探偵は英語ができない 2

 三分の搭乗時間というタクシーに乗る意味があったのかも不明な距離にあった迎賓館の中に入ると、そこは異国だった。

 至るところに、オーソドックスな日本人とは違う肌の色の者たちが多数いた。さらに彼らが闊歩しているロビーは広々としていて、純粋な日本の建築物では中々お目にかかれない代物だった。何か全体を見渡せるような、異国情緒溢れる亜空間に訪れた気分になる。

 エントランスを抜けた僕が、この建物に対し抱いた第一印象はそれくらいのものだった。

 大きな身体の日本人がロビー中央で僕たちの到着を待っていた。眉村という覆面刑事らしく、無愛想な男であることはその風体は元より身体から滲み出る雰囲気でなんとなくわかった。

 この場で日本語をおおっぴらに話すわけにはいかないせいか、眉村は名と身分をそれとなく告げること以外はせず、その後無言のまま左手にあったエスカレターへと僕たちを誘っていった。

「エスカレーターをあがった二階に控室が用意されているわ」

 また葉子の囁きが僕の耳元で鳴った。

 頷く前に僕は彼女から身体を離した。また息を吹きかけるつもりであることは彼女の口との距離感で判別がついた。

 この名探偵に対し同じ手は二度と通用しない。

 読み切っているのだよ、葉子君、とばかりに僕は口角をあげた。

「あら?」

 葉子はニコリと微笑む。ショックを受けるかと思ったが、彼女の視線はやや挑戦的だった。

 眉村は怪訝そうな顔をして、そんな僕たちの方を一瞥したが、すぐに顔を正面にしてエスカレーターへと乗り込んだ。

 職業柄のせいか何かしら僕たちの関係を疑っているようだったが、僕たちは彼が想像するような関係ではないと心の中だけで断っておいた。

 二階へと運ばれる最中、一階側を見下ろした。一階から天井までは吹き抜けになっており、エスカレーターから下界を眺めているとまるで空港のロビーを見ているような気分になった。

 上に到着すると、眉村は立ち止まることもなく、そのまま前へと進んでいった。歩幅が大きいせいか、かなりの速度だ。僕は半ば走るような格好で、彼についていった。一方の葉子は足が長いので、何の苦もなく彼の歩調に合わせている。それが妙に腹立たしかったことはいうまでもない。

 角までくると、大きなドアが見えた。ペルシャ絨毯のような材質で造られており、何か高級感があった。それを何事もなく開ける眉村。デザイナーズソファーのようなものが置かれているのが少し遠くに見えた。控室にしては大きい場所だな、というのが僕がその部屋に持った第一印象だった。

「さて、どうしましょう」

 葉子はソファーに腰をかけると、僕に声をかけてきた。

 その質問に対し、一息ついて反応を見せる。

「きみは眉村で良かったかな? もちろん表立って警察がこの国で動く訳にはいかないことは承知している。身分は口外しないことを約束しよう。それでは現状の情報を整理して教えてくれたまえ」

 仏頂面のその男にまずは尋ねる。

「迎賓館三階で、レイ・トラビスが殺害された」

 眉村が短く答える。

 整理し過ぎである。

「……ふむ、眉村君。きみは典型的な日本の刑事のようだ」僕はわざと呆れた音を鼻から漏らした。「情報が足りないのだよ。まずレイ・トラビスという男は誰なんだい? 僕はここに来たばかりで、レイ・トラビスという男を知らない。まずはそこから説明するべきだろう。やれやれ、如何ともし難い」

 その後、嘲笑した視線を彼に向けてやった。探偵という職業柄、刑事に舐められるわけにはいかない。何はなくとも立場というものを教えてやる必要がある。

 僕が台詞が終わったタイミングで、眉村の眉が一ミリほど、ピクリと動いた。

「面倒くさい奴だな」

 口を開けたかと思うと、予想もしない台詞を述べた。

「なんだと!」

 僕を相手にもしていないという感じの彼の態度に、図らずも激昂の声あげてしまった。

「まあまあ薫ちゃん。レイ・トラビスはF国の政府要人でこの迎賓館で、日本の大使と会談を持つ予定だった男よ」

 葉子が僕と眉村の間に立ち、落ち着かせるかのような声色でそう述べた。

「恨まれるような人ではなかった、というのがF国からの情報ね」

 と説明を続ける。

「葉子君、きみはなぜそれを知っている……」

 聞いた瞬間からイライラとしていた僕は、声を押し殺しながらそう述べた。

 彼女は税関に来る前に、事前情報は何もないと僕にいっていた。だが、今の話を聞く限り、何かしらの情報をどこからか得ていたはずで、おそらく通常探偵が手渡される資料くらいは彼女の手元には届いていたことが想定される。

 であるとすると、あえて彼女は僕に何も教えなかったということだ。

 この女! 僕はキッと彼女を睨みつけた。

「えー、薫ちゃん、怖いよー。だって仕方ないじゃない。葉子面倒だったの。それにあんな量の資料なんか入れてたら、葉子の小さなバッグには入らないよ」

 身を軽く捻らせながら、葉子はいう。

 この女、たかが助手のくせに何という……こいつは子供の頃からそうだ。毎回毎回。さらにいうと、眉村という男が多少顔立ちが良いから、このような態度を取っていることは明白だ。

 そんなことの前に、何はなくとも腹立たしい。

「日本人しか周りにいなかった」

 ぶっきらぼうに眉村が補足か何かもわからない言葉を述べる。

「そうそう、眉村君。彼らには動機がないのよねー」

 葉子が追随する。

 この一連の流れは、馬鹿ふたりによる共同作業であると断定せざるを得ない。

「おい、きみたち。話が飛びすぎて何もわからないぞ」

 僕は語気を荒げていった。

 もしかすると、このふたりは僕にとって最悪の相性の相棒たちになるのかもしれない。

 そう直感した。

「あの人たち、そんなに英語が得意ではないらしいの」

 と、葉子。

 通常であれば彼らが何を述べているかは不明だろう。けれど、この言葉のみで僕の頭にはすべての絵が描かれた。腐っても僕は名探偵白夜家の人間だ。これくらい情報があればストーリーが見えてくる。そう、これが僕の家系に受け継がれた能力だ。白夜家ではこれを絶対領域と呼ぶ。

「ふむ、君たちの体たらくはまあいい。そこに今言及するのはやめておこう。となると、要約するとこうなのかな? レイ・トラビスがとある部屋で殺されていた。けれど、その際日本人しか周囲にいなかった。さらに彼らは英語ができない。レイ・トラビスに個人的な恨みを抱くことは言語が通じない以上あるはずがない。ゆえに怨恨の線は消える。そうF国の人間は考えているのだね」

 僕は脳裏で領域内に浮かんだイメージをそのまま伝えた。

「良くわかったね、薫ちゃん。さすがだねー」

 若干おっとりとした口調で、葉子が褒めてくる。その後すかさず頬の化粧のりを確かめる素振りを見せた。どれほど感情がこもっているのかは甚だ疑問だ。というか、そのままきみが僕にそれを伝えていれば僕がわざわざ絶対領域を使う必要もなかったはずだ。

「一昔前ならまだしも、敵対行動で殺人に及ぶことは考えにくい」

 眉村がぼそりといった。

 先ほどと同じくすべてをすっ飛ばした論理展開をするその態度にはムカつくが、彼なりに事件を解決しようと思っているのかもしれない。

「自殺の線は?」

 僕は尋ねた。

「不明ね。現場の情報はなかったから」

 葉子が首を振る。

「他国に通信経由でそこまで情報は与えないということか……眉村君、きみは現場をその目で見たのかい?」

 僕は眉村に尋ねた。

 その仏頂面はふんっと鼻を鳴らしただけだった。

 彼にしても現場を見ていないのだろうことは、この態度から明らかだった。つまり、この場にいる誰も現場の情報を知らないということになる。

 となると、ひと時の間もなく、満場一致で僕たち自ら事件現場に行くしかないという結論に至ることは自然な流れだった。

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