第4話 感情に乏しい新妻は、部下から僕が好きだと指摘されるのは恥ずかしようです。
おとぎ話に登場しそうな、可愛らしい真っ白な屋敷の前。
空は厚い雲に覆われ、今にも泣き出しそうな天気だ。ぽつり、ぽつりと地面に黒い染みができる。降り出したのかと思うかもしれないが、しくしくと雨を零したのは雲ではなかった。
「……再び、お会いできるでしょうか?」
くしゃくしゃに顔を歪ませ、涙をたたえた儚げな僕の妻、ヴァイオレット様だ。
いつもの凛とした佇まいは露と消え、別れを惜しみ僕の服の裾を掴んで離さない。
僕は子供をあやすように、彼女の肩に手を置き優しく諭す。
「大丈夫ですよ。これが今生の別れというわけではありません。直ぐに再会できます」
「本当、ですか?」
「はい。本当です」
僕は努めてにっこりと笑う。
「こう見えて僕は、嘘をつかないんですよ?」
「……知っています。……ぐすっ」
こくり、と
納得したわけではなさそうだが、行かなければならないのもわかっているのだろう。
「……では、行ってまいります。可能な限り早く帰って来ますので、どうか、私のことを忘れないでください」
「ちゃんと覚えてますよ」
僕の言葉で安心したのか、ヴァイオレット様は一つ頷いて馬を走らせる。
向かうのは王都。小さくなるヴァイオレット様の背中が見えなくなるまで、僕は屋敷の前で手を振る。そして、彼女の姿が見えなくなると、はぁぁあああっと長い長い息を吐き出した。
「休暇終わって、王都に帰るだけなんですけど……」
毎回このやり取りするの? 3日後には帰ってくるって話なんだけど。いたたまれなさ過ぎて、口から胃酸が逆流するわ。
空を仰げば、雲の切れ間から陽光が差し込んでくる。さっきまであれほど雨が降り出しそうだったのに、赤子のような天気の変わり様だ。
「天気も空気を読んでたんですかねぇ」
■■
朝から精神的にごっそり削られたけれど、仕事は山のようにある。
僕はまだ爵位を継いでいないが、シャムロック家の長男だ。既に引き継ぎの準備を進めていて、外交や交渉事以外、領地に関する仕事はほとんど僕が担当している。
人も財源も資源も限られた男爵領。やることは山ほどあり、忙しさを物質化したかのように執務机の上には書類が山となって積まれていた。
「はぁ……」
見るだけで嫌になる。
嘆息し、弱音を吐いても手は動かす。席に座って実務に移るのだが……どうにも落ち着かない。なんというか、お尻の置きどころに困るのだ。
「くっ。まさか、あのオンボロ屋敷を恋しいと思い日が来ようとは……!」
新しくなった室内が綺麗すぎて落ち着かない!
しかも、ここ最近はヴァイオレット様が毎日欠かさず掃除をしてくれていた。そのおかげで、部屋の隅にすら埃一つ落ちてない。
『カトル様の仕事場ですから、常に清潔でなくてはなりません』
敵を前にしたかのように、表情をキリッとさせていたヴァイオレット様。……エプロンを着て、ハタキを持った状態では、あまり威厳はなかったが……まぁ、可愛らしくはあった。うん。
そんなこんなで、まるで生活感のない整然とした部屋になっているわけだが……早くも雑然とした部屋が懐かしい。
「落ち着かないんですけどー!」
人って、ちょっと汚いぐらいが集中できるんだなぁって、知りたくなかった事実を知ったわ。
でも、ヴァイオレット様は汚さしたら悲しむんだろう。すすり泣かれた日には、今度は胃の痛みで集中ができなくなることうけあい。
「お疲れでしたら、お飲み物をどーぞー☆」
「あぁ、ありがとございます」
机に突っ伏していると、メイドがカップを差し出してくれた。
気が利く。いつ入ってきたかわからんけど。
湯気漂う白っぽい茶色。ミルクティーかなぁ、と思いながら口を付けて、
「……ぶふぁっ!?」
めちゃくちゃ吹き出した。
「きちゃないですね、ご主人様」
「げっほ!? そ、それはごめんですけどっ、……なんですかこれ!?」
めっちゃ甘!? ほぼ砂糖なんだけど!? しかもコーヒーだし! 苦手なのに!
カップを揺らすと、ドロリと中身が波打っている。液体じゃなくてほとんど固形なんだけど!
「なにって、ただのコーヒーですよぉ?」
「ほぼ砂糖じゃん! これをコーヒーと呼ぶのは、コーヒーが苦手な僕でも冒涜だってわかりますよ!?」
「えー。めっちゃ美味しいじゃないですかー。一体なにが不満なのやら」
そう言いながら、僕からカップを奪うと平然と口を付ける。
おいよく飲めるな。色んな意味で。
「うん。おいし☆」
まじかぁ。味覚どうなってんの。
これまで知らなかったメイドの新事実に戦々恐々。
咽すぎて目尻に涙が浮かぶけど、ようやく息が整ってきたので顔を上げると……。
「誰ですか貴女は――ッ!?」
メイドじゃない!
いや、なんかやたらミニスカで胸元の開いたフリルいっぱいの、情報量の激しいメイド服っぽいなにかを着ているけど、当家で雇っているメイドじゃない。こんな都会っぽさ全開の垢抜けたメイド見たことない。
うちで雇っているのは素朴さ溢れるちょっとドジなメイド一人。新人を雇った覚えもなかった。
つまり、このメイドっぽい女性は、不法侵入者。ハッと僕はその正体を察する。
「もしや暗殺者!?」
ヴァイオレット様と婚姻を結んだ日からいつかこんな日が来ると思っていたが、こうも早く訪れるとは予想外。ヴァイオレット様が出かけた直後に来るとは、なんて即断即決の、できる暗殺者なんだろうか。
「まさかさっきの砂糖デロデロコーヒーも私を殺すために!?」
「なに言ってるんですか。美味しいじゃないですかー」
ただの趣味だったようだ。
とはいえ、この状況はもはや詰んでいるのでは?
自慢じゃないが僕は戦いに不慣れだ。それどころか剣すらほとんど握ったこともない。手に出来ているのは剣ダコではなく、ペンだこ。ペンは剣よりも強しというが、果たして勝てるのだろうか?
ペンを握って、ゴクリと唾を飲み込むと、暗殺メイド(?)がケラケラ笑い出す。
「暗殺者って、違いますよー。これでも私騎士ですから☆」
「いや、騎士って……」
露出度激しいメイド服着て、横ピース決める女性を、どこからどう見れば騎士に見えるのか。……て、騎士?
もしやと思い彼女を見ると、アハッと笑顔を浮かべた。
「では、改めて自己紹介」
彼女はその場でくるりと回ると、元々短いスカートを危うげにふわりと浮かせて、華麗な
「赤薔薇騎士団副団長、ルージュ・ハイアシンスでっす☆ よろしくお願いしますね? ヴィオ団長の旦那様☆」
ニッコリ輝く笑顔で横ピース。
空いた口が塞がらないって、こういう時のことを言うんだろうなぁ。
――
「聞いてくださいよー。団長急に結婚するって言い出すわ、団長辞めるとか言い出すわで大変だったんですからー。こんな面倒を起こしやがった奴はどこのクソ野――旦那様かなぁって、気になって来ちゃいました☆」
「やっぱり、暗殺者じゃないですか?」
言い直した部分に悪意と本音が見え隠れしているが? 後、本性。
胡乱な目を向けると、ルージュ様はやだぁと手を倒す。
「そんなわけないじゃないですかー。ヴィオ団長がどんな人と結婚したのか品定めに来ただけですから」
僕から視線を外して、ボソリと呟く。
「……ゴミ屑だったら殺してたけどな」
聞こえてる聞こえてる。やっぱり、暗殺メイドだったわこの人超怖い。
ヴァイオレット様とは違う意味で、裏表の激しいギャップにドキドキする。もちろん、恐怖方向で。
「というわけで」
ぐっと顔を寄せてくる。
「品評か――採点です☆」
どっちもどっちだわ。言い換える意味がない。
あと、無防備に妻帯者の顔に近づかないでもらえません? 心臓に悪すぎる。
親指と人差し指の間に顎を乗せて、じーっと顔を見つめてくる。なんともいたたまれない時間。
「顔は……普通。おまけして、中の上ぐらい。パッとしないっていうか、平均っていうか、あー、色で言うと……無色?」
失礼過ぎる。しかも、無色って、もはや色ないし。
それから、ルージュ様は僕の全身をさっと一瞥し、
「他はどうでもいいですかね☆」
パチリとウィンク。
誤魔化されるか。この人、判定基準顔しかなかったぞ。
「男は顔ですから☆」
心の声に返答しないでいただきたい。顔に出てたんだろうけど。
本当に副団長なのかどうか怪しさ満点だが、もはや問いただす気力もない。ただただ疲れる。
そんな疲労困憊の僕とは違い、ルージュ様は未だ元気ハツラツ動きがうるさい。
「こんななんの特徴も取り柄もない男にヴィオ団長がねー。美人で権力もあるんだから、イケメン金持ち選び放題なのにもったいなーい」
「それは僕も思いますけど」
本人の前で言う? 傷つかないわけではないのよ? なに? 肉体的じゃなく精神的に殺しに来たの? この暗殺メイドは。
前のめりにぐっと腰を曲げ、またもや顔をジロジロ見てくる。そんな体勢だと慎ましやかな胸元が余計に危うくて、視線の置き場に困る。露出激しいメイド服なんだから、気をつけて?
「ダメ人間に尽くしたくなる感じ? 疲れてそうな雰囲気が母性本能くすぐるんですかねー?」
ふむふむと、失礼発言が止まらないルージュ様だったが、
「まぁ、ヴィオ団長旦那様にゾッコンですからねー」
という言葉に、お尻がむずっとしてなんとも落ち着かない気持ちになる。
「あー、その。ヴァイオレット様は騎士団内で私の話をしてるんですか?」
「え!?」
まさか、とでもいうように、ルージュ様は目をまんまるにして口元を手で隠す。
「結婚したのにまだ様呼びなんですか? 信じられないんですけどー」
「人の神経逆撫でるのが得意な騎士なんですね」
ほっといてくれ。気にしてるんだ。
ムスっとする僕にルージュ様は冗談冗談と手を振り、僕の疑問に答えてくれる。
「で、ヴィオ団長ですけど、そりゃそうですよ。むしろ、会話の90%ぐらい旦那さんの惚気話で、残り仕事って感じですからねー。男の団員とか、団長とプラベートの話できるの嬉しいけど、中身が旦那さんの話でめっちゃ複雑そうなの見ててマジウケます」
「性格悪い楽しみ方してますね」
後、やっぱり僕は騎士団員に殺されそうだ。
でも、しかし、なんだ。そうか。惚気けまくってるのかぁ……。
口を閉じた僕の内心を悟ったのか、ルージュ様はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべる。
「おやおやぁ? もしかして、思った以上にヴィオ団長に好かれていて嬉しいんですかぁ?」
「そ、ういうわけじゃ…………あるけど」
「うわ素直ー。かっわいー」
「うっさいです」
顔を見られたくなくて、口元を覆う。多分、ニヤけてるし、赤くなってる。
ヴァイオレット様本人は度々好きって言ってくれて、気持ちは十分に伝わってくる。けれど、それを他の人の口から聞くというのは、また違った感覚というか。
……恥ずかしくとも、嬉しいものがある。
顔を隠したところで、そんな僕の内心なんてルージュ様には筒抜け。先程までのからかうのとも違う、微笑ましそうに口元を緩めるのを見ると、心の底から恥ずかしくなる。
「いやぁ、一年以上も話しかけられもせず、片想いしてるとか、ヴィオ団長も乙女だったかぁ」
「一年以上?」
それって、どういう意味――と、問いかけようとして言葉が詰まった。
「――なにをしているのですか、ルージュ副団長?」
いつの間にかルージュ様の後ろに、死神が立っていた。
ひ、人殺しの目をしてるぅ。
ヴァイオレット様は紫の瞳に殺意をたたえ、まるで死神が首を刈り取ろうとするように、ルージュ様の首筋に剣の刃を立てていた。
彼女の登場はルージュさんにも予想外だったのか、頬に一筋の冷や汗を流して、降参するように両手を挙げる。
「あっれー? ヴィオ団長今日は一日王都で警護の仕事じゃなかったでしたっけ? しかも、王族の」
「はい。その予定でしたが、貴女がこのタイミングで休暇を取っているのが気になり、途中で引き返してきました」
待って。ヴァイオレット様ちょっと待って。
え? ブッチしたの? 王族の警護放棄しちゃったの!?
僕からすると、生死を賭けた話題のはずなのだが、二人にとっては些末な問題らしい。バレた理由の方が重要とでも言うように、ルージュ様が質問を返している。
「えー? それだけですかー? 私が休暇取るなんて、珍しくないでしょう?」
「そうですね」
いや、そこは珍しくあれよ副団長。仕事しろ。
ですが、とヴァイオレット様がゾッとするような冷たい声を出す。
「私と入れ替わるように休暇を取っていれば察しもつきます。他の団員からは、休暇をやたら楽しみにしていたと報告も受けました。……私の前では露ほどもそのような態度見せなかったですが」
「……ちっ。誰だチクったの。戻ったら魔女裁判だ」
ボソッと、やたら低い声でルージュさんが呟く。
怖いよ。疑わしきで罰する気満々じゃん。
どうあれ血を見ることになりそうな緊迫した状況に肝を冷やしていると、ヴァイオレット様と目があった。途端、彼女はカーッと頬を朱に染めると恥ずかしそうに顔を伏せる。
「……み、見ないでください」
「え……な、どうして、ですか?」
遂に嫌われたの? 僕。
突然過ぎる理由不明の拒絶にショックを受けて固まっていると、床に視線を落としたままのヴァイオレット様は掠れて消えそうな声でポツリと零した。
「その……ルージュが語っていた私の気持ちは事実なので、否定はしません。しませんが……しないのですが…………た、他人の口から自分の気持ちを赤裸々に語れるというのは、思っていた以上に恥ずかしく…………ッ」
ぽしょり、ぽしょりと言葉を重ねるごとに、羞恥心が増していったのか、遂には顔を覆ってその場にうずくまってしまう。
「……あぅ。見ないで、……くださいっ」
どうやら、僕とルージュ様の話を一部聞いていたらしい。
耳まで真っ赤にして、僕の視線から逃げようと小さくなっていく。
なにこのかわいい生き物。めちゃかわなんですけど。
なにやら面映ゆい空気が室内に流れ始めると、はンっ! とルージュ様が鼻を鳴らした。
「うぜー。他人の惚気とか糞食らえだわ」
心底つまらなそうに、しらーっとした目付きでルージュ様が悪態を付く。
いや、こうなったのは100の内100貴女のせいですから。どうもありがとうございました!
ちなみに、王族警護の任務は、先んじて他の団員に代わってもらっていたらしい。ほっ。
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