第2話 夏祭りと郷土史 後編

 あまり気は進まなかったのだが、いざ参加してみると祭りというものは中々に良いものであった。屋台の食べ物はどれもビールによく合う味付けで、誇張抜きで何倍でもビールが飲めそうな予感がしていた。

 各地区の人達が参加するパレードは観覧者の投票で順位を付けるという事らしいので、俺は特に頼まれてもいないけれどラーメン屋のバイトの子がいる地区に投票しておいた。これで優勝できなかったとしても俺のせいではないだろうと思ったのだが、あの子はそんな小さなことで文句を言うタイプではないと思ってもいた。

「ねえ、私達の仮装ってどうだった?」

「なんの仮装かはわからないけど、良かったと思うよ。楽しそうにしてたし」

「お兄さんってあんまりテレビとか見ないんですか?」

「テレビはニュースとスポーツくらいしか見てないかも。有名なやつなの?」

「結構有名だと思いますよ。先生たちも知ってると思いますからね。もしかして、お兄さんって意外とおじさんだったりするんですかね」

「まあ、君に比べたらおじさんかもしれないね。でも、職場ではまだまだ若手なんだけどね」

「へえ、そうなんだ。意外かも。お兄さんの仕事ってどんな仕事なんですか?」

「営業と保守点検だよ。営業はこっちに来てからやらされてるんだけど、決まってるとこにしか行かないから楽なんだよね」

「営業とか大変そうなのに楽なのもあるんですね。私はきっと営業とか出来ないと思いますよ」

「意外とやってみたらどうにかなるもんだと思うよ。ラーメン屋のバイトの方が大変だと思うけどね」

「そんな事より、お兄さんは私のチームに投票してくれたんですよね?」

「もちろん投票したよ。他の所も良かったけど、君のところが一番良かったと思ったからね」

「ありがとうございます。お礼に、私がここからお祭りに付き合ってあげますよ。嬉しいですか?」

「嬉しいよ。でも、もう一通り食べちゃったんだよね。そろそろ帰ろうかと思ってたんだけど」

「もう、私はまだ何も食べてないんですよ。良いからもう少し付き合ってください」

 俺は彼女に押し切られる形で本日二度目の屋台を楽しむことになった。だが、さすがに同じものを二度も食べる気にはなれずにいたので、俺は彼女が買うものをただ隣で見ていたのだ。女の子とこうして二人で祭りに参加するのなんて何年ぶりなのかと思ってみたけれど、大学生の時にグループで行っただけで二人だけという機会は今まで無かったような気がしていた。

 親子ほど年は離れてはいないのだけれど、年齢差はソレなりにはあるので好奇な目で見てくる人もいたのだが、最終的には女の子が説明をして回っていたので不審がられずに済んだのであった。

「いろいろ買ってもらっちゃってありがとうございます。バイト代が出たらお返しちゃんとしますから待っててくださいね」

「お返しとか気にしなくていいよ。俺も楽しかったからそのお礼だと思ってね」

「さすがにそれは悪いですよ。でも、良かったらまたどこかに遊びに行きましょうね」

「うん、機会があればね」

「ありがとうございます。じゃあ、私は親が迎えに来てるんで帰りますね。今日はありがとうございました」

 一時間ちょっとだけ一緒に見て回ったのだが、彼女が欲しがったものはイチゴ飴やチュロスと言った甘いものばかりであった。俺はそこまで甘いものが好きじゃないので一緒に飼ったりはしなかったのだけれど、隣にいて色々な話をしただけでも楽しい時間を過ごせたと思う。

 せっかくだしもう少し見て回ろうかなとも思ったのだが、そこまで規模の大きい祭りでもないのでさすがに三回も同じ場所を巡るのは無理だと思った。

「まだ日は高いけれど、今日はこれくらいにして帰ろうかな」

 誰にも聞こえないような独り言を言った俺は家路につくことにしたのだが、駅に続く歩道は黒山の人だかりで進めそうにもなかった。いつもは通らない道を通って帰るのも良いかもしれないと思って俺は裏道へと向かってみることにした。

 閑静な住宅街と言うわけではないのだが、先程まで喧騒に飲まれるような状態にあったので、たまにすれ違う車の音が無ければどこかに取り残されたのではないかと思うくらいに静かに感じていた。

 この辺の人達はみんな祭りに行っているのかと思うくらいに人の気配はなかったのだが、たまに行き交う車や自転車が僕を現実世界へ連れ戻してくれているようにも感じてしまっていたのだ。それくらい、この辺りは静かすぎていたのだ。


 完全に遠回りではあったのだが、今まで見たことが無い場所を歩くのは意外と楽しかった。新しい発見もいくつかあったし、今度時間がある時にゆっくり散策出来たらいいなと思いながらも住宅街を歩いていたのだ。

 住宅街の中には当然いくつもの公園があるのだが、その公園には祭りで買ったお面を付けた子供たちや屋台で買ったものを食べている子供たちも楽しそうにしていたのだ。公園の中にもパレードの時のようにいくつものグループに分かれているのだが、どこを見ても不満がありそうな子は一人もいなかったのである。

 少しベンチに座ってやる見たい気分ではあったのだが、子供たちが遊んでいる公園のベンチに一人で座っていると怪しいと思われそうだなと思って俺は前に進むことにしたのだ。

 そのまま道なりに進んでいると少しだけ道路幅が広くなった場所が出てきたのだ。今までは車が来たら立ち止まって避けるのが良さそうだったのだが、ここは隣に車が走っていたとしてもぶつかることは無いだろう。だからと言って、気を抜いて歩くことは無いのだ。

 アパートの場所がわからないまま俺は適当に歩いていたのだが、道なりに進んでいたはずなのに少しずつではあるが家も少なくなっていき、その代わりなのか自然は多くなっていた。道路にもせり出した大きな木の陰で少し薄暗く感じているのだが、時々差し込んでくる夕日に照らされた木々はとても幻想的に見えて美しく思えたのだ。

 ただ、そんな感傷に浸っている場合ではなく、もうすぐ完全に陽が落ちてしまう。街灯も無いようなこんな場所で日没を迎えるのはさすがにいい気分ではないのだけれど、このまままっすぐ進んでも平気なのかと俺は少しだけ不安になっていた。

 スマホの地図アプリを立ち上げて確認してみたのだが、俺が今歩いている場所をそのまま進んでいくとアパートの近くにあるコンビニの裏に出ることが分かったのだ。この道を進むことは間違いではないという事がわかったのだが、それでも街灯のない場所を歩くというのは少し不安ではあった。

 時々現れる空き家はずっと人の手が入っていないからなのか原型をとどめているものは少なく、幼稚園児であれば完全に隠れてしまうような高さの草も生い茂っていたのだ。

 どれくらいの時間あの場所に放置されていたらこんな風になってしまうのだろうと思ったのだが、きっと俺が思っているよりも長い時間が経過しているのだろう。

 突然現れたバス停に驚いてしまったのだが、時刻表を見てさらに驚いてしまった。

 このバス停の時刻表は正月と盆以外は定期便が運航していないのだ。期間限定の便が一日三本だけこのバス停にやってくるようだ。今はいくら待っても夜の便がやってくることは無い。それでも、少しだけ待ってみたいなと思ってしまった自分もいたのであった。

 バス停横にあるベンチに腰を下ろしてつかの間の休憩をとっていたのだが、進行方向の反対車線にもここと同じようにバス停がある事に気付いてしまった。こちらが上りで向こうが下りだと思うのだが、あちらにあるバス停もここと同じような時間なのか気になってしまっていた。俺は車が来ていないことを確認してから道路を渡って反対車線へと移動したのだが、そこのバス停には一人の女性が立っていたのだった。

 何もしていない夜でも若干汗ばんでしまうような暑さなのに、バス停の横に立っている女性は極限まで素肌を見せないようにコートを羽織っていたのである。もちろん、それ以外にも気になる場所はいくつかあったのだ。

 コートを着ていることも気にはなるのだが、すぐ近くにいる俺の存在にも気付いていないように思えたのだ。ここは勇気を出して話しかけてみるべきなのか、このまま話しかけずに通り過ぎるべきなのか、俺はとても悩んでいた。

 悩んだ結果、俺は話しかけずに通り過ぎることにしたのだ。お盆までやってこないバスを待つのは辛くないのかと思いもしたのだが、こういう人達は待つことにも慣れているので何の感情も持ち合わせていないのかもしれない。

 だが、さすがに目の前を横切るのは良くないと思って会釈をしていたのだが、俺を見つめる女性の目はぽっかりと大きな穴が二つあるだけでそこにあるべき二つの瞳は存在していなかった。

 それどころか、よくよく見てみると口元には細かい泡を溜めながら何か言っているし、左耳は残り半分ほどというところで切れ落ちてしまいそうになっていたのである。

 この人はいったい何者なのだろうと思っていたのだが、人間というものは本当に驚いた時には何も考えられなくなってしまう生き物なのかもしれない。俺はじっとその女性の何も無い目を見つめていたのだが、女性と見つめ合っているのが恥ずかしくなってしまっていた。

 何も無い瞳と見つめ合うというのはおかしな話なのだが、それ以上に耳が千切れ落ちそうになっているのも心配になっていた。それだけではない、この女性は靴も履いておらず、むき出しの足はどこかで怪我をしたのか乾いた血がどす黒く変色してこびりついていたのだ。

 足があるという事は幽霊ではなく人間なんだなと思ってみたりもしたのだが、幽霊ではなく本当に人間なのだとしたらそっちの方が怖いような気もしてきたのだ。誰も通らないようなこんな場所で一人で来るはずのないバスを待っている人間が普通な人間のはずも無いと俺は思ってしまっていたのだ。

 俺は何も気づかなかったふりをして通り過ぎようとしたのだが、俺が顔女性から顔を背けて前に進もうとしたと同時に、俺の肩を思いっ切りつかまれてしまったのだ。腕ではなく肩を掴まれたというのも衝撃だったのだが、それ以上に肩を掴む手の力が強くて俺は驚いて普段では出さないような大きな声を出してしまっていた。

 その大きな声に驚いた女性は俺の肩から手を離すと、そのまま俺が歩こうとしている方向へ走って行ってしまったのだ。このまま同じ方向に進むのは嫌だったのだが、この道を引き返すと家に帰るのがかなり遅くなってしまうと思い、俺は仕方なくこの道を進んでいくことにしたのだ。

 必要以上に俺は慎重に進んでいったのだが、あの女と会うことは無かったのだ。


「そんな事があったのか。だが、あの辺でそんな噂は聞いたことも無いね」

「アレが人間なのか幽霊なのかわからないですけど、とにかく俺の肩を掴む力は尋常じゃなかったです。今でも跡が残ってるんじゃないかって思うくらい痛みが残ってますからね」

「だけど、あの辺は本当に何も無い場所だと思うんだけどな。そもそも、そんな場所にバス停なんて無かったと思うけどね」

 古本屋のご主人なら何か知っているかと思って相談してみたのだが、そもそもあの場所にはバスも通っていないという事だった。俺は確かにバス停の時刻表を確認していたし、その隣に変な女が立っていたことも覚えている。

 この町を走っているバスは一社だけなので時刻表を調べることなんて造作もない事なのだが、ご主人の言っている通りであの場所を走るバスは一本も存在しなかったのである。過去についても調べてみたのだが、俺が調べられる限りでもあの道を走っているバスは一本も存在しなかったのだ。

「ご主人の言う通りに俺の見間違いだったんですかね。でも、バス停が見間違いだったとしても、女の人がいたのは間違いないんですよ。両目が空洞で左耳も半分くらい切れて取れそうになっている人だったんですよ。裸足で足に乾いた血がこびりついているような感じでしたから」

「さあ、そんな噂も聞いたことが無いね。もしも、それが本当だったとしたら、君はいったい何を見たんだろうね?」

 俺もご主人も何も答えが出せないまま時間だけが過ぎていた。俺が体験したような事を知っている人は誰もおらず、ラーメン屋のバイトの子も中華料理屋で会う常連客にもそんな話は聞いたことも無いと笑われてしまったのだ。

 ビールを飲み過ぎたんじゃないかとも言われたのだ。確かにあの日は祭りの熱気と屋台の食べ物の味の濃さにやられて普段よりも多く飲んでしまっていたのかもしれない。


 古本屋のご主人から安く売ってもらった郷土史をパラパラとめくっていると、この町のちょっとした不思議な話を集めているコラムが目に留まった。

 勝負ごとに強くなる不思議な石の話や河童のような生物が目撃された沼の話なんかに紛れて、俺が体験したようなバス停の側にいる不思議な女の話も載っていたのだ。

 俺が見た女と同一人物の話なのかはわからないが、俺が体験したような事を他の人も体験しているという事はどこか安心感を与えてくれていた。

 コラムを書いた人の体験談ではあったのだが、その作者の名前はあの古本屋のご主人の名前であった。あのご主人はなぜ同じ体験をしたという事を黙っていたのだろうか。その事をいつか聞きに行こうとは思うのだが、俺はなぜかその事を聞きに行く勇気が持てなかったのだ。

 あの時掴まれた肩の痛みを忘れたころには勇気が出てくるといいなと思いながら郷土史の続きを読んでいったのであった。

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夏祭りと郷土史 釧路太郎 @Kushirotaro

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