第2話 血も涙もないと噂の婚約者は、僕の前では稀によく泣きます。
――病めるときも健やかなるときも、愛をもって互いに支えあうことを誓いますか?
結婚。それは、愛し合う男女が一生を共にすると誓い合う儀式。
新郎新婦は愛する相手と結ばれ、明るい未来に心弾ませ、
来賓は涙を流し、これから末永く人生を共にする二人に祝福を贈る。
そういった幸福を絵にしたような儀式であるはずだ。
「くっそ、なんであんな男がヴァイオレット様と……っ」
「死ね! タンスの角に小指をぶつけて死んでくれ!」
「すみません。この教会で愛を誓った夫婦は別れるというジンクスは……あ、ない? そうですか」
来賓客が血涙を流して新郎を呪い殺そうとするわけがなく、
「はい、誓います」
愛を誓った新郎の顔が真っ青になって、胃に穴が空くなんてあるはずもない。
「はい、誓います」
なにより、幸せの絶頂であるはずの新婦が氷のように冷めた無表情とかありえない。
なにこの地獄絵図。
……あれ? 好かれてると思ってたのって、僕の勘違い?
――
地獄の挙式を終えると、始まったのは悪夢の披露宴だった。
広々としたパーティー会場の片隅。主役の一人であるはずの僕は、なぜか筋骨隆々の男たちにガンを付けられて追い詰められていた。めっちゃ怖い。
「よぉ、新郎どのぉ、おめでとうございますぅ」
どう受け取ってもおめでとうっていう声音じゃない。
ドスが効いてるよ、ドスが。
顔に古傷とかあるし、荒くれ者の風格が凄い。
なぜ裏稼業の方が式場にいるのか不思議でならないが、公爵家主催の結婚式だ。警備は厳重。不審者が紛れ込めるわけもなく、彼らも招待した来賓客のはずだ。たぶん。きっと。そうだといいなぁ。
「本日はお祝いに駆けつけていただきありがとうございます。恐れ入りますが、どこの闇組織の方々でしょうか?」
「闇組織だぁっ!? 紳士的で礼儀正しいと評判の王国騎士団員に向かってなんて言い草だ新郎様よぉ?」
やばい。心の声が漏れた。
というか、
「騎士団の方でしたか」
世も末ですね。
ちっ、ちっ、と舌打ちを鳴らしながら悪態をついてくるはいえ、騎士団員といえばヴァイオレット様の同僚のはずだ。
その荒々しい風貌と態度からは、とても王国に忠誠を誓う誇り高き騎士団員には見えないが、来賓として招かれている以上、真実なのだろう。間違いであってほしかったが。
キリキリとする胃の痛みに耐えながら、僕は貴族らしくそつのない笑顔で応じる。
「妻のヴァイオレットがいつもお世話になっております」
「なんだとごらぁっ!? 挙式あげただけでもう
「誓いの言葉を交わしただけで、夫婦になれるとでも思ってんのか!?」
そりゃそうだろう。なんのための式だよ。おままごとか。
もはや社交辞令も通じない自称騎士団員たちは、ゴキッ、ボキッと、肩や拳を鳴らしながらジリジリと迫ってくる。
「こうなったらしょうがねぇ……」
「あぁ、しょうがねぇ」
「証拠は残さないよう注意しましょう」
「なにする気!?」
それでも栄えある王国騎士団なのか。偽物説が濃厚になった。
そうこうしている間に追い詰められ、恐ろしい筋肉の壁が
死んだかなぁ、これは……。
結婚早々、というか式が終わってないので実質0日の婚姻はこうして幕を閉じようとして、
「――なにをしているのですか?」
地獄に吹き荒ぶ雪のように、寒々とした声によって男たちは強制的に凍りついた。
青ざめた顔で男たちが振り向けば、立っているのは冷血にして冷酷な雪の女王。
白雪のようなドレスを纏うヴァイオレット様は妖精のような美しさであったが、その威風は罪人に断罪を告げる死神そのもの。
鋭利な目を刃物のように細めると、強面の男たちが「ひぃっ」と身をすくませて悲鳴を上げる。
「もう一度問います。私の……私の夫に、なにをしているのですか?」
もはや言葉で人が凍死しそうな冷たさだ。
勇猛果敢を常とする騎士たちも、彼女の前では只人であるらしい。
「し――」
寒さか恐れか。大の男が身体を震わせ、
「――失礼致しましたぁぁああああっ!?」
逃げねば死ぬとでも言うように、一目散に逃げていった。
残されたのは僕とヴァイオレット様。
肌を刺す空気はそのままに、冷たい沈黙が周囲を覆う。来賓客も言葉を失い、遠巻きに様子を伺っている。
どうするんだ、この空気。
重苦しい空気に耐えかねていると、ヴァイオレット様が足早に近付いてくる。
「カトル様。大丈夫ですか」
「え、ええ。問題ないです」
消されかけたぐらいですとも、ええ。
ヴァイオレット様は僕の全身を一瞥し、怪我がないことに安心したのか、小さく息を吐き出す。ただ、その顔は変わらず無表情で、彼女の心情を伝えてはくれなかった。
「申し訳ございません。私の部下が無礼を働きました」
「気にしないでください。ヴァイオレット様が謝ることではありません」
「いえ。カトル様にご迷惑をおかけしたのは事実です。……後日、彼らには罰を与えます」
光の消えた瞳で呟く。
部下に厳しいと噂のヴァイオレット様が執行する罰。拷問のような凄惨な光景を想像して、僕が受けるわけでもないのに血の気がひく。
わ、話題を変えよう。
彼女の放つ無言の威圧から逃れるように、殊更笑顔で話しかける。
「よ、よろしければヴァイオレット様のご両親にご挨拶したいのですが、どちらにおられますか?」
「……両親は来ておりません」
「来ていない?」
そういえば、挙式でも姿を見なかった。
そもそも、婚姻を結んだというのに、未だに挨拶一つしていない。
娘の晴れ姿なのだから、一目見たいと思うのが親の心情ではなかろうか。
まさか、ねぇ?
なにやら嫌な予感。けれど、振ってしまった話題は変えられず、引き攣る笑顔で慎重に言葉を重ねる。
「そ、うですか。公爵家ですから、さぞお忙しいのでしょうね」
「両親には、この婚姻を反対されましたので」
嫌なことを思い出したのか、ヴァイオレット様の顔に影が刺す。
「断行しました」
「な、なるほど?」
って、無許可なのこの婚姻!?
というか、ライラック公爵家のご当主様、この結婚に反対してるの!? え、じゃあなんで僕は結婚式挙げられてるの? 未だに首が繋がっていることが不思議でならない。
ただ、よくよく考えてみずとも、そりゃそうだと納得してしまう。
ヴァイオレット様は、王国史上初めて女性で騎士団長にまで上り詰めるほどの類まれない才気を、内外問わず知らしめた才媛だ。
しかも、その容姿は王国内で最も美しいと称されるライラック公爵夫人の血を色濃く受け継いでいる。周囲を拒絶するような剣呑な雰囲気のせいで近寄り難いが、芸術品のように精巧で麗しいのだ。
対して僕は、地位も名誉もない、平凡以下な男爵家の長男。容姿だって際立つモノはない。
そんな男に娘を嫁がせたいかと問えば、冗句であっても首が飛ぶ。胴体とのお別れは免れないだろう。
結論はどうあっても首チョンパ。
もはや胃の痛みすら感じない。今、目の前に鏡があれば、そこに映るのは顔を真っ白にして今にも死にそうな男に違いない。
「あ、あの……大丈夫、なのでしょうか?」
「なにがあってもお護りいたします」
グッと両拳を握って、なにやら可愛い決意のポーズ。
あぁ、心臓が痛い。
この痛みは、きっとクールなヴァイオレット様が見せる愛らしいギャップにやられたモノだな、と僕は納得して考えるのを止めた。マジヴァイオレット様可愛すぎて不整脈が止まらない。
――
生きてる……僕、生きてるよぉ。
いつ息の根を止められるかわからない披露宴を終えた僕は、壁を支えにしながら、ヨロヨロと控室に向かっていた。
式の片付けが残っているが、立っているのもやっとの状態。とにかく、一人になって休みたかった。後、胃薬欲しい。
「……やっぱり、この婚姻を受け入れたのは間違いだったのでしょうか」
はぁ、とため息が漏れる。
僕との婚姻を結ぶため、涙まで見せたヴァイオレット様。もしかして、彼女は僕を好きなのか? なんて思い、つい流されるように婚姻を受けれてしまった。けれど、今日の冷淡な態度を見るにどうにも怪しい。
これが俗に言う勘違い男というのだろうか。勘違いで結婚式挙げるとか、僕ぐらいだろうけどね! ……はぁ。
肉体的にも精神的にも限界だった僕だけど、どうにか控室の前まで辿り着く。
やっと、休める。震える手でどうにか控室の扉を開けて――息の吸い方を忘れた。
「……ひっく、……っ」
「ヴァ、ヴァイオレット様……っ!?」
真っ白なドレス姿のまま、膝から崩れたように座り込み、ヴァイオレット様がすすり泣いてた。
僕は胃の痛みも忘れて、慌てて駆け寄る。
「どうかしましたか!?」
「……っ、ぐす」
「どこか痛いところがあるとか、式で嫌なことでもありましたか!?」
「……っ」
違うというように、ヴァイオレット様は首を振って否定する。
ならどうして。そう考えたところでハッとなる。
なぜ最初に思いつかなかったのか。疑問を抱くほど大きな原因が一つあるではないか。
「もしかしなくても、本当は僕との結婚が嫌だったのでしょうか!?」
なら先にそう言って! 終わっちゃったよ結婚式!
国王様の命令とか、神のお告げとか、なんかよくわからんやむにやまれぬ事情で僕と結婚するしかなかったのかもしれない。結婚式を終えて、好きでもない男と結ばれてしまったことに絶望。
嫌がる女性と無理矢理結婚するとか、なんて酷い男だ。死ねばいいのに……って、この場合死ぬの僕だ。あぁ、胃がキリキリするぅ。
「それだけはありません……!」
けれど、そんな僕の想像を、ヴァイオレット様は涙を振りまきながら、必死に否定する。
その表情はあまりにも切実で、とても嘘を言っているようには見えなかった。
痛くもない。嫌がらせでもない。僕との結婚でもない。
では、どうして彼女は泣いているのか。泣き止む様子のないヴァイオレット様の前であたふたしていると、掠れるような小さな声で彼女が言葉を紡いだ。
「……か、カトル様と夫婦になれたのが嬉しくってっ」
「わ、私と?」
コクコクと、彼女は
それは結婚式を挙げた新婦が抱く、まっとうな感情だった。愛する人と結ばれる、一生に一度の神聖な儀式。新婦が感極まって泣いてしまっても、おかしくはない。
けれど、僕にとっては不思議でしかたなかった。
なんで、どうして。
わけがわからなかった。
ヴァイオレット様の言葉が本心なのは伝わってくる。氷の仮面を脱ぎ去り、こんなにも感情を剥き出しにした彼女の言葉を疑うほど、僕は人間不信ではない。
けれど、だからこそわからなかった。それだけの感情を向けるのが、どうして僕なのか。
今にも崩れてしまいそうな屋敷を修繕できないほど、お金がなくて。
男爵なんて、大した権力もないのに。
顔だって、社交界に出るような貴族の
それなのに、どうして彼女は僕のことでこんなにも感情を揺り動かしてくれるのだろうか。
「ごめんなさいっ……ごめっ、なさいっ、すぐに、……泣き止みますからっ」
「……いえ、大丈夫です」
とめどなく流れる涙を止めようと、ヴァイオレット様は赤く腫れた目を必死に手で擦る。繊細なガラス細工を扱うような気持ちで、僕はその手に触れる。
手を握る、なんて覚悟はまだなくて、指先で触れるのがやっとな僕で。
ヴァイオレット様の気持ちどころか、自分の気持ちさえわからないけれど……――
「晴れの舞台です。存分に泣いてください」
「ですが……っ」
「それに」
ヴァイオレット様の涙を指先でそっと拭う。
「夫の前でぐらい、泣いてもいいんじゃないでしょうか?」
「……うっ、カトル、さまぁ……っ」
僕の言葉を受けて、止まりかけていた涙が宝石のように輝きボロボロと溢れて落ちる。
氷雪の女騎士団長とは思えない、けれど、結婚式を終えた新婦らしい姿を見て、うん、まぁ。
――……大切にしようって、そう、心の底から思った。
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