第3話 厳格な女騎士団長は、僕にだけは甲斐甲斐しいです。

 結婚式を終え、早数日。

 公爵令嬢であり、王国で唯一女性で騎士団長にまで上り詰めたヴァイオレット・ライラック――改め、ヴァイオレット・シャムロック様と僕は夫婦になった。

 ……改めて考えると、なんとも言えず面映ゆい。


 生まれも実績も確かなヴァイオレット様との結婚。周囲への影響は小さくなく、当然のように胃痛を抱える日々が続いていた。


「カトル様、大丈夫ですか?」

「あぁ、大丈夫です大丈夫。僕の作業なんて手紙を燃やすぐらいですから」


 結婚式後、初めて顔を合わせたヴァイオレット様が、心配そうに顔を覗き込んでくる。相変わらず表情に乏しく、感情が読み取れないが、言葉や態度から僕を気にかけているのが伝わってくる。


「手紙を燃やす、のですか? あの……本当に大丈夫でしょうか?」

「ははは。なんにも心配ありません」

 恨み辛み、果ては呪いの手紙。

 つらつらと怨嗟のように書かれているだけなので、燃やしてしまって問題ない。むしろ、率先して炭にしたい。

 ふと、気になってヴァイオレット様に訊く。


「ヴァイオレット様には、おかしな手紙とか来てませんか?」

「おかしな……ですか?」

 思案するように、ヴァイオレット様は美しい曲線を描く顎に手を添え、ニッコリと笑う。

「――いいえ。なにも」

 ゾッとするような冷たい声音。明らかに貼り付けただけの笑顔が、なんとも空寒かった。


「そ、そうですか」

「はい」


 ううん、どう考えてもなにか来てるっぽいけど、怖くて聞けない。

 ま、まぁ。本人がなにもないって言ってるんだから、大丈夫なんだろう。うん、きっと、平気。問題ない。そういうことにした。


 ごほん、と一つ咳払い。

 強引に話題を変える。


「そ、それで本日はどんなご用ですか?」

「……あ」


 躊躇うように、ヴァイオレット様の言葉が詰まる。

 ちらちらと、上目遣いでこちらの様子を伺う視線に、僕は疑問符を浮かべる。


「なにかありましたか?」

「あぁ、いえ。その、本日のお話とは別件なのですが」

 言い淀むヴァイオレット様は、ぎゅっと手を握り意を決したように言う。

「夫婦になったので、あの……ご用がなくとも、会いに来てはいけませんでしょうか?」


 不安そうに手遊びをするヴァイオレット様。潤んだ瞳が僕を捕らえ、恥ずかしげな言葉が僕の心臓に突き刺さった。

 ……それは、反則ではなかろうか。

 咳き込み、血反吐を吐きそうになった口を手で押さえ、視線を天井に向ける。はぁ……見慣れたボロボロの我が家が心を落ち着かせてくれる。


「い、いえ。全然、全く、問題ありません……」

 ヴァイオレット様が時折見せる儚げで可憐な表情。普段とのギャップもさることながら、それを僕にだけ向けてくれていると思うと、恥ずかしくも嬉しくなって、心臓が早鐘してしまう。


「むしろ、すみませんでした。えと、夫婦という関係に慣れていなくて、不躾なことを言いました」

「あ、謝らないでください……! わ、私こそ……あ、う…………申し訳ありません」


 二人揃って頭を下げる新米夫婦。

 伏せて隠れた顔が熱い。きっと、ヴァイオレット様も似たようなものだろう。

 なにこの空気! こそばゆい!

 換気を、換気をしなくては……!


「ほ、本日は用もあるんですよ……ね?」

「あ、はい。仰る通り、一つ、ご報告に参りました」


 どうにか空気を入れ替えることに成功したらしい。

 まだヴァイオレット様の頬に赤みは残っているが、話を進めてくれる。

 そして、なんでもない態度で、


「騎士団長を辞任します」


 とんでもない爆弾を落としてきた。


 ■■


 ヒクヒクと、目の前で広がる光景を見て、引きつった頬が固まって戻らない。


「これで工事完了になります」

「ありがとうございました」


 隣では、大工にそつなく対応するヴァイオレット様。

 間抜けに口を開けている僕とは大違いだ。そして、僕の後ろでは、同じようにぽかーんとしている父上と母上様。気持ちはよくわかる。

 大工とのやり取りを終えたヴァイオレット様が、無表情ながらどこかソワソワと、なにかを期待するように僕を見上げてくる。


「いかがでしょうか? 喜んでいただけると嬉しいのですが」

「あぁっと……はい。トテモウレシイデス」

「そうですか!」


 褒められて嬉しいのか、相好を崩す。尻尾があれば、ブンブン振っていそうなほどだ。

 いつもであれば、ヴァイオレット様の笑顔を見てドキマギするだろう。だが、今日ばかりは目の前の出来事に驚きっぱなしで感情が追いつかない。

 そんな僕の気持ちを知らないヴァイオレット様は、


「結納というほど大層なモノではありませんが、喜んでいただけて安心しました」

「大したモノ……」


 僕の目の前には我が家――だった、もはや見る影もない立派な屋敷が建っていた。

 大きさこそ変わらないが、全貌はほとんど変わっている。

 隙間風や雨漏りに悩む、今にも崩れそうだった幽霊屋敷。それが、雪のように真っ白なペンキで彩られた、可愛らしい一戸建てになっているではないか。


「あの……修繕だけというお話だったと思うのですが」

「? はい、修繕だけです」

 不思議そうに首を傾げるヴァイオレット様。

 ……なるほど。彼女にとって、幽霊屋敷が絵本に出てくるような可愛らしい屋敷に変わっても、大きさが変わらなければ修繕の範囲内だと。いや、もはや建て直しだろう。実際、全部ぶっ壊してたし。


「あ、は……は」


 乾いた笑いが止まらない。

 そもそも、結納って男から渡すものでは?

 僕の立場ないね、ほんと……あぁ、胃が痛い。


 ――


 新たな屋敷で始めに行われたのは花嫁修業。


「掃除は上から下に。基本だから覚えておいてね」

「はい」


 母上様に手ほどきされながら、ヴァイオレット様は埃一つない屋敷を掃除している。それになんの意味があるのかと思うが、ヴァイオレット様は母上様の言葉一つひとつにしっかり頷いて、実践しようとしている。

 

 見目麗しい女性二人の姿を外から眺めるのは、小さな花壇に囲われた華やかな庭で、言外に邪魔といって追い出された煤けた男二人。僕と父上はティーテーブルに座って黄昏れていた。


「父上……女性は強いですね」

「男は外で成り上がり、家では女の尻に敷かれるものだ」

「聞きたくありませんでしたよ」


 結婚したばかりの息子に言う言葉か。

 とはいえ、シャムロック家が女系一族なのは間違いない。男の家内ヒエラルキーは先祖代々低いそうだ。僕が父上には様を付けないのに、母上様に敬称を付ける理由でもある。

 不意に、父上が口を開く。


「気にしてるのか?」

「なんですか急に。ボケましたか」

「馬鹿が。昨日の飯ぐらい言えるわ。…………あー、あれだ、魚だ。焼いたやつ」

「鶏です」

 しかも、スープだ。焼いてない。


 マジでボケたかと胡乱な目を向けると、げほんげほんと咳払いして誤魔化そうとしている。忘れた理由は、昨夜深酒してたからだと思うが、黙っておこう。


「それで、どうなんだ」

「なにがです」

 主語を言え、主語を。


「決まってる。ヴァイオレット様のことだ」

「……」


 口を噤む。

 なんとも答えづらい話題を振ってくるものだ。


「屋敷の修繕についてもそうだが、騎士団長辞任の件だ。気にしてるんだろう?」

「……、それは、まぁ」


 不承不承肯定する。

 ヴァイオレット様の騎士団長辞任。

 この件について僕は飲み込みきれていなかった。


 本人としては、直ぐにでも辞めたいらしい。けれど、責任ある立場であるため、そういうわけにもいかず、引き継ぎや後任が決まるまでは保留となるそうだ。今日は休みを取ってきたとか。

 なんで、そんな急にと訊けば、ヴァイオレット様は、

『カトル様と、一緒に暮らしたいと思うのは、おかしなことでしょうか?』

 と、ぽしょぽしょと恥ずかしそうに告白してくれた。


 嬉しいやら恥ずかしいやら。

 そう言われてしまえば、僕としてはなにも言い返せなくなってしまう。けれど、本当にそれでいいのかなー? という考えは捨てきれないでいた。

 ……あと、この件については至るところに影響が飛び火しているそうで、後が怖い。結婚式に居た団長を尊敬してやまない騎士団員たちを思い出して青ざめる。殺されるんじゃないかなぁ、僕。


 惨たらしい未来を想像して押し黙る僕を見て、父上が鼻で笑う。


「あんな才色兼備の美人に愛されているんだ。付随する問題なんぞ、悩みでもないだろうに。情けない」

「父上みたいに、尻に敷かれる喜びはまだわからんもので」

「ばっかお前。男は女の尻に敷かれて初めて一人前だ」


 嫌な話だ。しかも、一定の真実味があるのがなお嫌だ。

 もはや耳汚しだなと、僕は席を立つ。


「どこへ行くんだ?」

「手伝ってきます。なにもしないのは、それこそ尻がこそばゆいので」

「どうせおっ帰されるだけだろうに。尻の青い息子だ」


 呆れた様子の父上に見送られ、僕は屋敷に戻る。

 ところで、こっちも返しといてなんだけど、尻ネタしつこくない?


 ――


 屋敷内に戻り、ヴァイオレット様と母上様の姿を探した。

 どこへ行ったのか。

 建て直したとはいえ、小さな屋敷だ。二人は簡単に見つかった。

 どうやら調理場でりんごの皮剥きに挑戦中だったらしい。

 悪戦苦闘するヴァイオレット様を、微笑ましそうに母上様が見守っている。

 そんな二人に声をかけようと手を上げたところで、

「ねぇ。ヴィオちゃんはどうしてそんなに頑張るのかしら?」

 なんて、母上様の問いかけが聞こえてきて、咄嗟に物陰に隠れてしまった。


 なんで隠れたー!?

 自分に呆れながらも、もはや行くも帰るもできず、コソコソ身を潜める。

 というか、ヴィオちゃんって。僕もまだ愛称で呼ぶとかしてないのに、もうそんなに仲良くなってるのか。ちょっと複雑。


「どうして……ですか?」

「えぇ」


 そぉっと調理場を覗けば、手を止めて、母上様を見つめるヴァイオレット様の姿があった。

 どこか困惑した様子の彼女に、母上様は頷いてみせる。


「騎士団に所属しているとはいえ、公爵令嬢ですもの。家事なんて、したことないでしょう?」

「不出来な嫁で申し訳ありません……」

「あぁ! 落ち込まないで。責めてるわけじゃないの」


 しゅん、と俯くヴァイオレット様に、違う違うと母上様は大げさに手を振って彼女の勘違いを訂正する。伺うように上げたヴァイオレット様の顔から、感情は見て取れない。けれど、母上様は僅かに揺れる紫色の瞳から不安を感じ取ったのか、安心させるように優しく微笑む。


「うん、全然。むしろ、貴女みたいな素敵な女性が息子のお嫁さんで良かったって、思ってるの」

 だからこそ、と母上様は言う。

「頑張る理由を知りたいな、って思ったの」


 答えたくないならいいわ、と母上様が手を振って質問を打ち切る。

 それきり、二人の間に会話はなく、シャリ、シャリっとりんごを剥く音だけが調理場に響いていた。

 ……気まずい。

 居心地の悪さに逃げようとすると、りんごを剥きながらヴァイオレット様が吐露するように呟いた。


「……カトル様との婚姻は私が無理矢理推し進めたものです」

 だから不安だ、と言外に語る。

「私はカトル様をお慕いしていますが」

 きっと彼は違う、と。

「だからこそ、私は好きになってもらう努力をする必要があると思っています」

 なにより、

「……カトル様が喜んでくれたら、私は嬉しいです」

 真剣な眼差しを手元のりんごに向け、丁寧に丁寧に皮を剥く。実は削れ、角張って不格好なりんご。決して褒められた手際ではないけれど、投げ出さず、真剣に手を動かしている。


 ……なんというか。なんというか、なんというかだ。

 言葉にできない感情が激流のように押し寄せてきて、悶え転がりたくなる。

 あー! もー! あーあぁぁああああああああああああああああああああああああっ!?

 全力でこの場を離れたくなった僕は、もはやバレるのもいとわず逃げ出そうとしたが、


「カトル。出てきなさい」

 視線一つ投げてこない母上様に呼び止められて失敗してしまう。

 ふぁーっ!? バレてる――ッ!?


 強行するかとも考えたが、にょきっと伸びてきた手に捕まって調理場に引っ張り込まれる。部屋に入った瞬間、目を剥くヴァイオレット様と視線が合って、揃って気まずそうに目を逸らしてしまう。


「か、カトル様……いらっしゃっていたのですね」

「いやぁ、その。立ち聞きするつもりはなくって……」


 続く言葉は出ず、黙り込んでしまう。

 なんともいえない空気。背中がムズムズと痒くなってくる。なにこれ新手の拷問かな? こっから僕にどうしろと言うの母上様。

 見れば、ダメだ私の息子とでも言うように、額を抑えてため息をついていた。ちょっと、こんな状況に引っ張り込んでおいて、その態度はあんまりじゃない?


 くそぉ。なんか気の利いた言葉を言えばいいんだろう言えば。

 あー、とか、うーと呻きながら、これまでにないほど脳を回転させていると、ヴァイオレット様がスッとりんごの盛られたお皿を差し出してきた。


「その……よろしかったら、食べていただけないでしょうか?」


 不安そうに差し出されたお皿には、不揃いなりんごがいくつか転がっていた。

「不格好で申し訳ないのですが」

 と、落ち込むヴァイオレット様。

 そんな悲しい顔は見たくない。僕はひょいっとりんごを取り上げると、そのまま口に放り込んだ。目を丸くするヴァイオレット様。もぐもぐ……ごくん。


「うん。美味しい」

「……!」


 僕の言葉に、ヴァイオレット様の表情がわかりやすく輝く。

 頬を上気させ、殊更喜んでみせる。


「ありがとうございます! 嬉しいです!」

「お礼を言うのは私というか……えっと、うん。ありがと」


 なんと言っていいかわからず、目を合わせられない。

 頬をかいて視線を逸らすと、母上様と目が合う。それも、なにやらニヨニヨと口元を緩ませている。


「ふふ、愛されてるわねぇ」


 うっさい黙れみなまで言うな。

 父上の言う通り、こうやって尻に敷かれて一人前になるのかなと思うと少しやるせないが、ヴァイオレット様が喜んでくれているのならいいか、と思わなくもなかった。

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