冷血と噂される女騎士団長は、なぜか僕にだけ乙女の顔を見せてきます。
ななよ廻る
本編
第1章
第1話 貧乏で平凡な貴族の僕は、冷血と噂される女騎士団長との婚姻を断りたかった……。
「ライラック公爵家から婚姻の申し出!?」
何の変哲もない、昼下がり。
執務室に呼び出された僕――カトル・シャムロックは、父上の話を聞いて悲鳴のような声を上げてしまった。
「そんなに大きな声を上げるな。屋敷が崩れてしまう」
「流石にそれだけで崩れるほど脆くは……」
ない、と続けようとして、天井からパラパラと木屑が落ちてきた。
先々代から引き継いだ小さな屋敷。築100年はあるだろうか。屋敷の上げる声なき悲鳴に、僕は声を鎮める。
「そ、それで、公爵家から婚姻って、なにかの冗談でしょう? うちの爵位は男爵ですよ? しかも、こんなオンボロ屋敷に住んでる」
「先祖代々受け継いできた屋敷をオンボロと言うものじゃないよ。
「取り柄のない人を優しいと称するような、言葉のすり替えはやめてください」
「え? 私言われたことあるんだけど、褒め言葉ではなかった……?」
なぜ信じた。女性の『優しい人ですね』は『つまらない人』って意味だし、『個性的で面白い方』は『変な人』の代名詞だ。言葉通り受け取ったら痛い目を見ること間違いなし。
父上はなにやらショックを受けているが、知ったことではない。
「婚姻の申し出というのは、事実なのですか?」
「あぁ、間違いない」
覇気なく差し出されたのは、一通の手紙。
封蝋に刻まれた家紋は、剣と雪を合わせたライラック家のモノで間違いなかった。
目を通せば、確かにライラック家からの婚姻の申し出。そして、手紙の中に記された婚姻相手の名前を見て、僕の頬は引き攣る。
「氷雪の女騎士団長……ヴァイオレット・ライラック」
ライラック家の長女にして、初めて女性で王国の騎士団長にまで上り詰めた傑物だ。
その性格は冷血にして冷酷。部下にきびしく、自身には更にきびしい厳格な女性だ。美しい顔立ちなのだが、笑み一つ浮かべず、常に冷たい無表情なことから『氷雪』と呼ばれている。
そんな方が僕と結婚?
想像し、左右に首を振る。
家格どころか、個人としての釣り合いすら取れていない。
相手側のミス。もしくは、裏があると思うのが妥当だ。
「で、どうする?」
「どうするもなにも、断るに決まってるでしょう」
信じられる要素がなにもない。
父上も返答はわかっていたのだろう。
「そうか。なら、断っておく」
「お願いします」
こうして、公爵家令嬢からの婚姻の申し出という爆弾は、恙無く処理された――はずであった。
あれから数日。手紙のことを忘れて自室で本を読んでいると、慌ただしくメイドが飛び込んできた。
「ごごご、ご主人様――ッ!?」
「どうかしましたか? いつにも増して騒々しいですが」
「大変なんです! 大変が変態が変態が大量でぇ!?」
「変態が大量だったら大変でしょうが……」
とりあえず落ち着けと、口を付けていなかった紅茶の入ったカップを手渡す。ごくごくと煽るように飲み干すのは、メイドとして、淑女としてどうなんだろうか。
少し落ち着きを取り戻した彼女は、ゴクリと喉を鳴らすと、震える声で要件を口にした。
「……ら、ライラック公爵家の、ヴァイオレット様がお見えになっているんですよー!?」
「……は、はぁああああああっ!?」
どうやら、爆弾は時限式だったらしい。
――
古びた応接室で、僕は一人の女性と対面していた。
冷たい
向かいのソファーに座る彼女は、小さく頭を下げた。
「このたびは、急な来訪にも関わらず快く対応いただき、感謝の念にたえません」
「い、いえいえいえいえ!? そんな! 頭を上げてください。こちらこそ、大したもてなしもできず申し訳ありません」
恐縮するヴァイオレット様に、冷や汗が止まらない。
公爵と男爵。爵位の違いはそのまま権力の違いだ。どのような要件であれ、へりくだるのは僕であって、ヴァイオレット様ではない。
一つ間違えれば不敬罪で首が飛ぶ。そんな状況で、雲上人に頭を下げられては、僕のひ弱な心臓はあっさり止まってしまう。
「いいえ。こうしてお会いいただけるだけでも、ありがたいことです」
顔を上げたヴァイオレット様の表情はやはり無。
言葉通りなのか、それとも怒っているのか、判断に困る。
下手を打てばお家取り潰しどころか、一家揃って断頭台行き。内心不安を抱えながら、精一杯の笑顔を浮かべて顔色を伺う。
「それで、本日はどのようなご要件でしょうか……?」
「先日お送りさせていただいた、婚姻についてです」
ですよね――ッ!?
胃に汗をかくなんてレベルではない。このまま溶けてなくなってしまいそうだ。
「こ、婚姻については、お断りさせていただいたと思うのですが」
家格の釣り合いがーとか、なんらかの間違いでーとか、貴族らしくそれっぽい言葉を使い分けながら、父上が断りをいれたはずだ。
角が立つようなことはない……はずだったのだが、わざわざ婚姻相手のヴァイオレット様が足を運んだということは、なにかしらやらかしていた、ということなのだろう。
もしかして、婚姻を断ってよくも恥をかかせてくれたなとか、そういうこと?
あぁ、ありそう。キリキリとねじ切れそうな胃の痛みに耐えながら、ヴァイオレット様の様子を伺っていると、紫色の瞳がすっと細まり鋭さを増した。
「はい。私も確認させていただきました」
ですが、と彼女は言葉を続ける。
「婚姻について今一度考え直していただきたく、足を運ばせていただきました」
「……そう申されましても」
困る。非常に困る。
互いの気持ちがないのは、まだいい。個人的にはよくないけれど、貴族間ではよくあることだ。それはいい。
けれど、公爵家と男爵家の婚姻など、王国史上聞いたことのない大事件だ。その渦中の発生源が、吹けば飛びそうな我が家となれば、結果は明白。
ちょっとした妬み嫉みで失脚間違いなしである。悲惨な結末が目に見える婚姻を受け入れるわけにはいかなかった。
失礼なく断るにはなんと言えばいいのか。僕が言葉を選んでいると、こちらの気持ちが伝わったのか、ヴァイオレット様が頷いてみせる。
「困惑されるのも無理はありません。私も今回のことは早計だったと考えています」
「そうですか」
はぁあああ、と内心深い溜息をつく。
僕の懸念を理解してくれているようで安心した。ようやっと息を吸える。
「ですので、まずはお互いを知るところから始め、婚姻に到れればと」
違う、そうじゃない。
婚姻するのが大問題なのであって、僕とヴァイオレット様個人の問題ではない。
見合いじゃないのだ。お互いが話して気に入れば結婚しましょうとか、そういうことじゃぁない。
「ご趣味は?」
「領地経営の勉強です」
だから、見合いじゃないんだって。答えちゃってるけど。
「領民のことを考えた、良いご趣味ですね」
「ありがとうございます」
できれば、今は僕のことを考えていただきたい。
「私の趣味は、剣の鍛錬です」
でしょうね。
ちなみに、僕が今一番尋ねたいのは、この見合いのような面談をいち早く終わらせる方法です。
もちろん、そんな不敬なことを言えるはずもなく、僕の胃を捻り切る拷問のような質疑応答はしばらく続いた。
休日の過ごし方や、好きな料理などなど。まるきりお見合いである。
「農作業までされているとは、領民の気持ちを知ろうという、素晴らしい心掛けですね」
「ははは……ありがとうございます」
領主がやらなくてはならないほど、人手不足なだけです。
もはや職務質問のような気がしてくる。
婚姻や見合いより、犯罪の疑いをかけられていると言われたほうがまだ真実味があるし、安心できる。犯罪に手を染めてなんかいないからね。
「カトル様のことを知れた、良い時間でした」
無表情ながら、ヴァイオレット様はどこか満足気だ。失態はなかったようで、安堵する。
「それでは、改めてとなりますが、カトル様」
一つ間を挟み、彼女は言う。
「私、ヴァイオレット・ライラックとの婚姻を受けていただけますでしょうか?」
トドメとばかりに告げられた婚姻発言に、息の根を止められそうだ。
「……」
「……」
沈黙が痛い。
どうする、どうしよう、どうすれば!?
再び訪れた審判の時に、冷や汗が止まらない。
婚姻を受ける? 断る?
悩み、悩んで、悩み抜いて出した答えは……………………
「申し訳ありませんが、お断りさせていただきます」
無理だって。死ぬもん。肉体的にも社会的にも。
ライラック家の不況を買ったかなぁ。
そう思いつつも、こちらの事情を察してくれているだろうと淡い期待を抱いて、恐る恐るヴァイオレット様を伺い――ぎょっと目を見張る。
泣いていた。
『氷雪の女騎士団長』と呼ばれ、笑み一つ浮かべないと噂されていた冷血な女性が、ポロポロと涙を零し、僕を見つめていた。
「……私では、ダメでしょうか?」
くしゃりと、表情を歪ませ、すがるように僕の手を取ってくる。
紫の瞳は不安に揺れ動き、とめどなく流れる涙が頬を伝う。
行かないでとでもいうように僕の手を掴んでいるけれど、その力はあまりにも弱々しい。少し動かしただけで簡単に離れてしまうだろう。
氷雪の騎士団長なんて似合わない。
年若い少女のように、切なげな表情を浮かべるヴァイオレット様に、僕は言葉を失ってしまう。
「え……いや、その」
「……」
潤んだ瞳でじっと見つめられてしまい、声が出ない。
この婚姻は、なにかの間違いか、裏があるものではなかったのか?
もしかして、ヴァイオレット様は僕に好意を寄せている?
まさか、と思う反面、目の前で涙を流すヴァイオレット様を見てもしかすると、と考えてしまう。
頭が真っ白になって、僕はあたふたとテンパってしまう。そして、泣いているヴァイオレット様を見ていられなくなり、頷いてしまった。
「……は、い。お受け、します」
「……っ!」
パァッとヴァイオレット様の顔に花が咲いた。
春の訪れを知らせる雪解けのような笑顔に一瞬見惚れてしまう。
ぎゅっと僕の手を取り、何度も何度も上下に振る。
「あり、ありがとうございます……! これから、貴方のつ、妻として恥じないよう、日々研鑽いたします」
「は……はは。はい……。よろしくお願いします……」
頬を上気させ、子供のようにはしゃぐ彼女を前にして、今更断るなんて口にはできず。
氷雪の騎士団長と呼ばれ、けれども、本当は年頃の少女のように可愛らしいヴァイオレット様と僕は、婚約することになった。
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