第3話


 翌日の昼過ぎ。

 ソフィは勇者が住んでいる家を訪れた。


 勇者の家は、貴族のお屋敷にしか見えなかった。地価が洒落にならない王都の中心地に、三階建ての大きな屋敷が、どっしりと胡座をかくように屹立している。壁は白色で統一されており、屋根の下には精緻な模様が施されていた。よく見れば国章だと分かる。


 荘厳な門を抜けると庭園が広がっていた。花は色取り取りで手入れも行き届いているが、引っ越しを予定しているためか場所が余っている。それでも残っている植物の瑞々しい育ち方を見れば、この庭園を手入れした庭師の愛情を感じることができた。


(アメリアの花……)


 確か、勇者の故郷にも生えているという美しい藍色の花。

 勇者伝説によると、勇者の故郷は王都の西にある小さな村だという。これといって特徴はないが、豊かで広大な畑があり、採れたての野菜を食べる度にその美味しさに感動し、村で生まれ育ったことを感謝するらしい。


 ソフィは先日のお客さんである学者のことを思い出した。

 勇者様も、この花を見て故郷を思い出すことがあるのだろうか……そんなことを思った。


「いらっしゃい」


 ソフィが屋敷のドアに近づくと、中から勇者が現れる。

 真っ直ぐな背筋と引き締った筋肉を見れば、やはり五十歳くらいに感じる。しかし勇者の年齢は八十五歳だった。どうりで見た目のわりに髪だけは白く染まっているわけだ。勇者は黒髪だったはずなので、髪の変化は老化によるものだろう。

 世界を救った英雄の案内に従い、ソフィは屋敷に入った。


「ででで、では、見積もりをさせていただきますね……!!」


 緊張を隠しきれず、ソフィは顔を赤く染めながら仕事をした。

 勇者――――勇者伝説の主人公!!

 彼の大ファンであるソフィにとって、これほど興奮してしまう仕事はない。本当はサインが欲しいし色々お話もしてみたいが、引っ越し屋としてのプライドが、公私混同を辛うじて防いでいた。


 身だしなみに問題はないか、ソフィは改めて自分の姿を見る。

 白を基調とした仕事着に汚れは全くついていなかった。引っ越し屋はお客さんの家に直接入るため、清潔感が第一である。今回はあの勇者の家を訪ねるということもあり、普段以上に綺麗に洗濯しているはずだ。スカートにも皺は一切ついていない。


「あまり緊張しなくてもいい。知人が張り切って建ててしまっただけで、私自身にこういう趣味はないんだ。家具も殆どが貰い物で、思い入れのあるものは少ない」


「いえ、その、緊張しているのは家がご立派だからというわけではなくて……」


 むしろ家の広さには耐性がある方だった。

 引っ越し屋をやっていると、偶にこういう大きな家の引っ越しを任されることがある。特に魔法が使えるソフィは、普通の引っ越し屋と比べてため、上流階級の客から懇意にされることも多い。


「……あの、貰い物なら大切にした方がいいのでは?」


 勇者の発言に些細な違和感があったので、ソフィはこそっと訊いてみた。

 すると勇者は苦笑する。


「大切なものもある。ただ、この手の無駄に凝った置物などは、顔も名も知らない貴族から一方的に贈られてきたものばかりだ」


 廊下に飾られている花瓶に触れながら、勇者は言った。

 はて……しかし勇者伝説によると、勇者は派手な贈り物をもらう度に喜ぶような、正直で分かりやすい少年だったと描かれている。

 歳を取ったことで価値観が変化したのだろうか。或いは本の方が脚色されているのかもしれない。


「荷物は大体この部屋にまとめてある」


「あ、はい。お気遣いいただきありがとうございます」


 一階の大きな部屋に、荷物がすし詰めになっていた。見積もりを円滑に進めるためにわざわざまとめてくれたらしい。


 本棚、衣装入れ、机、椅子、寝具。ソフィは大きな家具から順に運び出す荷物を確認する。

 その途中、ソフィは見つけてしまった。


(こ、これは……! 風の街ロンドウィニで勇者様が貰ったという、蒲公英ダンデライオンの花冠……!!)


 勇者伝説の第二巻。崖に挟まれた特殊な地形ゆえ、常に風が吹いている小さな街ロンドウィニを訪問した勇者が、幼い少女と魔王討伐の約束を交わし、その応援として貰ったものだ。勇者は長い旅の中、辛い時があるとこの花冠のことを思い出して奮起していたらしい。花冠はところどころ編み目が不格好だが一生懸命作られていた。萎れることなく今も鮮やかな黄色を保っているのは、保護魔法でコーティングしているからだろう。勇者は、これを大事にしているのだ。


(ああ……!! こっちは海底神殿の冒険で勇者様が使ったという、人魚姫の腕輪……っ!!)


 勇者伝説の第七巻。魔王の配下が海底にある神殿に逃げてしまったので、勇者たちは海中でも行動できる方法を探した。紆余曲折の末、勇者は人魚姫からこの腕輪を貰い、水の中でも呼吸ができるようになったのだ。


 宝の山すぎる。

 だが――平静を装わなくては。

 このままでは引っ越し屋という立場を利用して押しかけてしまったファンになる。それだけは阻止しなくてはならない。ソフィは勇者からは見えない角度で必死に深呼吸して、冷静さを取り戻した。


「荷物はこれで全部ですか? 廊下にあった花瓶などは……」


「あれらは処分するつもりだから、問題ない」


 勇者は淡々と言った。

 そのあっさりした性格が、また勇者伝説に登場している勇者と微かに乖離しているような気がして、違和感を覚える。


「見積もりが終わりました。お値段がこのくらいになるのですが……」


 ソフィは見積もりの明細を勇者に見せた。

 一般家庭とは比べ物にならない金額になってしまったが、勇者は特に気にすることなく「ふむ」と明細を確認した。


「開梱・配置オプションも使いたい。なにせ荷物が多いからな、老骨には厳しい」


「畏まりました」


「それと……この環境丸ごとオプションというのは?」


「池や植物など、庭にあるものも持っていくオプションです。引っ越し先の敷地に置けるかどうか事前に確認していただく必要がありますが。……ちなみに家ごと引っ越したい場合は、こちらのおうち丸ごとオプションがあります。この家は大きいので、ちょっとお高めになりますが」


「家ごと、引っ越す……?」


「はい。魔法で家を持ち上げて運びます」


 勇者は目を丸くして、しばらく硬直した。

 やがて軽く笑う。


「七十年前に出会っていたら、間違いなく仲間にしていたよ」


「あぅ……ありがとうございます」


 多分、最上級の褒め言葉だった。

 平静を装うつもりが動揺してしまった。ソフィの鼓動がかつてないほど激しくなる。

 ただの世辞かもしれないし、真に受けるのは危険だ。そう自分に言い聞かせた。


「環境丸ごとオプションを使いたい。引っ越し先は、あまり植物がないからな」


 ソフィは頷いて、オプションの項目にチェックを入れた。


「その、引っ越し先についてですが……あちらの住所は本当に正しいのでしょうか」


「ああ、正しい。言いたいことは分かるが」


 はっきり断言されると、それ以上は詮索できなくなる。

 だが疑問は残った。……世界を救った勇者が選ぶにしては、あまりにも理解し難い場所だ。何故あんなところに引っ越すのか、勇者のファンである以前に、引っ越し屋として不可解である。

 モヤモヤと蟠る疑問には一度蓋をして、ソフィは仕事を続けることにした。


「作業開始日はいつにしますか?」


「いつでもいい。相見積もりをする気はないし、引っ越し先にもいつ行ってもいいことになっている」


「でしたら、今からでも大丈夫でしょうか?」


「今から? 私は構わないが……もう夕方だ。これだけ荷物が多いと梱包にも時間がかかるのではないか?」


 ソフィは窓の外を見た。空が夕焼けに染まっている。荷物が多かったため、見積もりに思ったより時間がかかってしまったみたいだ。……勇者伝説に出てきた道具の数々に感動して、作業が遅れたわけではないと信じたい。


 しかし、荷物の梱包なら見積もりと違ってそこまで時間がかからない。

 普通の引っ越し屋なら時間がかかるかもしれないが――ソフィは違う。


「いえ、すぐにできますよ」


「……では、頼む」


 ソフィは杖を振った。


「《召喚サモン》――――」




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