理由がありまして――」
「あら? そこにいらっしゃるのはヴァイオレット様のとこのメイドではありませんこと?」
……やばい。嫌な記憶を思い出そうとして幻聴が聞こえてきた。
高飛車で傲慢。自分が誰よりも美しく、かしずかれるのが当たり前だと思っている典型的な貴族の娘の声だ。とっても聞き覚えがある。
まさかこんな王都の往来でばったり遭遇するわけない。そう自分に言い聞かせる。
大丈夫大丈夫と己を鼓舞。キリキリとする胃の痛みに耐えながら振り向いて――
――ぎゃぁあああああぁでたぁあぁぁあああああっっっ!?
背後に居たのは二人の執事を引き連れた、見るからに貴族ですといった風貌の、金髪縦ロールが神々しい女性だった。
どこかレトロな貴族の雰囲気を醸し出す彼女は、手の甲を頬に添えて高笑いを上げる。
「お~っほっほっほ! こんなところでお会いするとは奇遇ですわね!」
噂をすれば影とはよく言ったもの。
僕が誰に対しても敬語を使うことになった最たる原因――侯爵家令嬢ブランシュ・シンビジウム様とのまさかの再会だった。
「お〜ほっほっほっほ! お〜ほっほっほっほっ……えほっ!?」
……あぁ、ヤバい。吐きそう。
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