(旧)魔法使いのお引っ越し
サケ/坂石遊作
老いた勇者の最後の旅
第1話
【注意!!】
本作は書籍『魔法使いの引っ越し屋』の旧版となっております。
書籍は試し読み版がありますので、購入前に雰囲気などが気になる方は是非そちらをご覧ください。
https://kakuyomu.jp/works/16817330667727361095
また、書籍を読み終える前にこちらの旧版を読むことは、諸事情によりオススメしません。
できれば書籍を読んでいただいた後に、旧版を読むことを推奨します。
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春という季節を楽しめるのは特権だとソフィは思った。
こんなにも日差しが柔らかいというのに、新年度の始まりということで多くの人が忙しない日々を送っている。新しい服、新しい仕事、新しい人間関係……新たな生活を前にすると、人はどちらかといえば期待よりも不安を抱きやすいらしかった。
しかし、引っ越し屋である自分はその限りではない。
春は書き入れ時だ。この仕事が大好きな自分にとって、毎日が楽しい季節である。
「通りますよー」
うおっ、とか、うわっ、とか、色んな声が聞こえた。
国一番の都会である王都の石畳を歩いてしばらく、突き当たりに三階建ての集合住宅が見えた。赤い屋根で、木造建築で、正面に服屋……聞いていた通りの立地と外観だ。あそこが目的地に違いない。
黒い杖を振ると、ふわりとソフィの身体が浮く。
ソフィはまるで宙を歩くように、目当ての部屋のベランダまで向かった。
「お荷物、お届けに参りました」
「え? ――うわあっ!?」
窓の向こうにいた男は驚きのあまり大声を発した。
その目は、ソフィ――の背後で一塊になっている大量の荷物を映していた。
◆
「荷物はこれで全部ですね」
「あ、ああ」
こぢんまりとした部屋で、線の細い男が礼をした。
ソフィはゆっくりと宙に浮かせていた荷物を床に置いた。箱の外装はソフィの好みで派手なチェック柄にしている。おかげで道中、街の住人たちから注目されたが、それはそれでお店の宣伝になるとソフィは思っていた。
「しかし、驚いた。この時間に窓を開けといてと言われた時は意味が分からなかったけど、まさか空から荷物が降ってくるとは……」
「集合住宅は廊下が狭いですからね。窓から入れた方が楽なんですよ」
別に理由を訊いたわけではないんだけど……という言葉を飲み込んで、男は複雑な顔をした。
「魔法だよね、それ」
「はい。浮遊魔法を八つ同時に発動しています」
「浮遊魔法って、かなり難しいって聞いたことあるんだけど……」
「まあ誰もが使えるなら、今頃は空に道路が敷かれていますからね」
しれっと、ソフィは言った。
まるで魔法の実力には関心がないといった様子で。
「開梱はしますか?」
「うーん……そうだね、大きいやつだけお願いしようかな」
「分かりました」
ソフィが杖を軽く振る。すると男の指定した箱がパカッと開いた。
おお、と男が小さく感心する。
引っ越し屋の従業員に魔法を習得する義務は存在しない。そもそも魔法というのは一種の専門技術であり、その需要は重工業や軍事など、どちらかと言えば規模が大きい分野の方が多かった。そんな専門技術を引っ越しに使う人なんて稀である。
ソフィは、世にも珍しい魔法使いのお引っ越し屋だ。
だからこそ珍しい経験も沢山積んでいる。
物体を操作する魔法で、ソフィは箱の中に入っていた荷物を優しく取り出した。
箱の中には大量の紙束が入っていた。
「これは、論文ですか?」
「ああ。実は僕、学者でね」
男が恥ずかしそうに後ろ髪を掻きながら言った。
「今までは地元で活動していたんだけど、昨年の学会で研究の価値が認められて、今年から王都のチームに所属することになったんだ。そのために拠点を移したんだよ」
男は嬉しそうに語った。
引っ越し屋をしていると、偶にお客さんからこういう身の上話をされることがある。どうして引っ越しをしたのか、どうしてこの土地と物件を選んだのか、誰と住むのか、何をするのか……そういう話を聞くのもまたこの仕事の醍醐味だった。
「では、これから活躍されるんですね」
「うん。そうだと、いいな」
男の表情に陰りが生まれた。
わざわざソフィの方からそれを指摘することはない。無言で作業を続ける。
「ちょっと、不安でね」
しばらくすると、男の方からわけを語り出した。
「恥ずかしながら、生まれ育った街を離れたのはこれが初めてなんだ。……離れて気づいたけど、僕は想像以上にあの街へ思い入れがあったらしい。王都は昼夜問わず賑やかだけど、ここには僕の友達もいないし家族もいない」
男は、絞り出すような声で吐露する。
「もし、チームに馴染めなかったら……僕は孤独だ。そう思うと、仕事にも集中できない気がして……」
新生活を前にすると、人は期待よりも不安を抱くことがある。男もその例に漏れないようだった。窓の向こうでは老若男女が楽しげに街を歩いている。この景色の中で感じる孤独は一層辛いだろう。
だからソフィは、優しく微笑んだ。
「私には、信念があります」
「信念……?」
首を傾げる男に、ソフィは頷く。
「お客さんの旅立ちを、素敵なものにしてみせることです」
そう言ってソフィは、杖で軽くアーチを描いた。
窓台の上に、小さな植木鉢が現れる。
鉢の中には一輪の黄色い花が咲いていた。鮮やかで、柔らかくて、けれど力強さも兼ね揃えるその花は、背後に広がる賑やかな風景に掻き消されることのない存在感があった。
「これは……」
「造形魔法の一種です。ご実家の庭に生えていた花を模してみました。一日に一度、魔力を込めれば半永久的に保つと思います」
窓から吹き抜ける一陣の風が、柔らかな花弁を揺らした。
男の瞳に懐かしいという感情が灯る。
触れたい――。
戻りたい――。
でも、決別したはずだ。
今は前に進むべき時なんだ。
男の横顔から、そんな感情がひしひしと伝わってきた。
「私も自分のお店を持っていますから、故郷を離れて寂しいという気持ちも、仕事に集中しなければならないという気持ちも分かります。……なので、この花を見ている時だけは故郷を想ってもいいというルールにしてはどうでしょう」
ソフィの顔を見つめた男は、再び花に視線を移す。
「それは、いいね。…………うん、とてもいい」
引っ越し屋としてたくさんの出会いと別れを見届けてきたソフィは、経験上知っていた。別れを惜しむ気持ちは、強引に捨て去ろうとしてもふとした時に蘇ってしまう。だから、その感情はゆっくりと向き合って、心に溶かしていった方がいいのだ。時折溢れ出しそうになっても、狼狽えることなく、優しく蓋を閉められるように。
「ありがとう。この花、大事にするよ」
「ええ。花を大事にする気持ちは、悪いものではありませんからね」
男は一瞬だけ目を丸くして、それから小さく微笑んだ。
「では、私はこれで失礼します」
ソフィは部屋を出た。
線の細い男は、その目に太い芯のようなものを宿し始めていた。
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