第5話 おノロケ夫婦の近くでコーヒーを飲む時は、超甘党だってブラック無糖を飲むに決まっている。
冷え切った紫色の眼光。
銀色に輝く剣を突きつけ、ヴァイオレット様は氷雪のように凍える怒気を露わにしている。
「カトル様に対する許されざる暴挙。覚悟は宜しいですか?」
「はぁ? ぜんっぜんよくありませんがー?」
対して、眼前に剣を突きつけられているというのに、ルージュ様に引く様子はない。もはや、開き直っていた。……僕とヴァイオレット様の空気に当たられ、やさぐれたのかも。
「あの……ちょっと? 落ち着きません?」
羞恥心で一度は鳴りを潜めたかに見えたヴァイオレット様の怒りだったが、どうやら忘れてはいなかったらしい。今にもルージュ様に斬りかかりそうな雰囲気。
ルージュ様もルージュ様で、私の行動は正当ですとでもいうように張り合っている。
なに? 騎士団っていつもこんな殺伐としてるの?
どうやって収拾を付けようか。頭が痛くなっていると、ルージュ様が半目になって心底嫌そうに口元を曲げた。
「そもそも、ヴィオ団長がいけないんじゃないですかー」
「責任転嫁は見苦しいですよ」
「転嫁じゃありませんー。事実ですー」
ヴァイオレット様の鋭い視線に物怖じせず、ルージュ様は拗ねたように唇を尖らせる。
「だって、ヴィオ団長が私や他の女性団員を結婚式に招待してくれなかったんじゃないですかー。そうじゃなかったら、わざわざヴィオ団長の旦那様を見にこんな面白みもなにもないクッソ田舎なんてこなかったつーの」
クソ田舎で悪かったな。
けど、と思う。ルージュ様の言う通り、結婚式に女性団員はいなかった。騎士全体の割合は男性過多。ゆえにそういうものだと思っていたが、彼女の口ぶりから所属騎士団に女性団員がいるのが伺える。実際、ルージュ様も見てないし。
気になった僕は、何の気なしに疑問を口にする。
「そういえば、結婚式には男性騎士しか来てませんでしたけど、なにか理由があったんですか?」
そもそも騎士が居たのか、という疑問は脇に置いておく。闇組織の荒くれ者なら確実に居たのだけれど。
「……それは」
ヴァイオレット様が口ごもる。即断即決のイメージがある彼女にしては珍しい反応だ。
一瞬黙り込み、困った様子ながらもおずおずと口を開いた。
「王国騎士団には他にも仕事がありますので。結婚式とはいえ、騎士団全員を私事に巻き込むわけにはいきません」
「そうですか」
まぁ、そんなものか。
一応、納得のできる理由。ヴァイオレット様の反応は気になるが、追求することでもないので話を終わろうとしたが、ルージュ様が「えー?」と不満そうな声を上げる。
この人はほんと、空気を読まないのかあえて読んでいないのか。
ヴァイオレット様からキッと睨みつけられるがなんのその。獲物を見つけた猫のようにニヤニヤ笑い出す。
「……なんですか。事実ではありませんか」
「嘘ではないですけどー。でも、男性団員と女性団員で分ける必要はなかったじゃないですかー。ヴィオ団長には、わざわざ分けた意味があるんですよねー?」
「……」
押し黙ってしまうヴァイオレット様。そんな団長を追い詰めるのが楽しいのか、ルージュ様は底意地の悪い笑みを浮かべて面白がっている。ほんと、性格悪いなぁ。
「そうですよねー。呼びたくありませんよねー。だって、他の女性に目移りされたら困りますもんねー?」
「……っ」
指摘されたヴァイオレット様が慌てたように僕を見る。けれど、その行動がルージュ様の肯定するモノに他ならなかった。
え? そういう理由だったの?
あまりにも意外な理由に、僕はキョトンと目を丸くする。ヴァイオレット様に視線を向けると、彼女は真っ赤になって俯いてしまう。
「そ、れは……だって、私はこれまで剣ばかりで、女性らしいところなんてありませんから。騎士団員には、ルージュを始め、綺麗で可愛い女性が沢山居ます。……もし、カトル様が私以外を選んだらと思うと…………怖いです」
「やーん! ヴィオ団長ったら、お・と・め☆」
キャー☆ と黄色い声を上げる。
ルージュ様の追い打ちに、うぅっと呻き声を漏らして、ヴァイオレット様は小さくなってしまう。穴があったら自ら埋まっているかもしれない。
「……それに、カトル様は素敵な方ですから。惚れられたら困ります」
「それはねーよ」
それはない。
ここにきて初めて、僕とルージュ様の思いが一致した瞬間だった。けど、失礼だ。
不満に思ったのは僕だけではないようで、なんか文句あんのかとでも言うようにヴァイオレット様がギロッとルージュ様を視線で刺す。
「先程から反抗的な態度ばかり。どうやら、ルージュ副団長には罰が必要なようですね」
「うっわー。やぶ蛇☆」
キラッと☆が飛ぶ横ピース。余裕あるなぁ。
とはいえ、このままじゃ元の木阿弥。多少、やわっこくなった空気が再び重くなってしまう。
「まぁまぁ、落ち着いてください、ヴァイオレット様。それに、ルージュ様も」
両手を広げて二人を落ち着けせようとしたら、なぜかルージュ様から「は?」とものっそい目で見られた。信じられないモノを見るような目付き。なに急に。今、変なこと言った僕?
「なんだその呼び方気色わりー」
「きしょっ……至って普通の呼び方ですが?」
じゃあ、他になんて呼べと仰るのだろうか。
ルージュ様はソファーから立ち上がると、くるっと回ってハイポーズ。横ピースでバチコーンッと星を飛ばす。
「ルーちゃんって呼んでください☆」
「お断りします」
そっちの方が気色悪いでしょうよ、僕が呼んだら。
それなのに、なにが不満なのかキレッキレな目付きでガンを飛ばしてくる。女性がしていい顔じゃないんだよなぁ……。
「え? 意味わからん。呼べよ」
「なんでガチギレ?」
キレやす過ぎでしょ、ルージュ様。思春期の若者かなにかなの?
僕が両手を上げて困惑していると、ヴァイオレット様が口を挟んでくれた。
「……カトル様。呼ばなくて構いません。むしろ、絶対に呼ばないように。よろしいですか?」
「あ、はい」
笑顔のように見えるが、目は笑ってない。こっわ。
コクコクと何度も頷き、僕は無実なのだと訴える。普段、ヴァイオレット様が僕に向けることのない視線に、勝手に僕の身体が震え出した。『氷雪』と呼ばれる所以を肌で感じた瞬間である。
あまりに怖かったので、この話題をさっさと変えてしまいたいのだが、変わらず空気を読まないルージュ様がぶーぶーと子供のようにぶーたれている。
ヤメて! これ以上刺激しないで!
そんな切実な僕の思いが通じたのか、ルージュ様が諦めたようにため息をつく。
「しょうがないですねー。この際私の呼び方はいいですけど」
ルージュ様は両手でビシッと僕とヴァイオレット様を指差す。
「お二人の呼び方は変更です!」
「……なにを言っているのですか」
ヴァイオレット様の冷めた言葉に、僕も同意。
僕とヴァイオレット様は揃って訝しげな目をルージュ様に向ける。その視線を受けてなお、ルージュ様はやれやれと肩をすくめて大げさに呆れてみせた。うざいなぁ。
「まったく。経緯はどうあれカー君と――」
そう、ルージュ様が口にした瞬間だった。
ヒュンッと空気の斬れる音。ルージュ様の首を銀閃が横切る。
え……なに?
正に一瞬の出来事だった。
気付いた時には、心臓を押さえて尻もちをついて倒れているルージュ様。その顔は青ざめており、恐る恐る首筋を撫でているのが印象的だった。
そして、怯える彼女の視線の先には、一切の感情を消し去って、剣を振るった姿勢で止まっているヴァイオレット様。彼女は流れるような動作で剣を鞘に納めると、ニコリともせずに淡々と言う。
「……二度と、その呼び方を口にしないでください。――いいですね?」
「(コクコクコクコク)ッ!?」
壊れたように何度も何度も頷くルージュ様。もはやふざける余裕もなく「ご、ごめんなさい」と素直に謝っている。
……えっと、今、斬り落とそうとした? 避けなきゃ飛んでたの? ルージュ様の首……?
チョパンッと首なしルージュ様の姿を想像して――考えるのを止めた。これ以上はいけない。そして、絶対にヴァイオレット様を怒らせてはいけないと僕は誓いを立てた。
ふらつきながら立ち上がったルージュ様は、挙動不審になりながらも頑張って話を戻そうとしている。この時ばかりは、僕も内心彼女を応援した。頑張れ! 殺人現場みたいな空気を一掃してお願い!
「えぇっと、け、経緯はどうあれ、か……カトル、様? とー?」
ちらりとルージュ様がヴァイオレット様を横目で伺う。反応はない。そのことに胸に手を当て安堵すると、これまで通り軽快な口調でルージュ様は話し始める。
メンタル強いなー。尊敬するわ。
「カトル様とヴィオ団長は夫婦になったんですから、いつまでも敬称付けて他人行儀に呼び合うなんてありえませんからねー!」
ないないとルージュ様は顔の前で手を横に振る。
人様の夫婦関係に口を突っ込まないでいただきたいのだが、油でも塗られているのか滑りの良いルージュ様の口は止まらない。そのせいで、僕には幸運なことを、ヴァイオレット様には不運なことをルージュ様は口にすることになった。
「だいたい、普段は旦那様旦那様って言ってるのに、なーに本人の前ではかまととぶってるんですかー」
「っ、ルージュ!」
ヴァイオレット様が慌てて制止しようとするがもはや遅い。しっかりがっつり聞いてしまった。
驚いて視線を向けると、ヴァイオレット様の身体がビクリと僅かに震えた。
「……そう、なんですか?」
「……………………は、い」
弱々しく、小さな肯定。
その顔は真っ赤で、ヴァイオレット様の羞恥度合いを表すように、首筋まで染まっている。
僕の前ではカトル様。他の人の前では旦那様。
その理由は恥ずかしいからなのか、それとも呼びたい願望の現れなのか。
いつだって僕は、彼女の気持ちを慮ることはできないけれど、どんな時も、彼女の気持ちに応えたいと思っている。
「……ヴィオラ、…………様」
悲しいかな。僕の度胸はいつも足りないけれど。
「……っ!」
それでも、ヴィオラ様は羞恥で俯かせていた顔を勢いよく上げると、瞳をキラキラ瞬かせて僕を見つめてくる。
はっずかしいなぁ、もう。
プレゼントを貰った幼子のような、無邪気な瞳から逃げるように視線を泳がせていると、ルージュ様とバッチリ目が合ってしまう。一瞬、キョトンっとした後、ニヤァっと悪意に満ち満ちた笑みが浮かぶ。
……うっわぁ、超絶嫌な予感。
もはや、予定調和の流れで、ルージュ様が余計なことを口にする。
「ねぇねぇ? なんで私が呼んでるヴィオじゃなくって、ヴィオラなんですかー? 普通、今の流れなら呼び捨てかヴィオじゃないですかー?」
最悪。
絶対わかってて言ってるよこの人。悪魔か。やはり騎士団は闇組織では? ヴィオラ様以外。
そして、当然のようにヴィオラ様は意味がわかっていないようで、あどけなく首を傾げている。
理由を求める彼女の真っ直ぐな紫色の瞳に僕はうっと怯み、口を開くしかなかった。
「……ヴィオだと、母上様やルージュ様が先に呼んでいたので、他の方がまだ使っていない呼び方が良かっただけです」
拗ねたように言うと、ヴィオラ様の表情が更に輝く。
ヴィオラ様はわたわたと忙しくなく身体を動かすと、
「あ、ありがとうございます。……だ、旦那様」
はにかみながら、それはそれは嬉しそうに僕を呼んだ。
……僕の嫁、可愛すぎないか? ヤバい。マジ可愛くて語彙が一生行方不明。
テレテレテレと目を合わせたり外したり。呼び方を変えただけなのに、どうしてこんな落ち着かない気持ちになるのか。
そんな僕たちを見ているルージュ様は、いつの間に淹れたのか、これ見よがしに真っ黒なコーヒーを掲げながら一口。そして、ニッコニコで言う。
「無糖のコーヒーが美味しいですね☆」
うるさい甘党皮肉が過ぎるぞ。
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