第2話


「うーん……疲れた~~~~!!」


 店舗兼自宅に帰ってきたソフィは、ゆっくり身体を伸ばした。

 本日の依頼人である学者の荷物は少なかったが、如何せん距離があった。体力も、魔法を使うためのエネルギーである魔力も余裕はあるが、長時間の作業というのは精神力を削る。

 それでも、


(お客さん、喜んでくれたなぁ……)


 削られたものを補って余りある達成感が心を満たした。

 それさえあれば充分だった。今日はとてもいい一日だったと満足に胸を張れる。


(さて、本日のやることは終了。時間が余ったし……この前買った勇者伝説の最新刊でも読みましょうか!!)


 まるで今決めたかのようだが、今朝からずっと楽しみにしていた予定だ。

 ソフィはテーブルの上に置いてある本を手に取る。


 勇者伝説――七十年前に世界を救ってみせた英雄・勇者の経歴を綴った本だ。

 第一巻が発売したのは五年前。勇者が魔王を倒してから、半世紀以上が経過した頃だ。既に勇者の活躍は教科書や演劇によって人々に知れ渡っているが、勇者伝説はそれを物語性のある書物として巧みに再構築しており、今では無数の愛読者が続きを待ち侘びている。


 最新刊では勇者と四天王の戦いが描かれており、当時の勇者の苦悩と葛藤が軽妙な筆致で書かれていた。

 辺境の田舎で育った少年が剣一本だけを携えて旅立ち、やがて仲間たちと巡り会いながら難敵を倒していくという王道のストーリーは、実話であることによって一層深みが増していた。作中に出る地名は全て実在しており、ソフィにとって大なり小なり縁のある名詞が出てきたことも少なくない。世界を救った英雄はその時どんな気持ちで戦っていたのか、知れば知るほどソフィは感動の渦に飲み込まれ、いつしか勇者のファンになっていた。


 ページを捲る度にソフィの目は爛々とし、貪欲に文字を追っていく。

 晩ご飯もお風呂も済ませた。明日は午後に一件仕事が入っているだけ。


 なら――今日は夜更かしOK!

 ソフィは本棚から勇者伝説の一巻を取り出し、最初から最新刊まで通して読み直すことにした。




 ◆




 翌朝。

 思いっきり夜更かししたソフィは、ボサボサな髪のまま朝食をとっていた。


 勇者伝説という本の欠点を一つ述べるとすれば、毎巻続きが気になる形で締め括るところだった。まさか魔王の配下である四天王の一人が、人間との恋に落ち、既に家庭を築いているなんて……一体勇者はこの四天王をどうしたんだ。こんなところで締め括るなんて卑怯だとソフィは思った。


 営業開始まであと五分。

 新しいお客さんが来るかもしれないし、ソフィは身だしなみを軽く整えた。しかし睡眠不足のせいで幾らか手を抜いてしまう。薄い緑色の髪は相変わらず激しくうねっているので、大きめのリボンで強引に纏めることにした。


 店の外に出て、ドアに吊るしている木のパネルを裏返す。パネルで確認できる文字が「本日の営業は終了しました」から「営業中」に変わった。


(目を覚ますためにも、ちょっと体操しますかぁ……)


 おいっちに、おいっちに、とソフィは身体を解す。

 そんなソフィのもとへ、一人の男が近づいた。


「すまない、営業しているだろうか」


「してますよぉぉ……」


 ソフィは、眠気と朝日の眩しさによって細められた目で、男を見た。

 恐らく五十歳くらいの男だった。老化によって白くなった髪と、隠しきれない皺の数々。その皺に混じって古傷のようなものも刻まれいる。若い頃、戦いを生業にしていたのだろう。冒険者か傭兵か、或いは国に仕える衛兵か騎士だったか。幾らでも予想はつく。


 しかしこの顔……はて、どこかで見たような……?

 そんなことを思ったが、今の自分の頭だと勘違いの線も濃厚である。ソフィは疑問を言葉にすることなく、男を店の中へ案内した。


「ではこちらにぃぃ……お名前とご住所、見積もり希望日のご記入をお願いしますぅぅ……」


 未だ眠気が抜けきっていないソフィだった。

 しかし男に気にした様子はなく、淡々と渡された用紙に記入する。

 ふと、男がペンを止めてソフィを見た。


「荷物についてだが、呪われた魔導書や魔剣も運んでくれるだろうか?」


「追加料金をいただきますが、封印魔法を使えば運べますので問題ないですよぉぉ……」


「それはよかった。どの店でも難しいと言われて困っていたんだ。……この店は優秀な魔法使いを雇っているのか?」


「いえぇ……このお店は、私一人で切り盛りしていますぅぅ……」


 つまり封印魔法を使うのはソフィだった。

 男は一瞬だけ目を点にして驚いたが、やがて感心した素振りを見せる。


「それは立派だな」


 むふふ、とソフィは得意気な顔をした。

 男がペンをソフィに返す。ソフィは用紙を手に取り、記入漏れがないか確認した。


「ええと、お名前はロイド=エクステラさんですねぇぇ………………ぇぇぇえ?」


 細くなっていたソフィの目が、あっという間に見開かれた。

 顔だけでは気づかなかった。しかしその名は見覚えがある。――ありすぎる。


「ゆ、勇者様ぁぁぁぁぁっ!?」


「ははっ、もう昔のことだ」


 世界の英雄――勇者・ロイド=エクステラは、慣れた様子で笑みを浮かべた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る