第7話ー② 小悪魔メイドの計略によって、前のめりな妻と初めての夜を共にすることなってしまいました。

 時間は流れ、夜。

 気まずさと緊張で味のわからなかった豪勢すぎる食事を終えて、改めてコリウス様に案内された部屋は――前回と変わらずヴィオラ様の寝室。おい待てこら。


「ちょっと!? 前回間違ったって言ってたじゃないですか!?」

「はい。ご案内するタイミングを間違えておりました」

 ふふり、と口を隠して含み笑い。

「ベッドの入れ替えが終わっておりませんでしたので」

「はぃ? いやベッドって……キングぅぅうううっ!?」

 ヴィオラ様個人の部屋には大きすぎる、キングサイズのベッドが室内で威容な迫力を放っていた。

 しかも、ハートの枕が2つ寄り添って並んでいる。おいふざけんな、寝ろってか!? 一緒のベッドで天井のシミを数えろっていうのか!?


「別の部屋は!?」

「現在、利用可能なお部屋はこちらのみとなっております」

 嘘つけ! 一目見ただけじゃ全貌が把握しきれないような巨大屋敷で、部屋が空いてないとかありえないから! 手で隠しきれてないニヤけた口元が見えてるぞ!


 これは色々とまずすぎる。

 僕の理性とか、本能とか、これからの結婚セイ活とか――!?

 なので、丁重にお断りしようと振り返った先には、プシューッと頭の上から湯気を立ち上らせるヴィオラ様の姿。


「ふ、夫婦なのですから、い、一緒のお部屋で寝るのも普通なのではないかと、……思う、のでしゅが」

「ゔぃ、ヴィオラ様……」

 噛むほど恥ずかしいなら受け入れないでほしかった。可愛いけども。

 まさかの受け入れ体勢に精神的な退路が塞がれた。


「では、ごゆっくり」

 ふふりと、笑い声を残し、コリウス様は音もなく扉を締めて去っていった。

 物理的な退路も塞がれたんだけどー!?

 

 残されたのは、手すらまともに繋げていない成り立て夫婦。

 コリウス様置いていかないでぇ……。せめて一緒に居てよぉ……。

 内心泣き言を零していると、服の裾を皺ができるほど強く掴み、見るからに緊張した様子のヴィオラ様が口を開いた。


「だ、旦那様……夜も遅いですし、お疲れでしょうから」

 寝ましょうか、とベッドにいざなわれる。

「ひゃ、ひゃい……」

 もはや、まともな返事もできない。

 長い長い一夜が、こうして幕を開けたのであった。

 

 ――


 カチコチと、時計が刻む針の音。


「……」

「……」

 ベッドの上で膝を突き合わせ、カチコチに固まっているのが、初めての夜にどうすればいいのかわからない新米夫婦です。

 

 ほんとどうしよう。かれこれ一時間はこの体勢だ。

 僅かでも身体を動かせば、ヴィオラ様の身体がビクリッと反応し、

 ヴィオラ様が喉を鳴らせば、僕も唾を飲み込む。

 正に一進一退の静かな攻防。胃の痛みは臨界点を突破して、もはやなにも感じない。今感じているのは、これまでに経験のない緊張と、べったりの手汗。

 これなら、まだそこら辺で野宿したほうが健康的かもしれない。


 もうこれはアレだ。アレをするしかない。

 異様に体感時間の長い一時間を過ごした頭の中では、この胃に悪すぎる状況を打破する作戦が思いついていた。

 諸刃の剣であるゆえ、後々の影響も考えて使いたくはなかったが……仕方がない。

 僕は腹をくくると、ヴィオラ様に言う。


「やはり、部屋を分けていただきましょうか? ねっ?」

 

 臆したわけじゃないから。戦略的にも戦術的にも正しい撤退だから。決して逃げるわけじゃないんだからね!?

 ルージュ様や母上様、コリウス様に至るまで、脳内の女性たちが『情けな。それでも男かよ』という辛辣な目で見てくるが、知ったこっちゃない。

 このままこの場に居続けては、間違いなく死ぬ。朝起きたら白骨死体が転がっているに違いない。

 ヴィオラ様の寝室で骨を転がすわけにはいかないのだ。そんな使命感から部屋を脱しようとして――捕まった。


「ゔぃ、ヴィオラ様?」

「……」

 服の裾をぎゅっと掴み、離さない。

 俯いたまま押し黙っているヴィオラ様。あ、これはもしかして……ブチギレ案件ですか? もしかして僕、なにかやっちゃいました?

 ダラダラと止まらない冷や汗。膝を付いて立ち上がろうとした不安定な体勢のまま、死のお告げを待っていると、肩をトンッと押される。


「……へ?」

 予期せぬ行動。そして、腰を少し浮かせてバランスが悪かったのも相まって、僕は呆気なくベッドに倒れてしまう。

 ど、どゆこと?

 事態の変化に追いつかず、ただただ天井を見上げていると、ヴィオラ様が覆いかぶさってきた。


「えっと、あの……ゔぃ、ヴィオラ様?」

「……私と」

 ぽつりと声が降ってくる。

 長く艶やかな髪がヴィオラ様の動きに合わせて揺れ動き、隠れていた彼女の顔が露わになった。


「……私と、夜を共にするのはお嫌ですか?」

 夜空の星々のように瞬く瞳を涙でいっぱいに濡らし、頬は紅を塗ったように朱が差していた。

 それは、言葉通りの意味なのか。それとも、そういう意味なのか。

 真っ白な頭では答えには至れないけれど。

 ここまでされて引き下がるほど、情けなくはない。

 不安と羞恥の小雨が、僕の頬をぽつぽつと打つ。

 僕は涙の伝うヴィオラ様の頬に手を伸ばすと、親指でそっと涙を拭いながら、優しく撫でる。


「嫌じゃ、ないです。むしろ、僕は貴女と夜を共にしたいと、思っています」

 生まれてからこれまで、誰にもさらけ出すことのなかった心のやわっこい部分。

 情欲か、それとも恋慕の情か。

 自分の事だというのに、彼女に向ける感情がどちらなのか判別できない。


「旦那様……」

 求められている。そう感じるほどに、ヴィオラ様は切なげな表情を浮かべている。そして、彼女は紫の瞳を瞼で覆い隠した。

 ゆっくりと、ゆっくりと、艶やかに濡れた唇が近付いてくる。

 ここにきて言葉は無粋で、僕も覚悟を決めて瞳を閉じた。

 そして、未知なる彼女の唇を待ち構え――――ぼふっと顔の横でなにかが落ちる音がした。


「……きゅぅ」

「……………………あへ?」

 なに? どゆこと?

 目を開けると、ヴィオラ様がぐるぐると目を回して倒れ込んできていた。

 どうやら、緊張と羞恥がピークに達して、気を失ってしまったらしい。


「はぁあああ……。もぉおさぁあー……」

 残念なような。安心したような。

 緊張の糸が切れてどっと疲れが押し寄せてくる。

 お互い、距離を縮めるにしても測り間違えたのだろう。

 僕は臆しすぎて、ヴィオラ様は勇み足すぎて。適切な距離を測り間違えて、結果すれ違ってしまう。で、結局交わらない。


「他人に背を押されるんじゃなく、僕たちで一歩踏み出さないとなぁ」

 ところで、結果的に抱きしめ合う体勢になってめっちゃドキドキしてるんだけど、ここからどうすればいいの? 誰か助けてくれません?


「失礼いたします」

「うあひゃいっ!? 、コリウス様ッ!?」

 いつから居たの!? というか、もしかして見てたの!?

 バクバクと張り裂けそうな心臓を押さえていると、コリウス様がヴィオラ様をベッドの上に移動させ、診断する。


「気を失っていらっしゃいますね。仕方ありません。ヴァイオレット様は純粋無垢でいらっしゃる。つい先日まで子供はドラゴンが連れてくるものだと思っていたほどですから」

「そうなんですか!?」

 しかも、ドラゴンって……どんな強い子供を連れてくる気だよ。

 ていうか、え?

 知らなかったことを知っているということは……


「それってつまり、僕とのために勉強したってことですか……?」

 その手の知識を? ヴィオラ様がわざわざ?

 嘘でしょと驚愕を抱くと同時に、身体が異常な熱を持ち始める。

 ただ、コリウス様の返答は手厳しかった。

「ヴァイオレット様に直接訊いてください」

 訊けるか! ……訊けるか!

 はぁん。もー明日からどんな顔してヴィオラ様と会えばいいんだよぉ。

 頭を抱えていると、キングサイズのベッドにヴィオラ様を寝かしつけたコリウス様が指示を出してくる。


「ともかく。ヴァイオレット様がこの状況では同じベッドで寝ていただくわけにはまいりません。別の部屋をご用意してありますので、ご主人様はそちらに移動してください」

「あ、はい」

 事務的な物言いに僕は素直に頷く。

 ……というか、やっぱり部屋あるじゃん。

 最初からそっちを案内してくれればこんなことにならなかったのに。そう文句を口にしたくとも、今夜の僕はあまりにも男として情けなかったので、口を噤むしかなかった。


 追い出されるようにヴィオラ様の部屋を出ようとする僕の背に、

「あ」

 と、呼び止めるように、コリウス様が声を上げ、

「お邪魔様でした。ふふり」

 まるで様式美とでもいうように、言い残していった。

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